2014年6月30日月曜日

「憂国」ということ

昨日午後、集団的自衛権をめぐっての「日乗」を記していた。多分午後1時頃から書いていたと思う。

書き終えて投稿して、ネットに“告知”をして知った。新宿で、集団的自衛権の行使容認に反対と訴え、焼身自殺を図った人がいたことを。

驚きではなかった。「やっぱり」という思い、「とうとう」という思いがあった。
なぜか。その人と同じようなもの、内なる想念が時々浮かんでいたから。
自分自身の中に。

その人が何者であり、自死を為す動機が何であり、考え抜いた行動なのか、どんな環境にあった人なのか。それは全く知らない。
そして、人の死に関して多くを語りたくは無い。その人の心のうち底なんてうかがい知れないものだから。

抗議の言葉と、与謝野晶子の「君しにたもうことなかれ」の詩を読んでいたと報道されている。

彼の行為が、集団的自衛権をめぐる議論やその帰趨に影響を与えるものかどうか。それも語るべきことではないだろう。

「内なる想念」を振り払うのは、安倍が、“命を賭すにふさわしい相手”ではないということかもしれない。

その行動に衝撃を受けながら、なぜか三島由紀夫のことを思い出していた。
自衛隊市ヶ谷駐屯所での、総監を人質にとり、盾の会のメンバーとともに、自衛隊の決起を促し、割腹自殺したあの事件。

著作の通りの「憂国」の実践だったのか。平岡公威としての「美学」の完結だったのか。
三島文学の熱烈なフアンであったものにとってはあまりにも多きな衝撃だった。

昭和45年11月25日。そのニュースに接したのは国会内の自民党幹事長室の中だった。幹事長室の中の扉は閉じられ、議員たちの出入りが激しくなり、誰もがその衝撃をどう理解すればいいのか苦しんでいるようだった。

盾の会には友人もいた。テレビ局社員。しかし、彼は誘われなかった人だった。
彼の横顔は苦渋にあふれたものだった。
その時の光景はよく覚えている。

「憂国」を再度手にした。そこからこの三島事件のヒントは読み取れるような読み取れないような。

三島事件は語り継がれている。映画化もされた。あの三島が大演説をした舞台、市ヶ谷自衛隊のバルコニー。ロケに使われたのは郡山にある合同庁舎のバルコニーだった。

新宿の男性の事は、この国の歴史の転換点の中での一つの出来事として語り継がれるのだろうか。多分、無かろう。
今日も議論されてるかもしれない解釈改憲問題、集団的自衛権の発動は、戦争の誘因となり、死者が出るという恐れ。それを語る人たちの間で、この新宿のことは話題に供されているのだろうか。

決起しない自衛隊。三島にとって「憂国」は「絶望」への“連結”だたのかもしれない。


「3・11」後、多くの死者を知った。見知らぬ死者ではあるが、その人たちがいつも自分の傍にいるような感覚に捉われる。

須賀川のキャベツ農家。相馬の酪農家。原発への抗議、その奥底にある、この国への“絶望感”。

そして、今、尚、「3・11」に起因する、遠因とする自死者が絶えないということ。

この3年余り、「死」について考えることが多くなったような気がする。「死」に無理やり意味を持たせる必要はないはずだが。

自爆テロ、抗議の焼身自殺。今も、この時間もどこかにある、さまざまな「死」。
まさに与謝野晶子なのだ。「君死にたもうことなかれ」なのだ。


とにかく「嫌な空気」なのだ。

2014年6月29日日曜日

戦争を語る人、戦争に行く人

多少小理屈めいたことを書く。

戦争とは「宣戦布告」があって成り立つものだ。宣戦布告の無い戦争、それを国際法では戦争と言わない。
いわゆる太平洋戦争。昭和天皇の詔勅があり、ラジオから流れる「戦闘状態に入れり」という放送があって“正式”に始まった。敗戦。昭和天皇は終戦の詔書を読み上げ、それをもって戦争が終結した。

全くの局地的な武力衝突が前面“戦争”に拡大した。しかし、その戦争は日支事変であり、満州事変と呼ばれている。事変なのだ。

「集団的自衛権の限定的行使」、それは事実として、現実としての、人が人を殺す、大量の破壊的兵器が行使される、その点では全く戦争だ。でも正式には戦争と呼ばれないはずだ。国際法の範疇外にある戦争状態。

そこには様々な意味で国際法は適用されないということにもなる。ルールにのっとらない「戦争」なのだから。

戦争と“定義”されない戦争。それが集団的自衛権の行使ということになる。海外派兵をすればだ。

だから、仮に、世界の警察官をもって認じるアメリカの要請で、あるいは日本の権力者の恣意でそれが行われれば、大義名分無き戦争として、戦争状態を引き起こしたものとして国際世論の反発、批判を受けることだってあり得る。

イラク戦争という。それは法の範疇外の内戦だ。あるいは他国による侵略だ。

集団的自衛権の行使ということは、宣戦布告無き戦争に日本が突入するということを意味する。その行使を首相が内外に発表する、宣言する。でも、それは宣戦布告ではない。

今、政治の場にあって、集団的自衛権を語っている人たち。その根底の認識には“戦争”ということがある。マスコミ人もそうだ。いわんや官僚とても。

それらの人たちは「戦争に行かない」人たちなのだ。戦争に行かない人たちが戦争を熱心に語る。どこか“神聖喜劇”のようにも見える。

戦争に行くのは、自衛隊員だ。彼らは国を守ることを本旨としている。派兵されることは考えてもいなかったはず。
全くの当事者である、当事者となる自衛隊員が戦争を語らないということ。語れないということ。

