2010年9月29日水曜日

「声明」のコラボ

声明。仏教の宗教音楽のようなもの。あは、なんて安易な理解。「せいめい」ではありませんよ、「しょうみょう」です。


友人のフルート奏者佐藤眞人の年一回のコンサート。毎回趣向を凝らしてくるのですが、今回はなんとフルートと声明のコラボ。僧侶5人が声明をやるのに合わせてフルートがからむ。「洋」と「和」。


コンサートのタイトルは「饗和」。声明の後は琴。


音楽家のいろいろな試みは面白いものです。


声明もじっくり初めて聴きましたが、これまたなんとも素晴らしいもの。男性コーラス、ハーモニーの美しい響き。ドプラーのハンガリア田園幻想曲がからむ。


宗教には音楽がつきもの。教会での聖歌隊の調べを聴いているような気分。


声明を演じたのは郡山にある真言宗のお寺、如宝寺の僧侶。ここには三宝会という声明をもっぱら"修行"している僧がいると。


誰が名付けたか。芸術の秋。その小さな秋の光景。


僧侶に合わせて紋付羽織袴の眞人さんのステージ衣装。似合っていたのかどうかは・・・・(爆)。


往時の「日中共同声明」は、その精神は、その文言は、今どう生かされているのか。うん、仏教とて中国伝来のもの。当時の中国は今の人民共和国とは大違いだったんですが。


「しょうみょう」の重々しさ。「せいめい」の軽さ。



2010年9月28日火曜日

嗚呼、煙よ、煙。

来月からの煙草値上げを前にテレビも新聞も特集、特集。煙草税の仕組みから始まって健康問題。税制の在り方まで。次は酒税とやらで消費税議論にまで。喫煙者、それをなぜか愛煙家と呼ぶ。亭主は喫煙者。されど愛煙家と呼ばれると甚だ抵抗あり。


そして、世の流れの恐ろしさ。喫煙者は「悪人」。健康被害への「加害者」という位置づけ。


喫煙の是非を問うのでは無く。一箱410円。もはや経済的に出費不可能と。一日一箱。一か月30箱。1万2千円か。無理無理(笑)。


コンビニでとりあえずまとめ買い。数カートン。それが無くなる頃。かねがね言われておりました禁煙外来のお世話になるっきゃない。悲しい(笑)現実であります。


メディアの煙草値上げ特集を紫煙をくゆらせながら見ている(爆)亭主。


昔話をしても何の意味もないけれどー。シケモク拾ってきて巻きなおし。煙草の煙や煙草をくゆらす姿はテレビでも映画でも意味を持った映像としてよく使われた。


テレビの煙草報道。喫煙者の映像は大方アップ。口元。いかにも「毒」をふりまいているような「恣意的カット」。あ、これは僻目です(爆)。


昔のつかわれ方はとにかくサマになっていた。足元に落とした吸殻の本数。彼女を待っていた時間の無言の表現とか。


ああ、お別れ近づいたのか。煙よ、煙よ、煙さん。(爆)。昼飯、300円以下のもので済ませよう(笑)。



2010年9月27日月曜日

弟の入院

亭主には弟がいます。妹は二人。なんと年子(としご)。死語かな。一つずつの年齢差。


この弟、なぜか兄に似ず"優秀"なのであります。長じてからはけっこう無口であり、物を書かせれば饒舌なんですが。今も半分現役で仕事しているらしい。


長じて顔も頭の薄さも似てきて。お互いに嫌だ、嫌だといっているのですが。孫一人おり。どうも孫守りに専念している様子。


その弟がなんと大動脈溜とかで。本日より入院の知らせ。脳ドッグみたいなところで見つかった瘤。もちろん破裂していないので日常生活には問題なかったんですがついに入院、治療を決意。頭を数センチ切った瘤のある血管をクリップで止めるってことらしい。止めておけばよしんば破裂しても大事には至らないってことらしく。


その手術を明後日やるとか。本人もけろっとしているし。ま、問題なく終わると思うのですが。


高血圧だの糖尿だのと「高齢者」になれば大方は持っている持病。頭の中に瘤とはちょっと想定外。


「しばしの入院、楽しんでこいや」って電話で言ってやりましたが。本と落語のCD持って入院するそうです。退院したらそのCDをコピーしてもらおう。


顔が似てくるということは病気も似てくるのか(笑)。いや、亭主にはその気配無し。先頃の検査では「梗塞痕」は散見されたと言われましたが。年をとるとだいたいあるものですよって言われて。脳みそは活性化を止め、物忘れ、失せ物多々の日々ではあるのですが。「お前もちゃんと脳の検査は定期的にやれよ」と弟様の説教あり(笑)。


きゃつのことだからたぶん闘病記、入院観察記どもコマメに記してくるんでしょう。退院後に会ったらひとくさりありそう。


「病院ではからから亭見られないのが残念~」などと殊勝なことを言いやがって(爆)。


手術の翌日は亭主も東京行きの予定あり。たぶん集中治療室にいるであろうきゃつの顔を見に行って来ようと。


見舞に行ったら「ついでに検査しましょうか」なんていわれないようにしないと(爆)。


動脈溜の出来る原因は知らず。やはり一般的には年の為せる故か。老犬介護の身。何かと年と健康には折に触れ気になるもの。気にはなるけど不肖の兄、風邪ひく程度でなぜか元気。


肺の病気で背中切られ肺摘出。背中を切って肺を摘出され、盲腸切られた経験はあれど頭を切られた経験無し。どんなんだろうね。頭を切られるって気分。髪も亭主に似て薄いから、剃られてもそんなに異形になるとは思えないけど。


