「頑張れ」「ガンバロウ!」。特に「頑張ろう」はちょっと前までは労働者の合言葉だったような。「ガンバロウ。突き上げる空にくろがねの男のこぶしがある。燃え上がる女のこぶしがある。戦いはここから、戦いは今から」。一世を風靡した労働歌。三井三池炭鉱闘争。1960年。東の安保、西の三池。
以来、この「がんばろう」という歌は労働運動、反体制運動のシンボルともなった。メーデーでは必ず歌われ、各所で起きたストライキでも皆が唱和した。こぶしを突き上げ鉢巻き姿で「頑張ろう」を三唱。
それから50年。いやもうちょっと前から。この頑張ろうが"復権"。日本中至る所でガンバロウの嵐。
明日に迫った民主党の代表選。小沢も菅も"老いた"こぶしを突き上げて、これほど似合わないポーズはないこと百も承知の上でみんなでガンバロウ!!。
もちろん自民党大会でも最後は頑張ろうコール。
頑張る。困難に耐え、努力してやりとおすこと。辞書にはそうある。語源は「眼を張る」。眼張るや目張るが転じたと。目をつけてやる、一定の場所から動かないというような意味。我を張るっていうのもあるとか。
集会でもテレビでもどこでもここでも候補者は頑張ります。頑張っていきたいと。
使われすぎてあまり大きな意味を持たなくなったような言葉にされてしまったような。
別に代表選だけではない。あらゆるところで頑張ろうが言われる日々。おはよう、こんにちは。日常の挨拶よりも多く使われているような「頑張って」。
きょうも一日頑張ります。頑張っていこう。職場で、私信で交わされる言葉。
長い間病床に伏す人を見舞い。うまい言葉が見つからず思わず言った「頑張ってね」。「俺はもう十分頑張った。これ以上何を頑張れっていうの」。
災害地を見舞。「頑張ってくださいね」。「もう十分頑張っているさ。これ以上何をすればいいんだよ。そんな言葉聞き飽きた。何の足しにもならない」。これらの返事なんと聞く。
思い出すこの二例。「頑張ろう、頑張って」という言葉にしか思いを託せないこのもどかしさ。幅広い日本語、語彙の中からもなかなか見つけられない励ましの言葉。
政治家が突き上げるこぶし。ガンバロウの合言葉。自分たちの士気を鼓舞しようとするだけのもの。国民のために頑張りますって言われても、いまさら何をと言いたくなる。
亭主も日々、思わず使ってしまいます。頑張ってねと。そして、その無味乾燥さ、その言葉を発したあとから襲ってくる虚脱感のようなものにさいなまれます。
労働歌を歌いながら「ガンバロウ!」ってやっていた時には妙に充実感があったものの。結果は何も生まなかったものの。
「前畑がんばれ、前畑がんばれ」。あのアナウンサーの実況が初めて聞いた頑張ろうだたのか。「お国のために頑張ってきます」。そう言って出かけた出征兵士の言葉を幼心に覚えているような、いないような。
とにかく、今日も「頑張って」が日本中に行き交っています。