どこか“原発戦争”の構図と似てはおらぬか。当事者そっちのけの原発議論。なぜ“原発戦争”と呼ぶのか。それは、事故の当事者である東電や政府が責任のなすりつけ合いばかりに終始し、保身にばかり走る中で、実際の被害者、被災者、逃げ惑った人、その結果によって命を失った人や、今なお苦悩に坩堝の中にいる人たち、そう「当時者」の言を無視していることとも似通っているからだ。

公明党にスポットをあて、それが“生命線”だと「錯覚」するのはやめたほうがいい。今、焦点とされているが、それはほとんど無意味なことのようにも思えるから。

ちょっと前まで、公明党の国会議員で、幹部だった神崎武法という人がいる。粋人だった。川柳に秀でていた。中でも秀逸だったのがこれ。
「出て壊し、入って壊す小沢流」。そう小沢一郎が絶頂期に在った時に皮肉ったもの。

いま、彼、存すればなんと詠んだか。
党本部の幹部と一般議員。議員と地方議員。本部と支持者・・・。おおもめにもめていると聞く。幹部が末端の声を聞く、受け入れる度量ありや。無しだと思う。もう「芝居」は大団円を迎えようとしているのだから。

「出て恐れ、入って認める山口流」とでも詠むのだろうか。

今日の朝日新聞の天声人語。まったくもって久しぶりの秀逸なコラムだった。いつもは気の抜けたビールみたいなことばかり書いているのに。
「暖室に酒呑みながら主戦論」
明治生まれの川柳家の一句を引き合いに。

政治家にせよ、市井の人にせよ、自分は戦場に行く気遣いの無いものが、酒席で気炎を上げている光景を皮肉ったもの。

亭主もその中の一人かもしれないが・・・。

2014年6月28日土曜日

「集団的自衛権」のから威張り

週末、一番苦労しているのは公明党の国会議員ではなかろうか。
選挙区に帰り、支持者と話し合う。勢い、話が集団的自衛権のことになった時、なんと説明しているのか。すでに党の幹部は自民党との「言葉遊び協議」で、大方「合意」に達している。それを危惧する一般議員や党員、支持者。

与党協議の自民の責任者、高村副総裁は言っていた。
「公明党の幹部、プロとの間では議論は熟している」と。そうかなるほど。

安全保障にかかわるプロというのは「も」を「が」に替える、テニオハの話が出来る人っていうことか。

集団的自衛権が根拠となる場合“も”ある。根拠となる場合“が”ある。

「プロ」ってのはなんだい。専門家ってことか。そうだな。今、この国に跋扈しているのは「専門家」という人たち。

テレビも新聞も、何かあると必ず「専門家」の意見を載せる。登場させる。だいたいが「学者」。

ちょっと振り返って見てくださいよ。何とか懇談会。有識者懇談会。第三者委員会・・・。メンバーに名を連れねているのはほとんどが学者。大学の先生。

原発に関しては、その「専門家」がいかに無能であり、役立たずであり、“被害者”を戸惑わせたのは専門家だったということ。
民主党政権が多用した悪しき風潮がはじまりであり。

政治家って、議員さんて、政治のプロなんでしょ。多くはアマチュアが政治をやっているということなのだ。それを問わず語りに言ったのに等しい。

たしかにそうだ。政治は完全に劣化している。レベルが低下している。質が落ちている。政治家の。
だから、そこに“優秀”な官僚が付けこむ。官僚の入れ知恵作業は完璧に実行される。官僚の言いなりになる政治家。

高村はカサにかっかていう。
地方議会が集団的自衛権を憲法解釈の変更によって認めることに疑義を呈する意見書を出すと、「日本人であれば、地方議会であっても慎重に勉強してもらいたい」と。

凄いね。この空威張り。

簡単な話をわざと難しくして、そう、まさに煙に巻くようにして押し通す。閣議決定に持ち込む。それは一つのプロセスだという。その先には、集団的自衛権を行使するためには、10本以上の法律を国会に出す。そこで十分議論が出来る。議会制民主主義にのとっているという。

あのね、いくら国会に法案出しても、それは全部、「強行採決」すれば済む話し。国会で国民的議論だなんて言ったって、今の野党の体たらくからみれば、与党の意のままってこと。

目くらましの連発だ。

新たに提示され、公明幹部が嬉々としてのんだ新3要件。「密接な関係にある他国」。それってアメリカのことでしょ。

どうも疑問なんだ。アメリカがはたしてどこまで”集団的“を強く要請しているのか。忖度してるだけじゃないのか。

アメリカは今の憲法を「押し付けた」と彼らは言う。戦後レジームからの脱却という旗印を掲げ。押し付け憲法の最大重要条項は第9条。戦争放棄。交戦権の放棄。押し付けた側が、一変して解釈改憲しろって言っているのか。

今の憲法を「押し付けた」アメリカに尻尾を振る。なんかおかしくはないのかな。
対米追従はよろしくないと言って来たはずなのに。解釈改憲にアメリカの意向を巻き込む。それって矛盾してないのかな。

ま、己が主義主張を通すためには、なんでも「利用する」ってことなのかな。

百歩譲りましょう。“プロ”だけで、世の中動かしてはいけないよ。一握りのプロ、大半のアマチュア。アマチュアをどう納得させるかって言うのがプロフェショナルの“お仕事”なのではと。

