我が輩は犬である。名前はもう有る。モーという名前である。なんでその名がついたのか。我が輩がその家に行った時、飼い主さまが「モー可愛い」って叫んだからだという話だ。今では周りの人達から「モーモ」とか「モ助」なんて呼ばれているが。
我が輩のご主人は獣医である。昼夜を問わず患者と、いや患獣と向かい合っている。この獣医さんのところに住むようになってからもう7年。最初はいろんな犬や猫が来て五月蝿く、大好きな昼寝もままならなかったが今はすっかり慣れた。
もともと我が輩には向学心があったのだと思う。いつの間にか見よう見まねで医療技術、医療の心得を学んだ。確かにご主人は専門知識を持ったお医者さんであり、患者さんやその家族から絶大な信頼を得ているが、人間は人間。犬の気持ちをどこまでわかったおるのか。昔から犬は犬同士というではないか。我が輩は猫であるという小説を書いた夏目漱石という人が猫は猫同士といったかどうかは知らぬが。
よって、時々ご主人様の目を盗んで、後ろの方から診療を観察することにしている。的確なアドバイスを与えられないのが残念だが。残念ながらドクターコトーやブラックジャック先生にはなれないが、「街のかかりつけ医」を目指している。だから観察は余計に欠かせない。
この病院の中で自分の担当は入院患者の「セラピスト」だと任じている。入院患者がくると一応チェックする。自慢の鼻さえあれば十分。鳴き声聞けば十分。そいつが何を訴えているかを即時に診断する。そして我が輩の見立てを先生に伝えようとするのだが・・・・。かなり意思の疎通は図られていると思うのだが。
最近、毎晩やってくる患者がいる。名前は澪。近所の奴らしい。もう相当な高齢。時々足がもつれたり、倒れる事もある。そんな時は我が輩が即刻参上。杖になり、クッションになり。最初に鼻をくっつけた時からこいつとは気が合うなと思った。だから相当気合いを入れて面倒をみている。澪はメス。我が輩の場合は異性としての愛情では無く、犬同士としての愛情である。
犬とはいえ、仕事があることはいいことだ。もちろん診療報酬は無いが、報酬目当てで我が輩は生きてはおらん。いかに社会貢犬が出来るかが我が輩がこの世に生を受けた使命だと思っておるんだから。
先生は診療台の上で手際よく仕事をこなしている。それを"監視"しているのも楽しい。ただ、忙しすぎて我が輩の三度のメシだけは忘れないようにして貰いたい。
診療室の片隅でいつも考えている。今夜は澪となんの話をしようかと。話題を考えるのも我が輩の仕事。お互いボケ防止になることだし。澪が話してくれた生い立ちや昔話は面白かった。いろんな犬の話も面白かった。真夜中、寝付く前に二人で必ず言う。「お互い、飼い主に恵まれてよかったな」と。時々何を澪は考えているのか。話しかけてもつれないそぶりをする時があるのだが。それはそれでまたよし。今夜は子守歌でも聞かせてやって、気が向いたら枕になってやろう。犬とはいえ、「医療従事者」はけっこう忙しいものなのだ。ワン!。そろそろオヤツの時間だ。きょうは何があるのか。気になる・・・。