2,3週間入院とか。出所してきたら頭見て笑ってやろうっと。



2010年9月26日日曜日

「脅し」は一度では済まない

中国漁船(?)の船長釈放。特別機で帰国。空港でVサイン。やってらんね。これにて一件落着と思いきや。はい、石原都知事はたまにはいいこと言う。「やくざと同じ」。そうです。なんだかんだと脅しをかけてきて、これだけ飲めば、この要求を飲めば終わりと思っての政治判断。外交音痴。やくざと同じ手口。はい、次なる要求。謝罪と賠償。いったん屈すれば要求をエスカレートさせるのは「脅し」の常とう手段。


相撲界の野球賭博でやくざが要求をエスカレートさせたのと同じじゃありませんか。


外交音痴の菅政権。駆け引きさえ知らず。経済制裁だとか、このままでは戦争だとか。そんな話に惑わされ。温の顔の中には冷あり。


外交音痴の菅政権に一泡吹かせようと画策した奴もいるという「うがった」見方の方も。不可解な国中国と話が通じるのは大訪中団で乗り込んだ小沢君だけか。


脅しに屈する日本。諸外国の評価定まれりかも。


司法が政治判断するおかしなこの国の仕組み。司法に大局的判断あってはいけない。ついに衝突時のビデオも明らかにならず。


完敗。中国は乾杯。脅しや威嚇はまだまだ来ますよ。もう切るカードないでしょ。人質までとられて。


世界制覇もくろむ中国。交流やめてみたら。そう言いたくもなるような。「オソマツクン」だけですめばいいのですがね。



2010年9月24日金曜日

秋相落日

司法の根幹を揺るがしかねないFD改竄事件。どうも「組織ぐるみ」のような様相すら。正義とは何かがさっぱり解らなくなり。


秋霜烈日ともじって秋相落日って新語作ってしまう始末(笑)。作ってみたら何となく季節感あり(爆)。検察の実相を言えているような感もあり。


秋の装い、気配が一挙に。たった一日で10度も違うってどういうこと。体調も追いつかない。着る物にも困る。あわてて取り出す毛布。


秋の相、顔が現れると日が落ちるのも早い。秋の日はつるべ落としとはよく言ったもんだ。突然訪れた季節の変化。明日のことはわからない。


突然と言えば。何だろう。あの中国の態度、やり方。裏あり。裏のまた裏あり。「外交交渉」裏でやっているんだけどさっぱり見えない行方。中国の真意めぐる憶測も千差万別。理解し難い中国政府指導部。日本政府は「粛々と対応」の一点張り。粛々って意味が不明。「つつむさま」「静かにひっそりとしたさま」「おごそかなさま」と辞書にはあり。


検察の権威は地に落ち。まさに落日。


突然不具合起こすパソコン。まさか気候のせいでは無いんでしょうが。


せめて見たい。真っ赤な夕日を。燃える落日の瞬間を。自然の営みのですよ。



2010年9月22日水曜日

今宵は月も出ぬような

本日は中秋の名月。お月見です。旧歴で八月十五日。十五夜。風情がある暦です。習わしです。


月下に酒宴を張り、詩歌を詠じ、すすきを飾り、月見団子・里芋・枝豆・栗などを盛って、神酒を備え月を眺めて楽しむ・・・。


ところがどっこい。今夜は雨の予報。どうもお月様は雲間に隠れてお出ましにならない様子。昨夜、前日の月をしばし眺めました。宴は無しですが。煌々と輝く月。傍にお供のような風情の星が一つ。無粋な亭主も詩情にかられるような。



  待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月の出ぬそうな


竹久夢二の句に思いを託し。今夜は出ないようだから。待ち人はいないけど(爆)。


多分、お月さまも人間社会に呆れかえって、顔を出したくないのでしょう。検察官が「悪事」を働く。それも、もしかしたら組織ぐるみかもしれない。正義の味方月光仮面だったのに。月と正義は結ばれていたのに。


正義の失せた人間社会に仮面だとしても月は遠慮したいのだ(笑)。


なぜか思い出す「竹取物語」、かぐや姫。月からの使者。


明日はお彼岸。彼岸に行った人を思い、此岸にいる自分を思う。かぐや姫は月に召された、彼岸に旅立った人のメタファ。


たぶん食べないと思うけど、すあまの月見団子だけは買ってみました。お彼岸に手向ける花を探しました。団子、お供え出来るといいけど。


   月も雲間の無きは嫌にて候。


たしか、村田珠光の句かと。お茶でも点ててみっかい(爆)。


 

 


2010年9月21日火曜日

「秋霜烈日」はいずこに

たまたま先日書いた検察官のいわば矜持、愁霜烈日。むなしい限りであります。


朝日新聞のスクープ。大特ダネ。久々新聞の新聞らしさを見た。お見事であります。


村木元厚労省局長の郵便不正事件。大阪地検特捜部の前田恒彦という奴が証拠品のフロッピーディスク改竄していた。とんでもないというか許せないというか。検察庁とは「罪人」をつくりあげるところと見たり。


検察庁総懺悔。前田は「処分」程度では済まされない。徹底的にやらねば。まともな検察官の中には無念の涙ながす者ありとか。特捜解体の勧め。特捜とは特権階級捜査部との異称も。特権階級をやるのでなく自分たちがそう思ってしまっている。


亭主の知人に検察官おり。特捜に行きたがっていた。検察官は概して功名心の塊。大きなヤマ一つあげれば出世。自己満足。パソコン駆使してデータ改竄し、証拠にしようとは。盗人にも五分の理というがこの件、一分も「理」はない。