そしてプロを気取ったアマチュアの存在があるということ。

2014年6月27日金曜日

「自衛権」のから騒ぎ

何日間も、何か月も、いや何年も・・・。真面目に考えてきた挙句のきょうのこの一言。決して茶化してるわけでも無く。

くだらない話かもしれないが。今朝から我が家は“本格除染”がはじまった。
庭の除染。樹の剪定、土の埋め込み。

業者さんに挨拶に。樹木の扱いを聞かれて、「かみさんに聞いてください。庭のことはよくわからない。ここはかみさんの“個別的自衛権”の範疇だから。“集団的自衛権”は無いから」と、全くの冗談で返す。
現場監督の人は、その冗談をいささかわかってくれたらしい。その“比喩”に笑っていた。他の数人の表情。「このおっさん何を言っているのか」って感じ。
要するにその「言葉」も「意味」も知らないってことだろうっていうこと。

最近も、10人ほどの集まりで、年齢は若者から年配まで。「集団的自衛権」のことを聞いてみた。
「知らない、関係ないから」。「言葉はきいたことあるけど意味がよくわからない」「話がどんどん難しくされているようで、何がなんだかわからなくなってきた」「国会議員に任せておけばいい」。「戦争だけは嫌だ」。

そんな雰囲気を味わった。

新聞、テレビは連日真面目にその日にあった事象を伝える。政治家は連日そのことを議論している。にも関わらずだ。

新聞の投書欄にも毎日のように投稿がある。官邸前では抗議集会が行われている。
でも、大方の雰囲気は「無関心」なのだ。

なぜ無関心なのか。政治の手法が、簡単な話をより難しくしているから。
本筋を離れたようにも見える15項目とか8項目とか3原則とか、日替わりメニューのように論点をすりかえたり、都合のいいように持ち出してくるから。

そして大本の「改憲」問題が素直にテーマにされなくなったから。

「戦後レジームからの脱却」。安倍の悲願だ。信念だ。それはそれでいい。

とにかく「憲法論議」に立ち返るべきだ。小手先細工じゃいけないということだ。

改憲をいう人達は、もちろん憲法を守ろうとしない。それに“不信感”すら持っている。なぜか。自分たちが作ったものではないからということに行き着く。
“愛すべき憲法”ではないのだ。

護憲派は9条だけを盾にものを言う。戦争放棄をうたったその条文を不変のものとする。

双方とも「平和」を言う。しかし、「平和」の捉え方が違う。いつまでも中途半端な「平和の概念」ではいられなくなった。

だから、憲法改正を国会の論議とし、改憲を3分の2の議員、過半数の国民投票に委ねるしかないのだ。

そして少なくとも国民投票では、有効な「投票率」を決めて。全有権者の過半数という枠をはめて。

注目されるとマスコミが言い続けてきた与党協議なるもの。その落ち着く先は見えていた。こうなると何回か以前に書いた。その通りになった。

それこそ、ありふれた言い方だけど、国民不在の言葉遊び、文字遊びで。どっちが提案したかどうかはともかく、自公それぞれが自分の都合のいい読み替えの出来る合意。

集団的自衛権の容認、すなわち戦争という議論にもなる。たしかにその道は開かれたのだが。

政治家が口角泡を飛ばすように語りあっているのは「国家としての戦争」の話だ。
市井の民の大方が杞憂し、反対するのは「国民としての戦争」だ。

どこか「原発論議」とにているような構図。

国民としての戦争には、必ず「死者」が出てくる。国家としての戦争には「死者」は出てこない。かすんでいる。その乖離が埋まらない。

戦争を知っている世代は減っていく。経験者の中には戦争を語りたがらない人がいる。かたくなに。そこには「死」が介在していたから。

戦争を知らない世代が社会の中枢を担っている時代になった。「国民の物語」としての戦争をいくら語り継いでも、国家はそれを馬耳東風のごとく聞き流す。

改憲、戦争そのもの。それを論じるべきなのに、集団的自衛権なる言葉に、言い方は悪いが、矮小化してのああでもない、こうでもない。そこに透けて見えるものは何か。

だから「から騒ぎ」と言ってしまおう。

う~ん、明日も続きかな。

2014年6月26日木曜日

「美しい国」のこと

第一次安倍内閣のキャッチフレーズは「美しい国日本」だった。
その「美しい」というのが何なのかは判然としないまま、その言葉に酔っていた人も多い。

国土の美しさか、精神性の美しさか。

第二次安倍内閣、キャッチフレーズは「取り戻そう日本」だった。日本はどこかに奪われていたのか。それを取り戻そうということか。古き良き時代に、それは彼が思い描いている姿なのだろうが、そこに戻そうということか。

戦後、たしかに日本は国土を失った。それは沖縄だ。大方の国土は消失し、焼け野原になった。そして復旧・復興が、繁栄した日本に姿を変えた。

美しい国土。それは「3・11」で大きく容姿を変えた。少なくとも、被災3県と言われ、津波で流された国土。
“放射能”の汚染された国土。

緑豊かな光景は減った。代わりに巨大なコンクリートが国土を覆い、汚染物質が詰まった袋が大量に野積されている国土。

空地に生い茂った夏草。その草いきれは、なぜか悲しさを連れてくるようだ。


美徳。美しい日本人の精神性。

3・11後の途方に暮れながらも給水車や支援物資に、一列になって並んでいた人たち。暴動も起こさなかった人たち。
帰宅困難者が大量に出たにもかかわらず一晩をどうにか過ごした人たち。

