「どうだい?風邪の具合は」と鈍爺。「なんかいまいちかな」。
「煙草は?」と鈍爺。「美味くない。まずい」。かつてとんでもないヘビースモーカーだった鈍爺。「煙草は体調が良いと美味い。悪いと不味い。ということは"毒"なんだ。体調良いと解毒作用があるけど、悪いと無くなって不味くなる」。どこか納得の鈍爺理論・・・。
たしかにここ数日、煙草が不味いのであります。身体がニコチンを欲するから吸いたくなる。吸うといがらっぽく不味く不快。煙が入ると咳。激しく咳き込むと体中にこたえる。結局数服吹かして終わり。てきめんに本数減。「これを機会に・・・・」。ああ、"悪魔のささやき"(爆)。
気を紛らわそうとテレビ。ニュースでやってる全面禁煙の話題。首都圏の電車のホームから灰皿撤去。首都圏は完全に「防煙体制」。資料映像で流される喫煙所の光景。ひたすら煙を吸い込む顔々。どうも間抜けっぽく(笑)。そう、もう煙草はまずいのです。吸っては拙いのです。
しかし・・・・。これだけ"悪者"扱いされても、煙草を吸う人の数はそんなに減ってないとか。喫煙者の数もそんなに減ってないとか。どこで吸っているのか・・・。
もう社会的に完全に悪者にされた煙草。喫煙場面を「表現手段」として使うことは世の誹りを受けることになる。煙草の煙は場面転換にかっこうのインサートだった。煙草の吸い方を演技指導の要とした監督もいた。洋の東西を問わず、タバコはなかなか優れた「表現手段」だった。待ちぼおけをくらった男の足元にまき散らされたような吸い殻・・・。
スモーク ゲット イン ユア アイズ。煙が目に染みる。ジャズのスタンダードナンバーも。日本の歌謡曲でも。タバコは「こころ」を伝える表現方法だった・・・・。これからは使えないかも。ああ、早くあの日に戻りたい。今日もゲンキだタバコが美味いって日に(バカ、ばか、馬鹿)。悪魔の囁きと天使の寝言。悪魔のパス天使のゴール。