前田恒彦。大物を担当してきた経歴ありとか。守屋防衛庁次官とか田中森一とか陸山会事件の秘書とか。どうりで。みな公判で否認する。


法治国家日本はこういう奴らによって維持されているのかと思うと・・・・。正義ってどこに。


正義ついでに。尖閣列島沖での中国漁船と海上保安庁船との衝突事件。この中国の反応っていったいなんだい。とんでもない「覇権国家」。政治問題にすぐ民間を巻き込む国。日本を抜いた経済超大国。


中国市場に参入して大儲けした企業、大儲けを企んで居る人達・・・。さてさて困っているでしょうな。中国人に物を買って貰い、景気浮揚の一助としたいとしていた政治家含めて関係者。めんくらっているでしょうね。


「領土問題」。宗教戦争を除いてあまねく国際紛争の火種。それはかっての我が国とて同じ。人類はどこまでも領土欲が強いのであり。


北方領土、尖閣。我が国が抱える領土問題解決の道筋は付け難し。されど乗り越えねば。


小泉判断。尖閣の政治的解決。これが悪しき慣例となったとかならないとか。外に敵をつくり内部統治。毛沢東の手法。いまだその呪縛から抜けられない中国かとも。菅にいかなる策ありやと。


早く衝突時のテープって公開したら。正義はどちらか解るのなら。



2010年9月20日月曜日

「高齢者」と「個人情報」と

はい、今日は敬老の日ですね。全然敬われてはいないと思うけど(爆)。


高齢者、65歳以上を言うのだそうですが、毎年増える一方。なんとも言い難し。


年寄りの孤独化だとか、孤立だとか。所在不明の100歳以上問題だとか。死んだのを隠して「年金」受け取るこどもだとか。


何とかしなければ。そう、みんな思っています。行政では手がまわらずとかで「見守り」「見回り」を地域社会で。民生委員にとか。民生委員さんてみんなよくやっていると。


支えあう世の中。支えあわねばならぬ世の中。どうもそれを阻害しているのが個人情報とかプライバシーとかって気が。高齢者の情報を役所はなかなか民生委員含めて民間に出さない。


個人情報保護っていったい何の役に立ち、どれだけ良い制度、法律なのか。どっかでは"漏えい"しきりだというのに。


"闇社会"のネットではなんでもあり、個人情報なるもの行きかい。"表社会"では法律盾にいきわたらず。町内会の連絡先まで伏せられるこの世。「保護」することが社会の成育のためにいかほどの役割をはたしているのかと。


高齢者の範疇に入っているけどおかげさまでいちおう五体満足の亭主。高齢者としての意識欠如(爆)。


亭主が抱える高齢者問題は「犬」だけ。人間なら100歳近いであろうワン公の面倒。家族支えあいってか(爆)。徘徊の日々。顔面をどこかにぶつけるらしく顔は傷だらけと。「かかりつけ医」も献身的に面倒みてくれている。この高齢犬は「運」強いかも(笑)。


顔面防護のためにヘッドギアならぬガードを施された犬の写真を、敬老の日の「お笑いぐさ」に。 敬老の日の「プレゼント」は特に無し。
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書評と広告と

日曜日の新聞。「楽しみ」の一つが書評欄。とりあえずいろんな「本」に出会える。紙面の広告も本の広告がやたら多く。少々ゆっくり紙面に目を通すと本を10冊以上読んだ「感覚」にとらわれ(笑)。


書評欄を読んでいると無性にその本が買いたくなってくる。困ったもんだ。カネは無いし、いくら買いこんでも読破できる時間と気力、体力の限界あり。だけどほしくなる。


今も未読の本が数冊たまっており、読んでるうちに書き物の参考や何やらで書棚の古い本をあらためて読みなおさねばならず。なかなか読破出来ない。


死ぬまで傍から本を手放したくはないが、一体、後どれくらいの本がよめるのだろうかと。


書評は亭主にとってはなにやら購買意欲をそそるもの(爆)。うん、まさに良質の広告だ(爆)。


書評欄ではないけれど。朝日には惜別という最近亡くなった方への追悼文がある。旧知の記者が、元三和銀行頭取の川勝堅二さんを書いていた。相当の読書家だったらしい。「本をむさぼり読み、いつも時代を考えていた」とある。亡くなったのが86歳。今年の7月。86歳の誕生日の日記にはこうあったと。「これからの日本の途は険しい。体力、気力、知力を養い、人生に向かってほしい」と若い人に期待する言葉があったとか。そして、亡くなった日。読みかけの都留重人著作集が開いたままだったーそう記事は閉められている。


亭主は何を開いたまま死ぬのか。予定するわけにはいきませんが。こういう死に方っていいな。


もうひとつ。読書欄に、画家の安野光雅さんの一文あり。アンデルセンの"即興詩人"を森鴎外が訳した話。


安野さんの文。森鴎外の訳で、「的」が一度も使われていないことが勉強になった。今は「○○的」と概念をひろげて、話が率直すぎるのを緩和しているむきがあるが、文字通り的(まと)がぼんやりとする。私は以後、「的」の字を使うまいと心に決めている。


「ワタシ的には」「自分的には」。そんな日常語氾濫。粒々塾でも「曖昧語」の典型だとして問題提起したばかり。亭主の日ごろのうっぷんを晴らしてくれ、しかも的確に言ってのけてくれたことに我が意を得たり。


