2010年2月1日月曜日

縦書きと横書きと

広告も含めてこのところの話題。電子書籍。I?PADとかで本が読める。いや、前からそんなツールはあったようですが。そこに携帯電話も"参入"。流行ってすたれた携帯小説(笑)。


外国語、英語は全て横書き。たしかにアルファベットを縦にしたら多分読めない(笑)。我が日本語は・・・。縦書きと横書きが共存。少なくとも本、書籍は縦書きが主流。主流というか、そうあるべき。辞書だって縦書きだし、六法全書も縦書き。ネットで見ると横書きの辞書あったり、憲法全文もあったりしますが。


新聞だって縦書き。ところが横書きのページが挟み込まれていたりして。


日本人の脳の動きがどうなのかはわかりませんが、基本的には縦書きの文章を読むように出来ているのではと。役所の資料やあちこちからの案内文は横書き多いのですが、少なくとも亭主は横書きの文書はどうも頭に入らない。読みにくい。目の移動。左右がいいのか上下がいいのか。


で、なんでも便利、なんでも電子。小さい液晶画面で本を読む。嫌だね。書店の経営がどうとか著作権がどうとか、出版界がどうとかっていう観点ではなく、本は紙に書かれた、印刷された文字を読むってのが読書と。自分の指でページを繰るのがいいのだと。画面の上で指を動かしてページを繰るなんて・・・・。嫌だね。


本には本の香がある。匂いがある。新聞にはあの懐かしい印刷インクの匂いがある。匂いが欲をそそる。古書には古書の匂い。カビくさい匂い。これが"歴史"を呼びさまされてくれたり。


電子書籍、縦書きに変換出来るともいうけど。装丁や厚さや表紙の図柄含めて本は本。紙の本が本。なんでも電子化しないで頂戴。本の重みが読んだ人の重みにもなってくる。


手紙とて然り。やはり縦書きの年賀状のほうが素直に気持ちが届く。


頑迷固陋なるかなこの亭主。おもわずはやっていない本屋に行って本を買ってきました。またまた。さていつ読むのか(爆)。買った本の一つ。「ネット帝国主義と日本の敗北」。サブタイトルに惹かれたのです。「搾取されるカネと文化」。


日本の文化は縦書きにあると存知候なり。



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