2013年11月17日日曜日

「永遠の今」

♪0n a clear day I can see forever♪“晴れた日には永遠が見える”。
英語の題名のスペルはちょっとうろ覚えだが、昔あったジャズのスタンダードナンバーの一曲。

久しぶりの秋晴れ、青空。どんな環境にいようと、どんな境遇にいようと、秋晴れは誰に対しても平等のような日差しを与えてくれているような。

朝、東京からの来客を迎えに行き、郡山駅前で開催されている、地元産の野菜の市。あぐり市へ。

前回は荒天、今回は好天。

かなりの人出でにぎわっていた。こんなに人がいるんだと思ったくらい。「元気な野菜くん」たちとご対面。しばらく野菜なる日々が続くはず。

身土不二。

そう、この言葉を実践してきた人達に、その地にいられない、いられても耕し育てることが出来ない人達には酷な言葉かもしれない。人の口には入れない、つまりその野菜が使命を達成出来ない、そんな野菜にも酷な言葉かも。

浮かれているわけではないが、事態の好転は・・・と。居心地のいい場所で居心地の悪さを覚えてしまうこの2年半の“習性”。

伊豆大島の災害から一カ月が経った。東北の被災地にあった光景の縮図が、いまだその地にはある。
援助隊や救援隊も入っているというが、フィリピンの被災地。好転の兆しも見えないような。

フィリピン人の多くは神に祈っているとも聞く。

敬虔なクリスチャンだった政治家に大平正芳という人がいた。なぜか田中角栄とウマが合い、田中派の強力な支援、後藤田正晴の知恵をもってして首相の座を勝ち得た人物。おとうちゃんというニックネーム、ア~ウ~政治家と言われるように、言葉数の少ない人だった。大平を首相に担ごうとしていた人から言われて、真夜中、彼の枕元に置いてある直通電話のダイアルを数回回したことがある。真夜中にも関わず、その人と彼とは長時間話をしていた。

大平が好んで書いていた言葉がある。「永遠の今」。忘れていたが、きょうの新聞記事が思い起こしてくれた。

その言葉について彼と話をした記憶がある。
「今はね、過去の集積なんだ。そして、今をどう生きるかによって未来が変わる。未来は永遠なんだぜ」。そんなことを説明してくれていたように覚えている。

その新聞記事にもこう書かれていた。女婿の森田一さんの話として。
「過去から評価出来るものは評価し、未来に生かそうというのが大平の考えるリベラル。まさに『神様の目線』でした」。

リベラルという定義は難しい。保守強硬派、保守穏健派という区分けも妥当かどうか。宏池会、池田派の流れを汲む人達をリベラルと呼ぶのかどうか。それも一概には言えないような気がする。

しかし、おおむね、戦争体験の有り無し。戦争をどう捉えているかによってという区分けも出来そうな気がする。戦争とは、あの戦時下だった時代を指すが。
平和主義者とでも言えばいいのか。

“過去の人”とされる小泉純一郎が「脱原発」を言い、あからさまに現政権、安倍自民党はそれを異端視する。
”過去の人“大平正芳が、仮に、今、総理総裁経験者として自民党の中に、そのOBとして在ったならば、「特定秘密保護法案」なるものについてどう言っただろうか。

戦争を知らない世代がほとんどを占める自民党と、大平が存命していた時代の自民党。政争の数々を見て来たものにとては、やはり隔世の感は否めない。

「福島原発」の後始末。それは、限りなく永遠に近い作業かもしれない。だからと言って、それを後世への“負”としてはならない。永遠に続くとも思える青空を見ながら、「今」の大切さに馳せる思いが浮かんできて・・・。

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