日曜の新聞はけっこう楽しいかも。



2010年9月18日土曜日

「小沢神話」の呪縛

菅改造内閣発足。そして踊る「脱小沢」「小沢はずし」の文字。言葉。メディア。やれ小沢グループがどうしたとか小沢に投票した人だとか。色分け楽しんでいるようで。


小沢神話、小沢伝説。もう飽き飽きうんざり。なんでも小沢を基軸に考えればいいという呪縛から解き放たれていないマスコミ。


菅内閣の命運も、今後の政局も、国会も。すべて小沢次第ってな話に。


「小沢神話」。マスコミが作り出したもの。別に神様でもないのに。それに乗っかったのが永田町棲息者。寄生虫。小沢を中心に世の中回っているんじゃないよ。乗せられた国民までもがインタビューでいっちょまえの小沢解説。


菅内閣が脱小沢だとか、脱小沢だからいいとか悪いとか。そんな解説もうけっこう。何の腹の足しにもならず。「脱」っすべき、はマスコミが小沢神話から解き放たれること。


新聞の社説。「いつまでも脱小沢、親小沢だとか言って党内抗争に興じている暇はない」。はい、そう論じた新聞の解説記事には「小沢神話」のごとき、まさにマインドコントロールされたような視点でしか政界を見られない記事が散見されているし。


小沢基軸政局パラダイム。その視点が出発点だから、その先はおして知るべし。政治家も与野党問わずそれに乗せられ。


小沢に「神話」が出来るっちゅうことは、他に「人」がいないってことの証左かも。漂流する政界、とどまるところをしらず。


メディアは神話の呪縛にいつまでとらわれるつもりか。視点を、基軸を。軸足を変えない限りあなたたちの"崩落"が始まるよ。



2010年9月17日金曜日

落葉霜風

季節はずれの言葉のようですが。友人の増子哲舟さんが主宰する書道会に彼が出品した作品。


「落葉霜風を逐い、幽人松竹を愛す」。落葉逐霜風幽人愛松竹。出典はわかりませんが、人の世を季節になぞらえると、なかなか含蓄がある言葉。風は落葉をどこかに持って行き、浮世離れして静かに暮らしてる人は動かない松や竹を愛でているってことか。すごい直訳(爆)。


この書展、テーマは「書きたいものを書く」ということだそうで、出品した122人がそれぞれ自分が書きたいと思う字を書いたとか。


ということならば、増子哲舟氏はこの句で何を訴えたかったのか。まさか猛暑に耐えかねて一挙に晩秋を望んだのか(笑)。自らを幽人としたのか。


いやだね。宿題出されたみたいで(爆)。


この句を見ていて思い出した言葉。秋霜烈日。秋の冷たい霜や、夏の烈しい日差しの気候に例え、刑罰、権威が極めて厳しく、厳かであることを言った言葉。検察官のバッジ。検事の職務の理想をいったもの。


過日の厚労省村木局長裁判。ずさんな検事調書。無罪の判決に控訴断念。胸のバッジが泣いているっていいたくなるような。


霜の如き厳しさばかりでなく、春の日差しのような暖かさも必要って意味も込められているという説も。


頭髪霜を覆い。年を取ると「霜」って字が気になるもんなんです(爆)。はてさて政界人に秋霜烈日の如き気概ありや。



2010年9月16日木曜日

「掃育」だとか

何かで見たのですが、今、小学校などでは「掃育」というのが取り入れられているそうです。


掃育。つまり掃除教育ってことでしょう。なんでも略語化する当世の言語事情。それはともかく。


これの極めつけはトイレ掃除だそうです。決して悪いことではない、大賛成。結果を子供たちも喜んでいたり遣り甲斐を感じているとか。はい、直接見聞きしたわけではありませんが。


おりしも。「トイレの神様」って歌が静かなブームを巻き起こしているとか。植村花菜さんとかいう関西弁のシンンガーソングライター。彼女と彼女のおばあちゃんとの物語を綴った歌。


おばあちゃんの教え。「トイレには神様がいて、トイレをきれいに掃除すると、あんたも綺麗になれるんやで」。長い曲で単調なメロディーなんですが心を打つものがあります。


トイレ掃除で思い出したこと。今はどうかはしりませんが10年以上前にはやっていた社員教育。京都の一燈園というところがやっていたトイレ掃除。参加者は全員作業服に着替え、掃除用具一式を持たされて街へ。


いきなりの訪問。「トイレ掃除させてください」。参加した知人曰く。「何がつらいかって、掃除じゃなくて、なかなか家に上げてくれないこと。そりゃ見知らぬ人が突然来て、掃除させてくれって言われりゃ誰だって怪しむ。断られて次に家に向かう。その時が一番つらかったかな。運よく掃除させてもらえたらすごく嬉しかった」。


掃育がこの一燈園の"修行"に影響されて行われているかどうかはしりませんが。


振り返って小学校時代。たしかに掃除当番ってのがありました。教室から便所まで。たまたま当たった便所掃除は嫌だった。あの頃は洗剤とかブラシなんて無かったし。教室の掃除は机の移動で任務ごまかしていたし。床掃除は勢い女子の担当だったような。


「トイレの汚れは心の汚れ」。だれもそんなことは言ってないようですが、たしかに綺麗なトイレを見るとその家や店の心意気がわかる。


あ、そうだ。大学時代のアルバイト。喫茶店のボーイ。最後のお仕事はトイレ掃除だった。誰が使ったかもわからない汚いトイレ・・・。仕事のうちと割り切ってやっていただけ。気持は籠っていなかたような。ママのチェックは厳しかった(笑)。


