沖縄普天間基地移転問題。毎日のメディアの報道。表面の事象だけなぞり。だから「うんざり」する。その「うんざり」から見えてきたもの。
日本政府はアメリカ政府と、特に来日するキャンベル国務次官補とは具体的な候補地をめぐってやりとりしているらしい。そうすると・・・。まずアメリカと「合意」して、その上で「政府案はこれだ」と沖縄や候補地といわれるところに示すとしか考えられない。これって話の筋がちがいませんか。「日米同盟」「日米安保」でしょ。国と国との交渉。まず国内の問題を整理してから、「これが日本としての意見だ」とアメリカに言うべきじゃないのかと。戦前、戦中、戦後。経済問題も含めて国民の意思は後回し。後から押しつけてきた。戦後政治の脱却というなら、そういうやり方を改めないと。
「アメリカとの交渉でこう決まったから」。そういって押しつけるつもりなのか。それを国益と称して。
話の筋が違うってことついでに言えば。在日米軍基地問題で政権もメディアも語らない、解き明かさないその基本。
なんで在日米軍基地が必要なのかってことについて明快な説明はなされてこなかった。冷戦が終わった今、そのプレゼンスの意味は、価値は。
抑止力とはどこを指し、何を指し、どういう事態をいうのか。有事の際の自衛隊の役割はどうなのか。漠然とした核の抑止力論や安保論ではなく、現下の国際情勢、アジア情勢の中での在日米軍基地問題を政権も誰も語らない。語れない。アメリカの軍事政策に追随しているだけにしか見えない。
大多数の日本国民が納得、理解できる「安保論」があって、はじめて「基地」の必要性が論議されるべき。それは沖縄だけでなく日本という国全体の問題として。
米軍の「必要性」を論議しないから、どこの県でも「基地はいらない、米軍はいらない」ってことになる。必要なら国民等しく共通の問題として捉えない限り、なんの解決策も生まれないのではと。土台の話をしないで屋根瓦の置き場所を言い合っているような。
何を今更、そもそも論なのかといわれるようですが、前にも言いましたし書きました。あらためて話の筋が違うって言いたくなって。
「ノーと言える日本」とまでは言わないまでも、日本の国民感情よりもアメリカのご機嫌伺いに重きが置かれているような。「属国意識」が抜けていないような。
基地問題をめぐる日々の報道。表面を追うだけの報道を見ていると、やはり「筋違い」と言いたくなる。普天間基地周辺住民の「苦悩」を見る、聞く度に、どうも「何かが違う」って思ってしまう・・・。