2010年9月20日月曜日

書評と広告と

日曜日の新聞。「楽しみ」の一つが書評欄。とりあえずいろんな「本」に出会える。紙面の広告も本の広告がやたら多く。少々ゆっくり紙面に目を通すと本を10冊以上読んだ「感覚」にとらわれ(笑)。


書評欄を読んでいると無性にその本が買いたくなってくる。困ったもんだ。カネは無いし、いくら買いこんでも読破できる時間と気力、体力の限界あり。だけどほしくなる。


今も未読の本が数冊たまっており、読んでるうちに書き物の参考や何やらで書棚の古い本をあらためて読みなおさねばならず。なかなか読破出来ない。


死ぬまで傍から本を手放したくはないが、一体、後どれくらいの本がよめるのだろうかと。


書評は亭主にとってはなにやら購買意欲をそそるもの(爆)。うん、まさに良質の広告だ(爆)。


書評欄ではないけれど。朝日には惜別という最近亡くなった方への追悼文がある。旧知の記者が、元三和銀行頭取の川勝堅二さんを書いていた。相当の読書家だったらしい。「本をむさぼり読み、いつも時代を考えていた」とある。亡くなったのが86歳。今年の7月。86歳の誕生日の日記にはこうあったと。「これからの日本の途は険しい。体力、気力、知力を養い、人生に向かってほしい」と若い人に期待する言葉があったとか。そして、亡くなった日。読みかけの都留重人著作集が開いたままだったーそう記事は閉められている。


亭主は何を開いたまま死ぬのか。予定するわけにはいきませんが。こういう死に方っていいな。


もうひとつ。読書欄に、画家の安野光雅さんの一文あり。アンデルセンの"即興詩人"を森鴎外が訳した話。


安野さんの文。森鴎外の訳で、「的」が一度も使われていないことが勉強になった。今は「○○的」と概念をひろげて、話が率直すぎるのを緩和しているむきがあるが、文字通り的(まと)がぼんやりとする。私は以後、「的」の字を使うまいと心に決めている。


「ワタシ的には」「自分的には」。そんな日常語氾濫。粒々塾でも「曖昧語」の典型だとして問題提起したばかり。亭主の日ごろのうっぷんを晴らしてくれ、しかも的確に言ってのけてくれたことに我が意を得たり。


日曜の新聞はけっこう楽しいかも。



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