事務所の古い和式トイレ。しばらく掃除しておらず。掃除したあとはピカピカにはならないまでもどこか気分爽快だった。


そろそろ汚れが目に付き始めた。朽ちた木枠にゴミも落ちている。そろそろやらなくっちゃ。しかし面倒。決心必要。ああ、だれか・・。


トイレ掃除夫。掃除婦ただいま募集中。ただし無給(爆)。玄関い張り紙してみようかな(爆)。自助努力の全く欠けているからから亭亭主。


日本国の「大掃除」には興味があるというのに(笑)。



2010年9月15日水曜日

「代表選」と「空気」と

民主党代表選が終わり。やっと永田町にも秋風が。頭冷やしてくださいね。


菅再選。茨の道か。混濁の道か。とりあえず試される人事の手腕。人事の妙は経営の妙でもあるとか。人事で菅政権の帰趨が占えるかとも。それは小沢を取り込めるかどうかということでなく。


菅再選。それは「空気」に支配された結果かとも。積極的菅支持ではなく「空気」による支持。小説の世界の「空気さなぎ」とは違うとしても。


「政治とカネ」。その数文字が作った空気。「安易に総理を変えるべきでない」。そんな空気が作った結果。真実や実態とはややかけ離れた漠然とした空気。それを「悪」とする空気。そして「クリーン」というこれまた曖昧模糊とした空気。


一兵卒だとか命を賭けるとか。まさに戦時中の時代遅れのような言葉が躍り。そう、あの敗戦に至る戦争もいわば「空気」のなせる業だった。国民は空気に踊らされ、命を捨てた。


今日から永田町を覆う空気はどんな空気か。官邸に漂う空気はどんな空気か。メディアはその通気口であり、もしかしたら製作者でもあり。


政界を覆う空気が、不景気という字の中にある「気」を追い払うことができるのか。目下、円高加速とか。これも空気か。


戦い済んで日が暮れて。双方陣を引いても「戦」の余韻は永田町空気の中に澱んでおり・・。



2010年9月14日火曜日

分裂、再編の奨め

朝はもう秋の気配。Tシャツ一枚肌寒く。ゲンキと恒例の散歩。ゲンキが小用を足した草むらの脇に可憐な野の花が。たぶんツユクサ。数輪手折って持ち帰り。朝の食卓の風情に。野の草、やがて夕方には枯れるのか。


いつものように澪を病院に迎えに。亭主のベッドに寝かせ。とりあえずは寝ている、寝ていたようで。


今日は民主党の代表選。泥仕合も終わり。小沢か菅か。どっちでもいいと言えばどっちでもいい。特に何が変わるってことじゃないだろうし。剛腕期待と言ってもあくまでも期待。幻想とも。


数カ月で総理変えるのは国際信用にもかかわり、政策が遂行できない。続けたからといって何かが遂行されるのか。何も見えない。


メディアは票読みに必死。菅がやや有利というのが大方の下馬評。あと数時間でわかる結果。朝から詮索しても意味なし。


ただ、思い出す故事。角福戦争。党大会本番。多くの票が田中から福田に「寝返った」。大平に回した"余裕"の裏目もあっただろうが。田中陣営は驚いた。


福田と大平の戦い。下馬評は完全の福田優位。後藤田正晴指揮下の軍団。予備選の票をひっくりかえし。「天の声にも変な声がある」と福田に言わしめた。


小沢、菅、双方に間者、スパイ、サクラ、いろいろ潜り込んだり陽動したりって当然ありだと。あけてびっくり玉手箱ってなるのか。


テレビでの連日の双方代理人の論争。とても一つの政党とは思えぬくらい。与野党って感じ。選挙後は挙党態勢っていうが、あれだけののしりあい、スキャンダルぶつけ、共に天を戴かずの様相だった両陣営。元の鞘に収まるてのは「まやかし」以外の何物でもなし。サッカーのノーサイドとはわけが違う。


どっちが勝っても政権運営おぼつかないことこの上なし。政治空白よろしくないと識者は口を揃えるが、どのみち空白な政治しかしてこなかった。


思い切って分裂、政界再編の道を歩んだほうが国民には分かりやすい。挙党態勢なんて口先だけのつじつま合わせ。政治家だから言える"特殊用語"。怨念を引きずるのは人の世の常。


分裂、再編、総選挙。はい。すっきりさせましょうよ。


無心に咲く野辺の花は人の世の「喧騒」には目もくれず。ただ黙って目をこころをなごやかにさせてくれおり。一炊の命だと教えてくれおり。



2010年9月13日月曜日

「頑張れ」が蔓延する国

「頑張れ」「ガンバロウ!」。特に「頑張ろう」はちょっと前までは労働者の合言葉だったような。「ガンバロウ。突き上げる空にくろがねの男のこぶしがある。燃え上がる女のこぶしがある。戦いはここから、戦いは今から」。一世を風靡した労働歌。三井三池炭鉱闘争。1960年。東の安保、西の三池。


以来、この「がんばろう」という歌は労働運動、反体制運動のシンボルともなった。メーデーでは必ず歌われ、各所で起きたストライキでも皆が唱和した。こぶしを突き上げ鉢巻き姿で「頑張ろう」を三唱。


それから50年。いやもうちょっと前から。この頑張ろうが"復権"。日本中至る所でガンバロウの嵐。


明日に迫った民主党の代表選。小沢も菅も"老いた"こぶしを突き上げて、これほど似合わないポーズはないこと百も承知の上でみんなでガンバロウ!!。


もちろん自民党大会でも最後は頑張ろうコール。


頑張る。困難に耐え、努力してやりとおすこと。辞書にはそうある。語源は「眼を張る」。眼張るや目張るが転じたと。目をつけてやる、一定の場所から動かないというような意味。我を張るっていうのもあるとか。