サッカーでゴミ拾いする日本人サポーター。その姿は美徳と評価され、賞賛を浴びる。
片や、同じサポーターでも東京渋谷では道路を“占拠”する。

ゴミを片付けること。拾うこと。「当然」のことだ。列に整然と並ぶこと。「当然」のことだ。それが「美徳」とされるということ。

当たり前の事が美徳。ならば、当たり前の国になればいい。すればいい。

だけど・・・。

この国では、自分たちが作った「核のゴミ」を拾うことが出来ない。全部、遠い将来のことにしてしまう。
汚染された水はタンクに詰め込んでおくしかない。タンクだけが増えていく。
タンクの横にいる夏草だけが笑っているようにすら見える。

国とはなんだ。美しい日本とは何か。

戦争への道は、美しい国への道か。

「選良」と呼ばれる人たちは、決して美しくない言葉を平気で吐く。
言葉は心の裏返しだ。

カネと欲にうごめく輩がいる。金儲けは美徳とも言われる。綺麗なビル、綺麗な洋服、綺麗なレストラン・・・。そこに入った人たちは美しい人たちなのか。

小学校の脇を通った。すれ違う体操着の子どもたちは、一様に「こんにちは」と笑顔で挨拶をくれた。挨拶を返す。子どもたちの顔はみな美しく見えた。

でも、片や、知らない人に声をかけてはいけない。こっちから声を掛けると「怪しい大人」って見られるかもしれないという恐怖。

街を歩く。すれ違いざまに肩がぶつかる。若い女性に睨みつけられる。
「ゴメンナサイ」と誤るのはいつもこっちだ。でも、その女性の姿態は美しい。

「美しいと思えるあなたのこころが美しい」。

花をめでることで言われた言葉。

美しいものを美しいと素直に感じられる自分がいなくなってきているようだ。

だからか。茨木のり子の詩ではないが、シッキムやブータンに憧れるのかな。まだ見ぬ国に。

でも、こよなく日本人で有り続けたいと思っている。さまざま“葛藤”を重ねながら・・・。

2014年6月25日水曜日

「マニュアル依存症」の国

マニュアル、手引書とでもいえばいいのか。「マニュアルはあるのか」と問われる。「マニュアル通りにやっているのか」と質される・・・。
運転マニュアル、操作マニュアル、避難マニュアル・・・。
今、この国は「マニュアル大国」とでも言っていいのかもしれない。

その通りに、そこに書かれたことに従っていれば咎めは受けないし。

マニュアルに書かれていないことは、すべて「想定外」となる。

原発事故当時のことを思い出してもらいたい。
事故対策のマニュアルはあった。しかし、それは運転習熟マニュアル。

運転不能、制御不能になった時のマニュアルはどうなっていたんだという問題。
原子力工学的なマニュアル、物理学の基本にした対応マニュアルは存在しなかたはず。

それは現場だけではない。東電本社においても。

だから、「どうしよう、どうしよう」って東電も、保安院も、官邸も、斑目はじめ関係する学者はみな慌てた。

多くの人の精神構造の中には、「マニュアル」神話が浸みこんでいた。
マニュアルに無いことは、どうにもならないってことだったのだ。

マニュアル依存症。

マニュアルが無いと「解」を出せない。

いわば倫理の問題だったと思う。

図上の「避難計画」はあったかもしれない。しかし、結局は「勝手にどうぞ」の世界。オフサイトセンターからの“勝手に撤退”。

再稼働を巡る論議。その必須要件の一つが避難計画。避難のマニュアル。

人間が考え出したマニュアルに完璧なものなんて存在しない。だから、とにかく作っておけばいいということになる。

原発事故にしろ、火山の爆発にしろ、大地震にしろ、それに対応出来るマニュアルなんて有って無きが如しなのだ。

でも、人はその存在を求める。あればいささか安堵する。

マニュアル依存症に陥った国。陥っている国。

かつて「ハウツー本」というのが大流行りだった。なんでもハウツー。それがいまではマニュアルということか。

くだらない事のハウツーはあっても肝心なことのハウツーは無い。

そして、例えば、「レシピ本」。さじ加減、塩加減が無くなる。全国一律の味。大げさだが全国一律に同じ味のものを食べているのかと思うとぞっとする。

手塩を掛けた「おふくろの味」は、希少価値だ。

戦争にマニュアルは無い。戦術と言う“作戦計画”はあっても、撤退にかかわる戦術は無い。
偶発的に起きる戦争にマニュアルは存在しないはず。仮にあったとしても、その通りにならないのが戦争。

歴史を振り返れば誰でもわかること。

サッカーにだってマニュアルは存在しなかった。勝利への方程式はあったかもしれないが、その方程式には「解」が無かったということ。「解」を生み出せなかったということ。

考えることを止めた人たちは、“なんでもマニュアル”の世を生きる。それは「想像力」を無くした世界。

マニュアルを無駄なもの、いけないものと言っているのではない。それは一つの手段にすぎないということ。

音楽だってそうかもしれない。譜面はマニュアル。それをどう解釈し、奏でるかはそれぞれの人間力、表現力・・・。


人生に、人の一生に、マニュアルがあったとしても、本があったとしても、決してその通りにはならない。
いつか来る「葬儀」のマニュアルなら書き残してもおけるが。でも、そこにだって想定外の事態は起こりうるのだ。

でも、政治は安倍の書いたマニュアル通りに動いているのかもしれない。今はね。

2014年6月24日火曜日

「院の品位」「議員の品位」

衆議院でも参議院でも、地方議会でも、“心得”として「議員の品位、議会の品位」を保たねばならないと書かれている。
品位に欠けた行動や言動は“懲罰”の対象ともされている。

