2010年9月8日水曜日

「干天の慈雨」なのか

干天の慈雨。日照り続きに降る待望の雨を言う言葉。まさに久しぶりの雨らしい雨。気温も昨日に比べて一挙に10度近くも下がり。田畑や動植物にとってはまさに恵みの雨でしょうが。


台風がもたらしている雨。台風は今、福井県に上陸とか。どうも進路が東寄りに変わり、関東、東海直撃の様子。列島横断。大雨とのこと。東北も。


熱中症の次は台風被害かと。お天道さまのなさることは人知抗せずして。


頭(こうべ)をたれかかっている稲穂にも日照りとは別の被害あるかも。体調も意のままにならず。気温変化に即応出来なくなっており。


このまま慈雨で終われば良いのだけれど。


「待ち望むことがかなえられること」とか「困難に陥っている時に助けがくること」って意味が転じてあります。待ち望むコトってとりあえずは確たる事無いし。困難にも究極陥ってないし。なまくら中途半端の亭主の人生。


久方の雨をどう捉えるのか。恵みの雨と歓迎すべきなのか、被害の予感におびえるべきなのか。ハーバード大学のサンデル教授じゃないけれど「正義」としての雨をどう考えるか。


昨夜は粒々塾の例会。「うどん供えて母よわたしもいただきまする」って話をしたけれど。「おかあさん」っていう普通名詞に込められて深い固有名詞的意味について話をしたけれど。


山頭火はこの雨をどう詠む・・・・。



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