集会でもテレビでもどこでもここでも候補者は頑張ります。頑張っていきたいと。


使われすぎてあまり大きな意味を持たなくなったような言葉にされてしまったような。


別に代表選だけではない。あらゆるところで頑張ろうが言われる日々。おはよう、こんにちは。日常の挨拶よりも多く使われているような「頑張って」。


きょうも一日頑張ります。頑張っていこう。職場で、私信で交わされる言葉。


長い間病床に伏す人を見舞い。うまい言葉が見つからず思わず言った「頑張ってね」。「俺はもう十分頑張った。これ以上何を頑張れっていうの」。


災害地を見舞。「頑張ってくださいね」。「もう十分頑張っているさ。これ以上何をすればいいんだよ。そんな言葉聞き飽きた。何の足しにもならない」。これらの返事なんと聞く。


思い出すこの二例。「頑張ろう、頑張って」という言葉にしか思いを託せないこのもどかしさ。幅広い日本語、語彙の中からもなかなか見つけられない励ましの言葉。


政治家が突き上げるこぶし。ガンバロウの合言葉。自分たちの士気を鼓舞しようとするだけのもの。国民のために頑張りますって言われても、いまさら何をと言いたくなる。


亭主も日々、思わず使ってしまいます。頑張ってねと。そして、その無味乾燥さ、その言葉を発したあとから襲ってくる虚脱感のようなものにさいなまれます。


労働歌を歌いながら「ガンバロウ!」ってやっていた時には妙に充実感があったものの。結果は何も生まなかったものの。


「前畑がんばれ、前畑がんばれ」。あのアナウンサーの実況が初めて聞いた頑張ろうだたのか。「お国のために頑張ってきます」。そう言って出かけた出征兵士の言葉を幼心に覚えているような、いないような。


とにかく、今日も「頑張って」が日本中に行き交っています。



2010年9月10日金曜日

「シャツはズボンの中に入れなさい」

いわゆるTシャツでも、Yシャツでも、ポロシャツでも、ズボンの中に入れる。そういう装いが正しいとされてきました。そう親や先生に言われて「きちんとした服装」をしてきました。


ゴルフ場でもポロシャツは裾をズボンの中にしまうのが正装。ダランと着ているのはマナー違反でした。


子供のころの運動会。上に着ているものは運動ズボンの中に入れていました。パジャマも上着をズボンの中にしまい。それのほうが腹を冷やさないし。


いつの頃からか。シャツを上に出すのが流行りになったようで。もうずいぶん前。病院に入院した時。患者さんは皆パジャマの裾を上に出している。これには驚きました。初めての体験。はい、上に出して着ていましたよ。違和感感じながら。


とにかく今はシャツはズボンの中に入れない。上に出す。それが当然のように。スーツの時のワイシャツは中に入っているようですが。亭主も世の流れに従い。家にいる時や散歩の時は、Tシャツから何から裾を出しています(笑)。シャツをズボンの中に入れているのは学校の先生の運動着姿くらいか(爆)。


何のCMだったか。電車の中でキチンとした格好の高校生が本を読んでいる。同級生らしいのが乗ってくる。シャツを上からたらし。ズボンも腰まで下げて。とたんにその真面目そうな生徒もシャツをあわてて出す。


スポーツジムでのおじさんも今は皆シャツは上から出している。お姉ちゃんはおへそ出している。


「服装の乱れは心の乱れ」なんていわれて育ったけど。やはりCM。キムタクがおじいちゃんに言われているのは服装ではなく「部屋の乱れは心の乱れ」。


シャツ一枚の着方も時代によって変わる。あのずるんとした男の子のファション、だらしないとしかみえないんだけど。彼らにすれば格好いい。


大人が若者の真似をする時代。シャツはズボンの中に入れたほうがなんとなく身が引き締まる思いがするのですが。


あまり意味のないきょうのからから亭。秋風のなせる業か(爆)。



2010年9月9日木曜日

ポイント、ポイント。

なんだか世の中、「ポイント」って言葉が氾濫。エコポイント、ポイントカード、そして民主党代表選までポイント制。


ポイントー。得点、要点、地点とかいう意味。要は得点ってことか。片や、印刷業界というか、活字の大きさもポイントといいます。フォントとポイントどう違う。よくわかりません。


飽き飽きはしないまでも、報道は連日小沢対菅のポイント報道。なんか「民意」、それは実際には大方の民意ではなく、民主党関係者のクローズドな"民意"なんですが、意思がポイントという数字に置き換えられる。これしか方法は無いのか。


スーパーなどの買い物ポイントは貯めればなんか特典あり。カードの類もポイント制あるし。代表選のポイントは。なにか特典ありや(笑)。


両陣営、ポイント稼ぎに大わらわ。なんとなく滑稽にも見えてきて。ま、しっかり稼ぎなさい。どの道、何かが大きく変わるわけでもないだろうし。


代表選さなかの鈴木宗男上告棄却。やがて収監。受刑者。なんでこの時期の最高裁決定。ムネオが押す小沢。ポイント減と嘆く向きありとか。なにやらきな臭いと指摘する向きあり。まんざら見当はずれとも思えず。


「政治とカネ」「政治とカネ」。クリーン、クリーン。何がクリーンで何がクリーンでないのか。「クリーニング屋じゃあるまいし」。真紀子のダジャレもうなずけないこともなし。


ポイントはカネ使わないと、買い物しないと貯まらない。代表選、ポイントをカネで買ってるてことまさか無いとは思うけど。ポイントって聞くと思わずいくら買うといくらもらえるのって貧乏人根性丸出しになってきそう。


