2009年9月3日木曜日

晩節汚す「麻生節」

政権交代。首相官邸の主交代。民主党の大勝、まさに平成維新。江戸城無血開城のはずなのに。


西郷隆盛ならぬ岡田某が供を従え開城交渉に。勝海舟ならぬ河村某が出迎え。民くさの為にと政ごとの話し合い。聞きつけた瓦版記者が徳川慶喜ならぬ麻生某に尋ねる。その意いかがなりやと。麻生将軍、いたちの最後屁ならぬ嫌味、開き直りの弁。あまりに見苦しい敗軍の将。以下朝日新聞の転載。



 麻生首相が2日、首相官邸でのぶら下がり取材に再び応じるようになった。官邸でのぶら下がり取材は、総選挙遊説などで8月15日に中断して以来。近く退陣は確実だが、記者団をやんわり皮肉る「麻生節」もみせた。


 民主党の岡田克也幹事長が河村官房長官に政権移行への協力を要請したことに関し、記者団が首相の指示内容を聞くと、「スムーズに移行できるよう、なるべく協力するように各省庁に連絡するように話した。その通り、官房長官言わなかった?」と逆質問。記者団が「言っている」と答えると「裏取ってるわけね。記者としてまとも。裏を取ろうという心がけは。普段取らずに書いているけど」。


 首相指名選挙で「麻生太郎」と記すことに自民党内で異論があると問われると、今度は「党内の意見をどのように集約するかは党執行部が決めること。あなたが聞くべき相手は党幹事長。麻生総裁ではありません。頭の整理できた?」。


テレビでも見ましたけど。その形相やすざましく、まさに阿修羅の形相かと(笑)。最後の最後まで素直に物を言えぬお坊ちゃま。徳川幕府には及ばぬものの、自民党53年の歴史の晩節を汚している。


かつてーーー。宮沢内閣が田原総一朗の執拗な質問、押し、からみにあって、それが元になっての退陣。政治改革。出来上がった非自民の細川連立政権。その引き継ぎや粛々と和気藹々と行われ。細川も畏敬の念を持って宮沢を見送り。よって宮沢は後世も「知識人」として名を馳せた。


自民党総裁選び。麻生太郎って名前を書きたくない。首班指名で。白紙論が飛び交い、鳩山でもいいじゃないかって言う人も。


無血開城。入城する有栖川宮ならぬ鳩山と徳川慶喜ならぬ麻生との直接会談はあるのか。家来に任せてトンズラか。


落城した主を囲み、供に手を取り合ってお家再興を誓う家来おらず。


麻生を主君にかついだ報いはあまりにも大きかった・・・。元首相ということでなお権勢をふるおうとするのか。どこかの藩でも預かる申し出もなし。


グッドルーザ。わるびれぬ敗者。スポーツの世界では、少なくともイギリスでは有名な箴言。瓦版相手にうっぷん晴らしてなんとする・・・・。 



“チェルノブイリ”異聞

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