何かで見たのですが、今、小学校などでは「掃育」というのが取り入れられているそうです。
掃育。つまり掃除教育ってことでしょう。なんでも略語化する当世の言語事情。それはともかく。
これの極めつけはトイレ掃除だそうです。決して悪いことではない、大賛成。結果を子供たちも喜んでいたり遣り甲斐を感じているとか。はい、直接見聞きしたわけではありませんが。
おりしも。「トイレの神様」って歌が静かなブームを巻き起こしているとか。植村花菜さんとかいう関西弁のシンンガーソングライター。彼女と彼女のおばあちゃんとの物語を綴った歌。
おばあちゃんの教え。「トイレには神様がいて、トイレをきれいに掃除すると、あんたも綺麗になれるんやで」。長い曲で単調なメロディーなんですが心を打つものがあります。
トイレ掃除で思い出したこと。今はどうかはしりませんが10年以上前にはやっていた社員教育。京都の一燈園というところがやっていたトイレ掃除。参加者は全員作業服に着替え、掃除用具一式を持たされて街へ。
いきなりの訪問。「トイレ掃除させてください」。参加した知人曰く。「何がつらいかって、掃除じゃなくて、なかなか家に上げてくれないこと。そりゃ見知らぬ人が突然来て、掃除させてくれって言われりゃ誰だって怪しむ。断られて次に家に向かう。その時が一番つらかったかな。運よく掃除させてもらえたらすごく嬉しかった」。
掃育がこの一燈園の"修行"に影響されて行われているかどうかはしりませんが。
振り返って小学校時代。たしかに掃除当番ってのがありました。教室から便所まで。たまたま当たった便所掃除は嫌だった。あの頃は洗剤とかブラシなんて無かったし。教室の掃除は机の移動で任務ごまかしていたし。床掃除は勢い女子の担当だったような。
「トイレの汚れは心の汚れ」。だれもそんなことは言ってないようですが、たしかに綺麗なトイレを見るとその家や店の心意気がわかる。
あ、そうだ。大学時代のアルバイト。喫茶店のボーイ。最後のお仕事はトイレ掃除だった。誰が使ったかもわからない汚いトイレ・・・。仕事のうちと割り切ってやっていただけ。気持は籠っていなかたような。ママのチェックは厳しかった(笑)。
事務所の古い和式トイレ。しばらく掃除しておらず。掃除したあとはピカピカにはならないまでもどこか気分爽快だった。
そろそろ汚れが目に付き始めた。朽ちた木枠にゴミも落ちている。そろそろやらなくっちゃ。しかし面倒。決心必要。ああ、だれか・・。
トイレ掃除夫。掃除婦ただいま募集中。ただし無給(爆)。玄関い張り紙してみようかな(爆)。自助努力の全く欠けているからから亭亭主。
日本国の「大掃除」には興味があるというのに(笑)。