2013年11月4日月曜日

「3・11」が楽天を日本一にした

昨夜、少なくとも東北は野球に酔った。楽天イーグルスの日本一を喜んだ。
東北には巨人フアンが多い。阪神フアンもいる。でも今回は楽天の日本一を喜んで迎え入れていてくれていたようだ。

東北楽天イーグルス。プロ野球界の“綾”で生まれた球団。創立して10年になるかならないか。

いつも最下位か下位を低迷している球団だった。本拠地は宮城県仙台。東北という地に根付いた球団かどうかは、たとえば広島のように、微妙なところだったような気がする。

相撲で言えばいわば“平幕”。巨人は“横綱”。その横綱を食った。

東北出身の選手も少ない。岩手、普代村の銀次。仙台出身の斉藤隆などごく少数。

野球は個々の選手の能力もさることながら、やはり「皆でやる」スポーツだ。それは高校野球が証明している。

「3・11」当時、楽天は本拠地にはいなかった。キャンプで仙台を離れていた。やがて交通網が回復。彼らは“被災地”に赴いた。何度も訪れた。
被災者と交流を深めた。

被災地の人たちは、なにかの「支え」を必要としていた。物でなく心の支えを。
そして被災地の人たちは「皆で」という精神を持っていた。

リーグ優勝、クライマックスシリーズ優勝、日本シリーズ優勝。球場に駆け付ける多くの被災者がいた。
チームメートは被災地出身の銀次の同化していた。

野球を通して何か出来ることは。それをたぶん選手たちはわかっていたはず。嶋の言葉にそれが表れていた。
「見せましょう、東北の底力を」。

その言葉に被災地の人たちは奮起した。

仮設の集会場で、大泣きしながら勝利を称えていた人たちの姿がその証左だ。

星野監督はいいことを言った。「雀の涙ほどのものでも、東北の人たちに癒しを与えることが出来た」と。

同じようなことを、音楽家も言っていた。
「音楽に大きな力は無いが、少しだけ音楽を聞いて心を揺さぶるものがあれば」と。

被災地を知った人、被災地で学んだ人達は、皆、謙虚なのだ。

武道館を満員にしたアリスのツアー最終LIVE。会場とステージは一体化していた。
昨夜の宮城球場も観客も選手も一体化していた。

そこから生まれるものは何かあるはずだ。

政治とか行政とかとは全くのように無縁なジャンルに「力」がある。
東北の被災地は、多くの物を失った。人の命をはじめとして。さまざまな「負」をももたらした。

でも、そのおかげで、かけがえのないものを手に入れることも出来た。若者の力、皆なという精神。

それを具現化した一つが昨日の野球。

田中将大は人気ナンバーワンだ。しかし、一昨日の試合では負けた。きのうベンチ入りしていた。自ら「投げたい」と言ったという。それに星野は答えた。
彼を使うことが被災地の人たちの願いに通じるものがあり、何よりの励まし、プレゼントになると思ったからだろう。

負けても這い上がる。それをマウンドで確かめてもらいたかったからだと思う。
田中はピンチを招いた。勝ちにこだわる野球をする監督なら決して田中は使うまい。それを敢えて使った。そして、それに応えた。

「3・11」という出来事が、一つの球団を、そこの選手を成長させた。被災中の人たちが楽天を勝たせたのだ。勝手にそう思っている。

そして横綱、巨人の監督、選手も立派だった。負けてわるびれず。原監督は被災地に言及していた。

福島からも多くの人が宮城球場に駆け付けていた。球場内では「東北は一つだった」。

同じ時間、同じ場所で、同じ思いで声をあげる。それを共有した時に、新たな一条の光がみえるかもしれない。

たまには人は単純であったほうがいいのかもしれない。

福島県の高校サッカー。全国大会に富岡高校が行くことになった。強豪、郡山の尚志高校に勝って。きっと富岡の生徒たちを支えていたものがあるはずだ。
富岡の選手は、3・11で亡くなったチームメイトの遺影を持っていた・・・。

東北は立ち直れる。そんな予感がする。

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