ほとんど興味無いけど野球。
でも、昨日の六大学決勝戦、早慶戦。終わったあとの斎藤君の言葉よかった。「斎藤はなにか持っているといわれてきたけど、今わかった。持ってるものが。それは仲間です」。感激居士の亭主。思わずグッとくる。「仲間」っていい言葉だと。世の中、仲間意識が薄れていく中、それを実感できた斎藤君は幸せもん。寄り道ではなかった大学4年間。勉強したかどうかはともかく4年間に大きな意味があった。大学とは学問の府だけではなく人間形成の府でもありうると。
亭主も数はともかく、いい仲間に恵まれていると。もちろん毎日顔を合わせるわけでもなく、電話でしゃべるわけではないけど「仲間」に支えられている。老いも若きも。その仲間を大事にしているかどうかと問われると忸怩たるもの有りですが。
「親分」。これもいい言葉。人間関係の中で。親分肌なんてかつては良く言われたが、今の世の中、たとえばサラリーマン世界で「親分」と呼べる、思える上司がいるのか。
野球の大沢親分。破天荒な行いを強いるけど弟子の面倒見がいいタケシ。ヤクザの世界だけかと思ってしまっていた「親分」という言葉。彼らはもはやあまり使わないような。兄弟とか組長とか兄貴とかは使っているが。
親分・仲間。単純だけど人間関係を言い表すにはこんな良い表現は無い。「最後に一言言っていいですか」と言って言い出した斎藤君発の「仲間」。社長が社員を「仲間」だと認識している企業はたぶん苦境も乗り越えられるかも。
人は必ず人とつながっている。学生時代にさかのぼるのもなんだが、亭主の胸の中に芽生える「仲間」への思い、よびさまされる仲間意識・・・。