2013年11月13日水曜日

「ツナミの涙」~忘れないということ~

風化、それは忘れること。人の記憶から薄らいでいくこと。三日前の「11日」に思い立ってまた「風化」の事を書いた。自分自身の“風化”を阻止するために毎日このブログを書いているとも。

きのう、ネットで、ツイッターである映像に出会った。「ツナミの涙」という写真集のPV映像。11分あまり。
投稿者は上田聡さんというカメラマン。陸前高田出身。彼はあの3・11の大津波で家族を失っている。

彼は東京から郷里にとってかえし、変わり果てたその町の姿を写真に撮り続けた。そして“Tears of the Earth”というプロジェクトを作り、陸前高田の町を記録していく。

そして写真集「ツナミの涙」を出版した。その本のPV,プロモーションビデオだ。
なぜツナミの涙というタイトルなのか。ツナミは海の流した涙だったのか、ツナミによって流された人、残された人の涙というのか。余計な詮索だが。それも考える。
どうもTears of the Earthというプロジェクトチーム名の“和訳”という事らしい。

そのPVは写真集にある数多くの写真をビデオカメラで撮影したもの。ナレーションは無い。日本語と英語のスーパー(字幕)ですべてが語られている。
2年余りの時の経過が語られ、多くの人々のざまざまな表情が映し出されている。
そのPVを見ながら、震災直後の原発事故直後に作られた藤原敏史のドキュメンタリー映画「無人地帯」を思い出す。

映像、画像は、撮り手の意思を反映する。撮り手のこころが画になって返ってくる。

そこにある画像や映像はどれも優しかった。そして“希望”という言葉も伝わってくるようだった。

そのPVの中にたぶん柴田トヨさんが書いた詩があった。書かれた看板を写した画があった。99歳の詩人。
「希望を失い、大切なものを流されたあなたの悲しみははかりしれません。
でも、生きていればきっといいことがあります。
お願いです。あなたのこころだけは流されないで 不幸の津波に負けないで」。

写真集には多くの祭りの光景が撮られている。祭りにすべてをかけたような大人や子供のすがた。「うごく七夕まつり」。字幕が語る。復興への第一歩、こうなったら少しでも前へ・・・。やろうと思えるようになってきた・・・。亡くなった人達への追悼・・・。

画の説明を文字でするのは難しい。URLを貼っておく。
http://www.youtube.com/watch?v=Kk8IOECrrkc&feature=youtu.be

日本社会事業大学の準教授が新聞に寄稿した「東北の伝統芸能」という一文がある。
大槌町の臼澤獅子踊り。一昨年5月、100人を超す被災者の前で“復興の群舞”をした。妻を亡くした人は泣きながら笛を吹き、衣装を流された人はジーパンとズック靴で舞った。その姿を、祭り好きの夫と義父母を亡くしたご婦人は遺影を持ち、ハンカチで目頭を押さえながら見入っていた。
新盆には三陸沿岸の郷土芸能11団体が大槌町に集まり、死者の鎮魂と豊作と豊漁を祈った。「郷土芸能とはそのためにあるんだ」と参加者は言い、舞い続けた。彼らは皆、自分たちの祖先と対話し、自分のふるさとを考えながら舞った。

そんな一文だ。この山口幸夫という先生は、郷土芸能とは地域の絆製造工場のようなものだと言う。

「ツナミの涙」。その写真集の“共著”に高梨悦子という名がある。PVでも、エンドロールのspecial thanksに名を連ねている。
「リスリス通信モスクワ支局」としても。

そう彼女もツイッターで知り合った人。モスクワ在住。震災後、彼女のツイートを見ているとたしかに陸前高田に出向いていたが、こんな仕事をしているとは知らなかった。
彼女は時々このブログをリツイートしてくれていた。ネット上で時々会話を交わしていた。

彼女が今年の3月11日に書いているブログ。「モスクワは3・11を忘れない」。
こんなことが書かれていた。
目に見えて包帯や絆創膏が必要ではないけど、
助けが必要じゃない訳じゃない。
そういう人達にとって、一番必要なのは

痛みがあるんだと、分かってあげる事だと思う。

忘れている訳じゃない。
あなたが痛いのは、知っています。
何が出来る訳じゃないけど。
あなたが早く良くなる様に、祈ってます。

それを、届けること。

今日、3月11日に行う事は叶わなかったけど
私達は、モスクワで震災を風化させない為のイベントを行います。


「この写真集を通して、津波の怖さを語り継ぎ、災害に備え、大切な人をどう守るのか考えて貰えるきっかけになればと考えています」。
上田さんはそんなことをPVの脇に書いていた。

本屋に注文した。やがて届くと思う。「3・11」後、何冊か、大手の新聞社や地方紙が出した写真集を集めた。
この本は、やがて書棚の、それらの写真集の前面にきっと置くことになるだろうとも。

ちょっと長くなるが最後に。
宮古市の姉吉地区というところに昭和8年の三陸大津波を機に書かれた碑がある。
「高き住居は児孫の和楽 想へ惨禍の大津浪  此処より下に家を建てるな 」。

福島県会津美里町の人で、柳田邦男に師事していた地質学者、山口弥一郎という学者が調査した上で書いたという碑。その碑に書かれていた文字は今度の震災、津波で生かされていたのだろうか・・・。

陸前高田とモスクワと福島。なんかつながっているような思いがした今日のこと。

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