2013年11月26日火曜日

「三猿」への退歩か・・・

塾生に薦められて「退歩を学べ」という本を買った。まだ読んでない。時間がないのだ、余裕が無いのだ許せ。
進歩の対極としての退歩。科学技術の進化と自然との対比。必読の書としてとってあるのだが。

そうなんだ、今、我々は一歩立ち止まって、退くことの意味を考えなければならない時なのだとも。本の本旨とは違うかもしれないが。

あえてこの本をもじって・・・・。いや、“退歩”だけいただく。

人間は猿から進化したものかどうかは知らないが、猿は縁起物ともされる。
日光東照宮にある三猿の彫り物。言わずと知れた見ざる、言わざる、聞かざる。

三匹の猿が両手で目と口と耳を塞いである図。出典は論語。
「不見・不聞・不言」。礼にあらざれば視るなかれ、礼にあらざれば聴くなかれ、礼にあらざれば言うなかれ、礼にあらざればおこなうなかれ。

そんな猿のいわれよりも人間は退歩した、いや、退歩した方がいいよ、しろ、という事か。

「物言えば唇寒し秋の風」というし。

つまり特定秘密保護法のこと。三猿になるのが一番安全なのでごザルということ。

何も見ない、聞かない、言わないが安穏の暮らせる世の中にしようということ。そんな“萎縮”した国家にしようということ。

御猿さんごめんなさい。

昨日福島で行われた特別員会の地方公聴会。大方の出席者は懸念を表明した。
いや、反対だ。自民党推薦の浪江の町長でさえも。
でも、国会の慣行によれば、公聴会で誰が何を言おうと「聞かざる」。
成立へ向けての手順にしか過ぎない。

そして“粛々”と委員会可決。本会議採決へと向かう。

そもそも福島で地方公聴会をやるということすら、欺瞞だった。福島はまたも政権の政府与党の都合にいい食いものにされた。
もともと聞く耳見持たずだったのだから。

もしかしたら、わかっていたこととはいえ、馬場町長にしても、その他の公述人にしても、何を言っても無意味だとわかっていたはず。

でも、自分たちの声が、いささかでも届けばと期待していたのかも。

真剣な声を発することは徒労だった。

しかし、こうも思おうよ。マスコミが今度ばかりは福島の声を真剣に伝えた。
この法案に無関心だった福島の人だっている。その人たちに「福島の立場」、そう、単に原発事故で被災した県民というだけでなく、ここまでも中央から小馬鹿にされているということを知ったはずだから。

まだ参院があるぞ。その声はむなしい。まだ最高裁があるぞと、かつて、松川事件の被告たちが叫んでいた如く。

国会に愚弄されているという事を。

三猿ついでに。三本の矢とやらを放った政権。経済成長の兆しありとか。ボーナスはそれなりに出るらしい。しかし、ベアはほとんど無しということらしい。
”成長“のために”雇用の確保“のために、またまた、”東北“から人は中央に吸収されていく。被災地での労働人口はきっと減る。

そして福島は・・・。謎の、いや、想像に難くなかったトライアングル。魔の三角地帯に押し込まれる。

事故処理、除染。カネを出し惜しむ財務省。責任回避の経産省。当事者意識を欠く東電と。
無責任のトロイカ方式。そういえば、政治家はトロイカ方式ってのが好きだったな。民主党政権も。かつてのソ連じゃあるまいし。

そして,三権分立も揺らいでいるし。

見て、聞いて、知った猿は、山から人里に下りてきて、人間が丹精込めて作った作物を荒らす。猿除けに作った電流が流れる柵の中で、人間は作物を作るようにさえなってしまった。

猿は木から落ちても猿。国会議員は落選すればただの人。ただの人にするのはまだ3年先だ。
だから安倍は成立を急ぐ。今なら選挙の心配は無い。多少強行しても大丈夫だ。3年先には忘れているだろう。そんな思惑みえみえ。

俺は三猿にはならない所存にて。

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