急激な秋風。身にしみおり候。ポイント報道でメディアはポイント稼いでいるのかな(爆)。



2010年9月8日水曜日

「干天の慈雨」なのか

干天の慈雨。日照り続きに降る待望の雨を言う言葉。まさに久しぶりの雨らしい雨。気温も昨日に比べて一挙に10度近くも下がり。田畑や動植物にとってはまさに恵みの雨でしょうが。


台風がもたらしている雨。台風は今、福井県に上陸とか。どうも進路が東寄りに変わり、関東、東海直撃の様子。列島横断。大雨とのこと。東北も。


熱中症の次は台風被害かと。お天道さまのなさることは人知抗せずして。


頭(こうべ)をたれかかっている稲穂にも日照りとは別の被害あるかも。体調も意のままにならず。気温変化に即応出来なくなっており。


このまま慈雨で終われば良いのだけれど。


「待ち望むことがかなえられること」とか「困難に陥っている時に助けがくること」って意味が転じてあります。待ち望むコトってとりあえずは確たる事無いし。困難にも究極陥ってないし。なまくら中途半端の亭主の人生。


久方の雨をどう捉えるのか。恵みの雨と歓迎すべきなのか、被害の予感におびえるべきなのか。ハーバード大学のサンデル教授じゃないけれど「正義」としての雨をどう考えるか。


昨夜は粒々塾の例会。「うどん供えて母よわたしもいただきまする」って話をしたけれど。「おかあさん」っていう普通名詞に込められて深い固有名詞的意味について話をしたけれど。


山頭火はこの雨をどう詠む・・・・。



2010年9月7日火曜日

なりすまし

漢字で書けば成り済ましってことか。すっかりそのものになってしまう。実際はそうでないのに、成りきった風をする。そっくりさんとはちょっと違うけど。なりすまし。


世の中、ツイッターなるものが大流行。亭主の周りでも若い人から60過ぎのおっちゃんまでけっこうやっています。亭主はーー。はい、知人の「つぶやき」を時々パソコンで見るってとこか。自分からツイート、つぶやきする気は無し。


ネット社会、携帯社会。いろんなモノが生まれるんですね。一日30回以上もつぶやいている人も。今何食ったとか、今どこにいるとか。「なう」っていうのがその道の「掟」のようで。


過日、知人のツイート見てたら「小沢一郎がツイッターはじめた」って。すかさずこれには返信しましたよ。「偽物だよ」って。ご本人、納得されたようで。そこそこ政治がお好きなお方。いろんな政治家のツィートをみているらしく。小沢がつぶやいていると信じておられました。


亭主の直感。あり得ない。


なんか昨日のTBSの番組でも「小沢さんがツイッターはじめた」とやったそうです。調べたところやはり偽物。訂正、お詫び放送。「なりすまし」でしたって。ほんとテレビ局ってどこかお粗末ですよね。とにかく"情報"が乱れ飛ぶ時代。真偽の確認おさおさ怠りあるべからず。


別に「なりすまし」がなんか言ったとしてもどうってことはないと思うけど。ネットでは人気上昇中の小沢くんだけにすぐに飛びつく。


なりすましといえば親の死体隠して年金受け取っているのも一種のなりすまし。他にもなりすましはいろんな場面でいるはず、あるはず。おれおれ詐欺とか振り込め詐欺もなりすまし。こちはれっきとした犯罪。


亭主も誰かになりすましてみようかな。うーん。なりすましたい人思い浮かばず(笑)。季節もどこかのなりすましなりや。


しかし、もし小沢君がツイッターやったら面白いかも。記者会見拒否して「ツイッターに書いてあります」なんて(笑)。ツイッターにも"炎上"あるのかな(爆)。



2010年9月6日月曜日

春夏冬中

今でも時々見掛けますよね。こんな看板。「春夏冬中」。春夏秋冬の秋が無い。あきがない。あきない。商い。商い中って読むという駄洒落看板。蕎麦屋さんや居酒屋さんにあります。「営業中」よりちょっと洒落ているってことなのか。


そんな看板見てる場合じゃない。季節に秋が無くなった。日本列島春夏冬中。確かに朝晩吹く風はいささか秋の気配はあるものの。気温は・・・。きのうだってどこかで39,9度。


「今年は秋がなさそうですね」。日常会話はこんな言葉ばかり。秋が無かった冬ってどうなるのか。暖冬なのか。大雪の毎日となるのか。動あれば反動あり。どうも厳冬の予感。


駄洒落ついでに。商いは飽きないに通じる。商売は飽きないでやらないとという「教え」。でもこの暑さにはもう飽き飽きです。体調よろしくない人そここに。


今朝、新聞読もうとしたら字が見えない。ぼやけて二重に見え。眼鏡を上下させてみようとするも変わらず。ふと手触りのおかしさに気づき。なんと片方のレンズが無い。道理で朝起きた時から目が見えない、熱中症かと疑うような感じだった。さてさてレンズや何処に。


探し出したらベッドの横の本の上にありました。レンズくん。何時の間にはずれたのか。ベッド脇は燦々たる陽光差し込んでおり。


眼鏡屋さんに大急ぎで。「暑さでレンズやフレームが変形したんでしょうね。時々いらっしゃいますよ、そんなお客さん。車の中に放置してたりしませんでしたか」。はい、運転中はサングラス。放置と言えば放置。


ついに熱中症が眼鏡にも(爆)。


眼鏡の汚れもぬぐって貰い。曇り無き目で世の中見ても。飽きずに"熱弁"ふるう民主党の方々。飽きずに繰り返される世論調査。既存メディアの世論調査では圧倒的に菅。ネットの世論調査では圧倒的に小沢。ますますわからなくなる世論調査というもの。


