2013年11月23日土曜日

“ケネディ”、父と娘のこと

1960年、アメリカは第35代大統領に、ジョン・フィッツジェラルド・ケネディを選出した。翌61年1月。ワシントンの連邦議会前の石段で彼は就任演説を行った。その一部をよく覚えている。学生だったが。

ask not what your country can do for you
ask what you can do for your country.

「諸君、アメリカ合衆国が諸君に何をするかを問うな。諸君が合衆国に何を出来るかを問え」。

この一節を含む演説はアメリカ国民から大いなる歓声をもって迎えられた。
そしてその演説は「ニューフロンティア精神」を説いたものだった。開拓者(フロンティア)であったアメリカ国民の、そのよってきたる精神を目覚めさせる言葉。まさに「言葉の力」が多くの人を動かしたともいえる。

いま、この言葉の意味を考える。
国の言うままになるな、あなた方が望む国はどうあるべきかを考えよ。そう受け止める。
なすがままに政治を受け入れるのではない。どういう国であるべきかを国民それぞれが考えろということ。それぞれの国民が考えないと国はよくならないという事。

覚醒させられたアメリカ国民も多いのではないだろうか。

半世紀以上も前のアメリカの大統領の演説が、今の日本にそのままあてはまると思う。

言葉に飢えていた一人の日本の大学生はこの言葉に震えのようなものを感じていた・・・。

それから2年後の1963年11月22日、そう昨日か。ケネディーは凶弾に倒れる。テレビの仕事に就いたばかりの僕は会社のテレビで、初のアメリカからの衛星中継の映像を見ていた。その映像は当初予定されていた晴れがましい映像では無く、凶弾に倒れ、崩れる男の姿を伝えるものだった。

国民一人一人に「考えること」を求めた大統領。「問え」とはそういうことではなかったのか。義務を果たせと強要したのではないと思う。

50年後、娘が駐日大使として赴任した。赴任の直前、直後、天皇陛下への信任状奉呈。テレビで見ている限り彼女の服装は簡素であり、その姿に派手やかさは無かった。
黑いパンツスーツ。傍らにいる女性警護官と同じような服装。派手な化粧も無い。顔の皺も隠そうとしない。あるがままの姿とうつった。

比較することではないだろうが、日本の女性政治家の多くの服装、化粧。その派手なこと。テレビ映りを意識してのことなのか、ほとんど原色の服。イタリア在住の作家、塩野七生が「帰国してみて」というエッセーの中でこんなことを書いていた。
「最後に、女の政治家たちに一言。なぜ、バカの一つ覚えみたいに、白や赤や黄色やピンクばかり着るのですか。原色のスーツで男の同僚たちとの違いを示せると思っているとしたら、それだけで政治家は失格。スーツの色はグレイでも違いは示せる気概は欠かせない。原色を捨てたところで本当の勝負に出てはいかが?」と。

そう、目立つんだよね。厚塗りと原色スーツ。与野党問わず。

街を歩くと、サラリーマンはほとんど全員が黒のスーツ。それはリクルートスーツとも言われている。事実、洋服屋に行くと男物はほとんどが黒。
そしてこの世の中は「灰色の空気」に覆われている。

キャロライン・ケネディーの黒のスーツ姿には気品があった。と感じた。化粧っけの無さにも。「隠そうとしない」という気概みたいなものも。

キャロラインは来週、東北を訪れるという。東北と言えば被災地しかない。彼女はそこで何を見て、何を聞いて、何を知り、何を語るか。

当座、彼女の一挙手一投足に関心を持つ。東北の地を見て彼女が何を感じ、何を語るのかに注目する。

それが、父親のように、東北の人たちの魂を揺さぶるような言葉や行動であって欲しいと願う。誰が書いた物でもない、自分自身の言葉として。

父親の言葉で再び。彼が言っているのは、「国民があるから国家がある。国家があるから国民がいる」ということではないかと。

秘密保護法その他、今、この国の政治家が目指しているものは、まさに、ケネディの”思想“と真逆。しかし・・・秘密保護法も、NSCもTPPも今のアメリカの意向を汲んだもの。対米追従ということ。

そして“秘密保護法”の空気を察してか。東電は早くも「秘密保持」に動き始めた。4号機のキャスク搬出作業は撮影するな、作業スケジュールは教えない。終わったあとから発表する・・・と。「テロ」が懸念されるからだとか。

どうやって墳怒の川を渡ればいいのか・・・。

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