良し悪しは別にして、議会での野次は付き物だった。時には「議場の花」とももてはやされた。
昔話で恐縮だが、昔に野次には、どこか“品格”があった。

戦前から戦後、憲政会や民主自由党、保守合同後の自由民主党議員だった「大物政治家」に三木武吉という人がいた。
政界の「寝業師」とも言われ、かつ「野次将軍」の異名をとった人物。

彼の野次のことは、昭和40年代頃の政治家の中では「語り草」だった。

原敬内閣時、時の蔵相は高橋是清。是清のあだ名は「だるま」だった。

高橋是清が軍事予算を説明中、「計画達成には陸軍は10年、海軍は8年・・・」と言いかけると、すかさず議場から野次を飛ばした。

「だるまは9年」と。

達磨大師が悟りを開くまでに9年かかったことをもじったものだ。

議場は湧きに沸いたという。そう、その頃の野次は、機知に富み、どこかその人の“教養”も見せていた。

三木武吉に倣って、そんな野次を“研究”していた議員もかつてはいた。

いつの間にか・・・。野次は“暴言”の類とされ、単なる“騒音”と化し、議事妨害の手段でしかなくなった。
「野次多数、発言聞き取れず」。速記者の議事録に書かれるくらいに。

国会の中での強行採決。必ず記事に使われた言葉。「野次と怒号が飛び交う中」。

演壇の発言が気に入らないと、大勢が議席の名札で机を叩く。それが品位を重んじる国会の姿だった。今でもそうか。

都議会での女性議員の質問中の野次騒動。セクハラだ、女性に対する侮蔑だと。

鈴木某とかいう都議が「卑怯者」であったことは間違いない。「嘘」をついていたのだから。
メディアの追及は、犯人捜しであり、嘘のこと。野次の本意を彼にほとんど問い質していないような。

この騒ぎに加担する気はさらさらないけれど、野次が飛ばされて時、みんなの党の同僚議員は、なぜ野次りかえさなかったのだろう。

三木武吉にはこんあ逸話もある。選挙の立会演説会で相手候補から非難された。
「三木は妾を4人も持っているけしからん奴だ」と。三木はすかさず切り返した。
「今の発言は嘘だ。訂正を要求する。私の妾は5人だ。しかも、ちゃんと食わしている」。

余計な話だが、もう一言。鈴木某が女性都議に謝罪に行った時、「先生の気持ちを害し」みたいなことを言っていた。
鈴木某にインタビューした記者も「先生は・・・」と呼びかけていた。

ばかばかしい。何がセンセイだよ。先生と呼ばれて嬉々とするなよ議員さん。
これ、日ごろから言っている持論なんですが。

委員会で答弁。「先生ご指摘の通り・・・」って。先生って敬称なのかな。品位の一環なのかな。
最近は「委員ご指摘の通り」に変わってきているようにも見られるが。国家ではね。


「やじ」は野次とも書くし、「弥次」とも書く。野次馬から馬と言う字と抜いたものだ。

野次馬とは、「興味本位で集まってくる人」、「自分とは関係ないことにすぐ興味を示し、人の尻馬に乗って騒ぎ立てる人」と辞書にはある。

でね、これも常々思っていること。
「福島」を野次馬根性で見るなよな。野次馬騒ぎに巻き込むなよな。

「真実で無い真実」がまことしやかに流布され、それをまさに尻馬に乗るかの如く拡散しまくっている人のなんと多いことか。

2014年6月23日月曜日

詩は詩にして詩に・・・短歌とても

今日は沖縄慰霊の日だ。沖縄を想う。あれから69年。テレビを通して沖縄と向き合う。
その頃僕はもちろん生まれていた。戦火におびえながら“内地”で右往左往していた。沖縄の子どもたちの事は知らなかった・・・。

20万の死者。戦争は必ず「死者」を生む。人為による「死者」を。

今日は沖縄に借りた「不戦の誓いの日」だと。

式典で読まれた子供の詩が胸に突き刺さる。「平和の詩」。
石垣市立真喜良小学校3年、増田健琉くんの詩。
「ぼくたちはいま、青い空の下で、ヤギの鳴き声をききながら、友達と遊び、平和に暮らしている。
遠くの空の下では戦争をしている。その空は灰色だ。悲しい空だ。
空はつながっているはずだ。どこまでが青い空で、何処からが灰色の空なのだろう。
戦争は国と国との喧嘩だ。譲り合う心があればきっと世界は手をつなぎ合える」。

とっさに書き留めた詩。

去年は6歳の子供の詩が朗読された。与那国島の子ども。本になるとも言う。

「やさしいこころがにじになる。へいわっていいね。へいわってうれしいね。みんなのこころから、へいわがうまれるんだね。
ああ、ぼくは、へいわなときにうまれてよかったよ。このへいわが、ずっとつづいてほしい。みんなのえがおが、ずっとつづいてほしい」。