代表戦終了とともに秋が来るのか・・・。このくそ暑い中、関係者の皆様ご苦労様。



2010年9月3日金曜日

小沢にすり寄るメディア

非常に無口な男がいました。いつもほとんど喋らない。しゃべっても一言二言。いつも仏頂面している。


その人がある日かなりしゃべりました。しかも笑顔を見せて冗談も。周りは大騒ぎ。「しゃべった、笑った」。とたんに人気者に。


いつも喋りまくっている人がいました。ある時その人が無口になった。「どこか体の具合でも悪いんじゃないの」。避けるようになる。


こんな光景、皆様の身の回りにもありませんか。身に覚えはありませんか。


代表選に立候補してからの小沢くん、よく喋ります。色をなすこともあるけど、きわめて饒舌。笑顔さえみせる。


今朝のスーパーモーニングに出演した小沢くんはまさのその極致。しゃべり、笑い。民主党の議員さんもびっくり。「あの小沢さんがあんなに熱く政策を語るなんて」。


「すべてを変えるためには自分が変わらなくてはならない」。数年前小沢君が吐いた名文句。他人の受け売りですが。またぞろ、今度も変わろうと努力しているのか。少なくとも表面的には。


政治家ってカメレオンかい。


小沢節を拝聴していたテレビのレギュラー出演者。「あんな小沢さんの生の声を聞かれる場にいてよかった」だと。ばかばかしいにもほどがあるって。


小沢のご機嫌伺い、すり寄り。なんか"教祖さま"扱いのよう。"神話"をくつがえし、あらたな"神話"をつくろうってか。小沢戦略。なかなかの演技者だなって。



2010年9月2日木曜日

センセイ!

総理官邸。まだトロイカ幻想まっただ中だった時。鳩山くん登場。カメラが追う。すかさず総理番の記者の大声。女性。「おはようございます、鳩山センセイおはようございます」。鳩ちゃん無言で・・・。


この記者の大声にではなく「センセイ」という呼びかけに唖然、唖然。お前らどうなってるんだよ。


何時の頃からなんでしょうか。国会議員を「センセイ」と呼ぶのがあの世界の常識になっていました。トロイカ騒動の時も菅のことは総理と呼んだけど、鳩山や小沢のことを話すのに「ハトヤマセンセイは」とか「オザワセンセイは」とか、お互いを呼び合っている。


議員さんにたいする呼称のセンセイ。国会議員にとどまらず。県会も市会も町会も村会も。センセイ、センセイと呼び合う。


あの世界の符牒であるだけなら、ま、ご勝手にというところでしょうが。いやしくもマスコミの仕事に携わるものが公の場で「センセイ!」と絶叫するなんて。


先生とは「先に生まれた人」「学徳の優れた人。自分が師事する人。またその人に対する敬称」「学校の教師」「医師・弁護士など、指導的立場にある人対する敬称」と辞書にあります。議員さんをセンセイと呼ぶにはこのどれにあてはまっているのか。


辞書にはもう一つ。「他人を、親しみまたはからかって呼ぶ称」というのもあります。まさかマスコミが議員さんをからかっているとは思えませんが・・・。


なんで鳩山「さん」ではいけないのか。肩書き(たとえば前総理とか)で呼ぶならまだしも。


小沢グループと称し、頑張ろうの音頭をとった谷亮子さん。「小沢先生にお導きいただきたい」。うん、それなら、お導きならセンセイだけど(笑)。


最近、沖縄出身の歌手がうたう「先生」という歌が人気だそうです。歌詞には先生に対する思慕の念が綴られています。


最近、世間を騒がしたり、不埒なことをする学校の先生がニュースにしばしばなります。


ああ、いろんな先生、先生。


「先生と呼ばれるほどの馬鹿で無し」。かってある国会議員さんが言ってましたよ。


国会議員も医者も弁護士も。お互いを「センセイ」つけて呼び合う。これもなんか変



2010年9月1日水曜日

真夏の夜の夢

今日から9月。だというのに気候は真夏のまま。寝苦しい夜。おかしな夢を見てしまったのです。


東京の高級住宅地にある豪邸。昨夜、かまびすしい夕蝉の声をかき消すかのように男の泣き声が響いていました。「ママ、ぼくはいったい何だのだろう。一生懸命党の分裂を避けようとして、ボクも政界から忘れられられないように、頑張って存在感を示そうとしたのに。誰も言うことを聞いてくれない。ボクってこんな程度の男だったんだろうか・・・」。ママは慰めます。「ユキオちゃん、あなたはよくやったわよ、頑張ったわよ。おじいさまもきっと褒めてくだっっさるわよ。私もアナタのおかげで良い夢みさせて貰ったし」。「だって党内もマスコミもみんなボクのことを宇宙人の言葉で喋る伝書鳩なんてバカにしてるんだよ」。「いいじゃないの、元気を出しなさい。ほらお得意の鳩の物まねやってごらんなさい」。口を前に付きだして鳩の真似。ポー、ポーと。そのくちばしに一枚の紙をはさんでやりました。「政界引退」と書いた紙。「いやだ、いやだ、お母さんから貰ったお金も全部つぎこんだ党が・・・」。なかなか泣きやみません。「もうイカやタコの世界とは付き合うのをやめましょう。軽井沢に行ってバーベキュー三昧の暮らしをしましょう」。そうママはいうのですが。


やがて泣き疲れて眠ってしまい、今日の朝目覚め。また大声で叫びました。「ボクは大義に生きる、恩義に生きる。闇総軍になる!」と。


夢というのは非現実のものであります。