「私はカモメ」。ロシア語でヤーチャイカ。1961年、当時のソ連が打ち上げた有人宇宙船ボストーク6号の女性宇宙飛行士、ワレンチナ・テレシコワが地上との交信で喋った言葉。宇宙飛行士は有名な言葉を残しています。やはり地球は青かった。
森繁久弥さんが作った有名な歌「知床旅情」。加藤登紀子が大ヒットさせた。歌詞にまつわる逸話。その三番だったか。「別れの日は来た 羅臼の村にも 君は出て行く 峠を越えて 忘れちゃいやだよ きまぐれカラスさん 私を泣かすな白いカモメを」。加藤登紀子は「白いカラスよ」と歌っていたそうです。それをある日森繁に注意された。「よ」でなく「「を」だと。お願いだから「カラスを」と歌ってくれと。亭主も「よ」派でした。「よ」とカモメにお願いした方が歌詞の意味にピッタリくるし。
ところが・・・。森繁は自らをカモメになぞらえたのか。私、イコール、カモメ。歌が出来たのが1960年。髭が白かったかどうかはわかりませんが、繁さんはカモメだった。カモメの繁さん。
漂泊たる人生を悟り、カモメに身を置き換えていたのか。なんとも味わい深しなのであります。
「白鳥は悲しからずや空の青、海の青にも染まず漂う」。思わず浮かぶ若山牧水の句。文学青年モリシゲの頭の中にこの句が刷り込まれていたのかどうか。
「よ」と「を」。語尾一つで意味が全く違ってくる。
郡山の繁華街に一時「ヤーチャイカ」という店がありました。今はもう閉店のままです・・・。
リチャード・バックの文学「カモメのジョナサン」の一節。「すべてのカモメにとって、重要なのは飛ぶことではなく、食べることだった。だがこの風変りなカモメ、ジョナサン・リヴィングストンにとって重要なのは、食べることよりも飛ぶことそれ自体だったのだ。その他のどんなことよりも、彼は飛ぶことが好きだった」。モリシゲの魂は知床の空を飛んでいるのかも。カモメが舞う北の海を想像しています。