平和のために戦争にいくなんて、そこから平和は生まれない。優しい心じゃないと生まれない。
そんな事を6歳が詠んでいた。

安倍首相も挨拶した。何を語るか耳をそばだてた。
平和と安全を守ると言った。戦争を憎み平和を愛すると言った。
そして「沖縄の発展が日本の未来を築く」と言った。

「福島の再生無くして日本の再生無し」。似たフレーズだ。
 

安倍は間違ったことは言っていない。その通りだ。だけど、心に突き刺さり、胸が締め付けられるような思いがするのは、子どもの詩なのだ。

今朝の新聞の歌壇から引く。
「9条をわがものと思う政権のゆるがすこともなしと思えば」。

栄華を極めた時代の藤原道長の歌。
「この世ををば我が世とぞおもふ望月の欠けたることも無しと思へば」の“本歌取り”だ。諧謔に満ちている。

「のちの世にスマホ時代と語られるのどかな時代なんだろう、今」。

スマホの中で「戦争ゲーム」に「殺し合い」に大人も子供もうつつを抜かしている、今。

少し前、いわき明星大学であった復興サポート「震災を詠む2014」。

入選作の主流は高校生の作品だったような。

「母を乗せ 飯舘村への道すがら 幾度もつぶやく“仕方がないし・・・”」

余分な“解説”“解釈”は不要だ。

「帰る家 誰かの思いで流されて 巨大なゴミだとニュースは言った」。

2014年。4年後を詠んでいるということ。69年後、子どもたちは福島をどう詠むのだろう。

詩は詩にして詩に非ず。短歌は短歌にして短歌に非ず。

そこに「すべて」が包含されてりるということ。

2014年6月22日日曜日

「テーブルにつく」ということ

話合いの基本は「一つのテーブルにつくことだ」と誰しもが言う。
民主主義の基本もそうだ。

しかし、実はこのことは実は、あらゆる意味で「難しい事」なんだと思う昨今。

「集団的自衛権」問題をめぐる与党協議。自公が話し合いの、協議のために一つのテーブルについた時から、“結論”は見えていた。
話し合い、協議ということは、どう折り合うかっていうことだ。

そのテーブルをどっちがしつらえたかということだ。

自民党が出した提案をもとに話合う。それは、そのテーマに沿った、そこで机上に挙げられたことについて論議するということ。主導権は提案者にあるということ。

多少の時間をかけて、「言葉遊び」や「言葉のいじくりあい」、「文字のやり取り」。
一つの枠の中での話し合いの応酬。

本質論は棚上げ。というよりもそこで本質論は持ち出せない。何を今さらってことになる。

初めに結論ありき。うまいことを言ったもんだ。

主導権を持っている方は、かさにかかったように、次なる問題を持ちだしてきて、それまでの議論に何の意味もなかったようにする。

集団安全保障。

すでに一つのテーブルについている以上、「話が違う」と言って席を蹴って立つって事は出来なくされている。

近々、「どうにでも読み取れる“安全保障の概念”」とうのが出来上がるのだろう。

テーブルについていない人は、手をこまねいてみていることしかできない。
“外野の声”なのだ。

帰還に向けて、中間貯蔵施設建設に向けて「話し合いのテーブル」が用意されている。そのテーブルは国がしつらえたものだ。
そこに出されるテーマは、国が用意したもろもろ。それに沿っての議論。

例え平場であってもテーブルを挟んでのやりとり。決められた時間枠の中での質問、答弁。

結論は見えているってことだ。

話し合いのテーブルにつくことを、それが“術策にはまる”てことを見越している人は、それを拒否する。その人は話し合いにも応じない人として“否定”される。

民主主義っていうのは「時間のかかるもの」なのだけど。

馬は無理やり水場に引っ張られて連れていかれても飲むか飲まないかは馬が決めるっていうことなんだけど。

ややこしいもんだ。民主主義というのは。

住民同士が意志を決定する。最近、さまざまな方法が考えだされている。
10人くらいずつに分かれ、それぞれのテーブルで話し合う。そこで、完全合意にはいたらないまでも、ある程度の“納得感”を持った結論を出す。

それを全体会議に持ち出す。

民主主義の一つの実践。

その経過では、自分の意見も十分に言え、他人の考えも聞くことが出来、まとめようとする方向に皆が動く。

こんなことを実践している小学校だってある。教師が居ない中での子どもたちの、グループに分かれての話し合い。そこから「考える」という大事なことを子どもたちは学ぶ。人の意見を聞くという習慣も身に着けて行く。

テーブル、食卓。家族が一つのテーブルについて食事をする。だから“家族”なのだ。

マスコミ人が首相と一つテーブルについて一夜を共にする。そこには“連帯感”めいたものも生まれる。テーブルにつくということ。一緒にメシを食うということ。

卓袱台返しのシーンが毎回のようにあった「寺内貫太郎一家」のあった頃。

少なくとも、政治家の間では「卓袱台返し」はあり得ないんだよな・・・。

2014年6月21日土曜日

「負げでたまんに福島」

そこに行きたい。それを見たい。ひさしぶりに“それ”を見に行った。
国道4号。東京の起点から288キロのところにある。郡山から本宮方面へ。
川内、富岡、大熊に通じる288線との交差点のところにそれは今も“毅然”として立っていた。

一枚の看板だ。上り線側にある。

「負げでたまんに福島」。

負けてたまるか福島県という意味だ。最初にこの看板に出会ったのは2年も前か。いやもうちょっと前か。

「がんばろう福島」というスローガンに満ち溢れていた頃。

この看板の言葉に惹かれた。胸が熱くなるような思いすらした。意地なんだ。見えざる敵への覚悟の表明。己に課した言葉。

きょうもその看板は、以前と変わらぬように、誰かが時々拭ってでもいるのか。
そう、“毅然”として立っていたのだ。

その看板がある方向は、この数年、滅多に通らない。会いたいと思って行ったらやはりあった。

なぜか“安心”したのだ。

NHKの東北だけのネット番組だったと思う。東北Zという番組だったか。昨夜O・Aされていた番組。原発事故で被害を受けた人たちの話。避難している人たちの話。たぶん最初の自死者であったろう須賀川のキャベツ農家の家族の話・・・。

