孔子の有名な格言に「綸言汗の如し」というのがあります。皇帝がいったん発した言葉は取り消したり訂正することは出来ないという意味。君子の発言は、かいてしまった汗のようにからだにもどすことは出来ない。軽率な発言や訂正を戒めた言葉です。
柳田法相、仙石官房長官。彼らの発言が物議をかもしている。もちろん彼らは君子でもない、ただの陣笠代議士。よって綸言とはおこがましくて言えず。まさに妄言。されどそれとても汗の如し。取り消したり、訂正して済む話じゃないって。
「個別の事案についてはお答えを差し控えます」。これはいい文句ですよ。これを使う。これがいいんです。分からなかったらこれを言う。これで、だいぶ切り抜けて参りましたけど、実際の問題なんですよ。しゃべれない。「法と証拠に基づいて、適切にやっております」。この二つなんですよ。まあ、何回使ったことか。
こりゃ誰だって怒る。罷免要求も当たり前。政治家っていうのは講演などでいわゆる「うけねらい」で自分を道化ぽく見せようとする。これもその典型か。
ふと思いだした竹下登の迷文句。戦後、中学の代用教員をやれって言われた時。英語は全然わからないと任用を拒否すると「PTAとDDTの区別さえ教えられれば大丈夫だ」と校長に言われたという本人発の"逸話"。笑い話でウケを狙った竹下流話術。
仙石発言。「自衛隊は暴力装置」。かつての左翼がよく使っていたが、仙石からはまだ昔の左翼かぶれが抜けないのか。もっとも、警察や軍隊など暴力装置を合法的に使っているのが国家の定義という政治学的位置づけもある言葉なんですが。自民党の石破クンも使っていた。議論としては成り立つ定義なんですが。すぐ謝罪してしまうことに、発言者のうすっぺらさがある。
謝罪、訂正して反省っていくら言ったって許せない。かいた汗は元には戻らないのだから。それが妄言であっても。だいたい、謝罪って口でいっても顔はこわばり、口をとんがらかし、表情は全然謝っていない。
政治家の言葉が軽くなってしまって舌禍事件ばかり起こしてしまうのはいつの頃からか。余りにも多すぎる菅政権。言論の府に身を置く者にはあるまじき言動。
文民統制の大本、官邸棲息者に暴力装置って言われりゃ、そりゃクーデターもんですよ。
言葉もやることも軽い、軽い内閣。
国会答弁では「ある意味」「ある種の」を連発。真意わからぬ曖昧な接頭語。曖昧な人達が曖昧な言葉で国民を操ろうとする。過渡期、失われた政治の時として早く過ぎ去って欲しいかも。