2013年11月15日金曜日

秘密保護法は国会だけの問題ではないということ

例えば昨日の毎日新聞の社説。「秘密保護法案を問う。野党の対応。成立阻止が目指す道だ」。

法案をめぐる与野党の駆け引きが本格化してきた。多くの重大な欠陥を抱える法案に最大野党の民主党が反対姿勢を明確にしていくことは当然だ。修正協議の結果、部分的な手直しでお茶を濁すことなど許されない。成立阻止こそ野党が目指すべき道である。

まさに当然であり、この社説になんら異存は無い。一言言わせてもらえば、“駆け引き”という政治記事の常套句が使われていること。駆け引きの対象になるようなものではない。

今、たまたま「原発ホワイトアウト」という本を読んでいる。高級官僚が若杉 冽という“匿名”で書かれた小説。小説とは言え、小説とはいえ、登場人物の設定や事例は「現実」を書いたものとも言えそうだ。
沖縄返還交渉をめぐる密約を書いた毎日新聞の西山太吉事件も、男女を入れ替えた形で登場してくる。
原発と国家機密と。

こんなことを考えている。
昔の国会での「爆弾質問」。野党に渡されたネタ元は官僚の“内部告発”だ。
内部告発では無いにしても、国政調査権を使って国会議員が官僚に”秘密“の提供を命じた場合、その議員は教唆の罪に問われるのか。

恥ずかしながら福島県選出の担当大臣。連日の国会審議で、その不勉強さをさらけだし、あげく成立後に修正もあり得るなんて答弁も。
法案そのものの”価値“を政権側から毀損したものともいえる。所詮、部分的には修正もありうる”不完全な法案“であることを言ったようなもの。

もちろん、議会制民主主義のもとでは、法案の成否はあまねく国家に委ねられる。たぶん、強行突破も含めて、この法案は成立するだろう。いま、この法案について修正を求めたり異を唱えている政党が、かりに、まさに「仮に」だが、政権交代した場合、その法案に依存することは間違いない。

国会の駆け引き、政局を絡めての法案ではないのだ。これは。国会という場での問題と矮小化して考えてはいけない。

言ってみれば、これはそれがどの政党であろうと、国家対国民との問題。与野党対立ではなく国家対国民の対立の問題。

その間の橋渡しの役割を担うのがマスコミ、メディア。政治部が書いた政治としての法案論議、法案記事であってはならないはずなのだ。国会報道の一部であってはいけないのだ。

警察官職務執行法の改正というのが昔あった。警職法。
ボクは高校生の時、この反対デモに参加していた。安保闘争の時のような”過激さ“は無かったが、多くの人が国会を取り巻いた。
学生服の襟章をダスターコートで隠し、だって、ばれたら退学必至だったから、連日のようにそのデモの渦の中に身を置いていた。

なぜそうしたのか。学校では決して教えてくれない治安維持法のことを勝手に学び、知り、特高警察が、いかに厳しい弾圧をしてきたかを高校生なりに知っていたから。
警職法改正の一つの焦点は警察官による職務質問の権限強化だった。「警察国家」を彷彿をさせるようなものだと考えたから。

改正案は成立した。時々起きる警察の不当捜査。いまでもしばしばある。その根底の精神は、この改正にあったとも思っている。

国家権力対国民生活。大きな図式で、市民生活を脅かしかねない構造自体にまで考えをめぐらさねばならないものだと。

日常の市民生活が”権力“によって脅かされるんだよ。しかも、それは担当大臣の恣意的かもしれない”判断“のもとで。

2年8カ月の前の大きな出来事、原発事故で何も救済されていない多くの人たち。
そこから目を背けさせようとするような強大な話題つくり。

考えなければ、知らなければ、学ばなければならないことが多すぎる。でも、それから逃げているわけにはいかない。決して他人事ではない場面だってあり得る。

ボクの高校時代。週に一回、論語の授業があった。どんどん論語が好きになって行った。
鞄の中にはタバコを隠し持っているという不良高校生だった。♪ネリカン、ブルース♪を口ずさんでいた。

そんな不良高校生でも、教師にも影響されず、友達にも内緒で、警職法改正反対デモに参加せざるを得なかったということ・・・・。

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