桑折町の野菜農家の人は、露地物は作れず、ハウスできゅうりを栽培していた。
丁寧に一本、一本手入れしていた。
きゅうり栽培だけが唯一の仕事。
「俺たち百姓から土をとったら何が残る。何も残らない。土を奪った奴らを許せない。風評被害なんて言っていてもはじまんない。だから俺は土と一緒にいるんだ。負けてなんかいられない。負けたたまるかだな」。

その看板のあるところに向かわせたのはその農家の人の言葉があったからかもしれない。

須賀川のきゃべつ農家の息子は言う。「マスコミがずいぶん来た。でも取材には応じなかった。彼らの興味が何かがわかったから。親父は放射能被害で出荷が出来なくなったことだけを悩んで死んだわけじゃない。もっと深い意味があったんだと思う」と。

その農家の出荷先は多くが東京だった。

飯舘村の高校の先生は言う。避難先で。
「福島で作られた電気をじゃぶじゃぶ使っていた人たちに、やはり異質なものを感じる」と。

1Fで作られた電気は“東京”で使われていた。消費されていた。それを知らなかった人がほとんどだ。事故後、それが福島県で生み出されていたものだということを知ったはず。

知った以上、それによって生活を、人生を変えられてしまった人たちに対して、単に“寄り添う”という言葉だけではなく、“懺悔”の仕方が、作法があるのではないか・・・。

だから自らに刻む。「負げでたまんに」と。

プルームは北西に進んだ。

原発から20キロにある広野町は一昨年、避難指示が解除された。でも「帰還率」は思わしくない。

過日、広野であった国際シンポジウム。そこで広野中学の三年生の子が言った。
「町に帰らずになぜ避難を続けるのか。原発事故による放射線量が理由ではない。一番の理由は“便利か否か”ということだと思います。いわきに避難しています。広野より便利です。福島市や郡山市に避難している人たちも、みな同じではないでしょうか。なのになぜ町民が本音を言わないか。白い目でみられるからです」。

「本音」を言えなくなった地域社会。本音を多くの人の前で語った中学三年生。
その子の中にも“負けてたまるか”という意地と、便利さに魅かれていく大人たちへの“意図せざる抗議”の意志があったようにも思える。

何があろうとも、どれだけの人が苦しもうとも、「便利さ」をあくなく追求していく人類。
知らず知らずのうちに「便利さ」に染められていく性(さが)・・・。

道端の看板を見ながら、また考えた。

2014年6月20日金曜日

昔、「シビリアン・コントロール」という言葉があった

朝のサッカー、残念だったけど十分楽しませてもらった。
こじつけでは無いが、津波で逃げる時、サッカーボールと靴だけを持って避難した子がいた。

人のいない広場で黙々とボールを蹴っている少年がいた。

アフリカの子供たちは、破れそうなボール一つあれば、数人がそれでいつまでも遊んでいる・・・。

サッカーは地球でいちばん素晴らしいスポーツなのかもしれない。子どもたちの精神的支柱になれるような。


本題。

昔、といっても遠い過去では無い。わずか3~40年前か。
社会党の岡田春夫、オカッパルが、爆弾質問で名を馳せた男。野党として質問が上手かった。上手だった。匹敵する奴はもう今の野党にいない。

彼がすっぱ抜いたのが自衛隊の「三矢研究」。連日国会はもめにもめた。それを知る国会議員も今はほとんどいないだろう。

それと合わせ鏡のようだった「防衛力整備計画」。

自衛隊が“暴走”するのではないか。マスコミ含め、かなりの時期話題になっていた。
政府は、そう佐藤内閣だった、しきりに言ったのが「シビリアンコントロール」。“文民統制”と訳されていた。

憲法9条ともからみ、文民である政治家が、“軍人”を統制するから、戦争に巻き込まれる恐れは無い。そう言ったはなし・・・。

「文民」は戦争をしないようにする。それが当時の認識だった。

そんな言葉は見かけなくなった。消えた。

今、戦争をしたがっているのは安倍という男と、それを取り巻く政治家。彼を絶対的に支持する人達。

“軍人”の多くは、戦争への道につながる集団的自衛権行使に懐疑的だ。

まだらな記憶の中の、「戦争」と「福島」。

日露戦争でも、第二次世界大戦でも、東北からはかなりの人が兵士として徴用された。特に陸軍。その理由の一つが「東北人は我慢強いから」。

あの「203高地」を最後まで守備したのは富岡からの兵士だった。

今、手元に資料が無いから、「まだらな記憶」とした。
富岡では埋没されてしまった「文化財」の発掘作業が進められようとしている。

単なる原発立地地域ではない。れっきとした「歴史遺産」を持ったところなのだ。

「3・11」。東北の多くの人が自衛隊に助けられた。彼らの献身的活動が多くの人の命を救い、励みにもなった。
原発事故現場でも活躍したのは、決死の働きをしたのは自衛隊だった。

一部では“齟齬”を招いた事例もあったものの。それは現場の隊員の問題ではない。上官の指示によるものだった。
完全防護服姿で災害対策本部に登場した自衛隊員に恐怖を覚えた市民もいた。郡山でのこと。
でも、結局は彼らの給水活動で、多くの市民が助かった。

「あの時助けてくれた自衛隊さんが、戦争に行って死ぬかもしれない。そんなことは許されない、耐えられない」。そう言っていた県民がいる。

「国を守ると」はどういうことだ。

赤ん坊を泥の中から助け出し、思わず笑顔を見せていた自衛隊員。猫を助けて泥をぬぐい、鳴き声に涙していた自衛隊員・・・。

彼らは本当に戦争に行くため、戦争をするために自衛隊員になったのだろうか。

国を守るとは何を指すのか。外地に行くことか。

戦争をしたがっている政治家がいる。国際武器博覧会で、銃を手にして笑いながら他人にその銃口を向けて喜んでいた防衛副大臣がいる。その銃口を振り払った人がいる。
皆、「シビリアン」だ。「背広組」だ。制服組では無い。

戦争をする国、戦争が出来る国。それを目指して、そこからマスコミや世間の目をくらませるように、次々と“話題”さえ提供してくる。

「金目発言」の経緯だって、その延長線上にあるのかもしれない。理屈っぽく言えば、「福島」は「戦争」の為に利用されたことにもなる。

あれだけ騒がれたシビリアンコントロール。短い歴史の中で消えた言葉。

2014年6月19日木曜日

内なるものとしての「金目」、「尊厳」

「金目発言」、石原環境大臣が国会の委員会で発言を撤回した。国会閉幕後、福島に詫びにくるという。

それで幕引きがはかられるわけではない。無かったことにも出来る訳がない。自民はこれを以て「終わり」にしようとするだろうが。

中間貯蔵施設をめぐる国策、事故処理や、賠償問題。そして帰還問題。およそ原発事故にかかわるあらゆる、これまでの関係していた人の努力や人間関係、国と被災地との多くの問題。それらがすべて「振り出しに戻る」。いや、“進行”を遅らせた、元の木阿弥にしてしまったことは間違い無い。

金目という「いぎたない」言葉で、人間の尊厳を傷つけてしまったからだ。

くどいようだがまた持ち出す。

3・11後の避難所。有無を言わせずそこに連れてこられた、行くよりほかに道はなかった。そこでの“暮らし”。それは、そこは「人間としての尊厳」が損なわれてしまった場所だった。そこに日々通いながら考え続けた、考えさせられた「人間の尊厳」。

あそこに居た人たちは、言葉には出さなかったが、傷つき、損なわれていく「尊厳」というものに対して怒りの感情を持って向き合っていたのだ。それは、われわれ“外部”の人間が、不用意に立ち入ることの出来ない「人間の条件」の問題。

秘めていたその悔しさに、彼が再び火をつけた。

そして、立場は正反対ではあるが、これまで地元との妥協点を探すべく、営々と努力を重ね、それなりの人間関係を作り上げてきた、環境省の役人が、一番悔しい思いをしているのかもしれない。彼らの努力も水泡に帰してしまったのだから。

政治家は、それがたとえ“現実”であれ、言っていいことと言ってはいけないことがある。使ってはいけない言葉がある。「カネ」のことだ。

政治家は、そのほとんどが金銭感覚がマヒしている。

田中角栄は巨額な金を集めた。「政治資金」として。官房機密費も含め。そしてその金を大量にばらまいた。与野党問わずの国会議員に。地方議員に。

時の野党にも相当の金がわたった。野党は国会で彼の「金脈」を追求に追求した。彼は、一言も、最後まで、刑事被告人になってもカネを渡した政治家の名前は言わなかった。

あの時、角栄から金をもらっていた政治家は、与野党問わず、皆、名前が出ることに戦々恐々としていたのだ。

原発の歴史は、金と表裏一体の問題だ。「カネで人の心も買える」と豪語していた人間が時代の寵児ともてはやされた。

何時の間にか、この国は「カネ」に支配される国になってしまったのだ。

カネですべての決着が図れる。それが定着してしまったのだ。

そして、今の安倍政治も金持ち優遇政治、成長と言う名の美名のもとでの。

原発とカネ。その原発マネーという“闇”は、原子力村にすまう人達だけではなく、立地地域でも当然のこととされてしまっていたのだ。

「カネで転んだ人」もいる。それも事実だ。双葉町の前町長も、私欲ではないが、町政の為に、7、8号機の建設を選択していたのだ。

3・11後も、すべては「カネ」だった。

「大臣、結局は、カネですべての片がつきますよ」。そう“進言”した事情通もいただろう。

補償金、賠償金をもらった、もらってない。貯蔵施設建設予定地の地権者はカネの多寡を問題にする。最後はカネの問題だ。それは誰もが「致し方ない選択」として承知していたこと。覚悟していたこと。そしてそこには、いささかの“ためらい”があったということ。

それを、現地の人たちを「小馬鹿」にしたように、政治家にとって禁句であり、口に出してはいけないことを平然と言ってのけてしまったこと。
それは、悩みに悩むひとたちの「尊厳の冒涜」なのだ。

石原発言は本音だ。そして、ある意味“事実”でもある。でも、それは言ってはいけないことなのだ。
福島県民の中にも、同じような感覚を持っている人達もいる。現実を見たうえでの。

でも、その人たちの頭の中には「尊厳」という価値観が外されている。

「万死に値する」と声高に言う県外の人達よ。非難してくれてありがとう。でもね、言う前に「福島の苦悩」を察したうえで、大声を上げて欲しいとも。

3・11後に考えねばならぬこと。それは三陸の犠牲者や残された人達も含め、提起されている「人間の尊厳」ということなのだとあらためて思う。

2014年6月18日水曜日

「足元を掘れ」ってこと

今日、やっと除染業者さんが登場。“実地検証”して“段取り説明”。
作業はまずは雨樋から。そして土の部分、コンクリートの部分といくらしい。
実際の作業開始は来週以降・・・。

先日の線量計測データ。庭は、芝生だった部分は、未だ、0,4μあったとか。
近所の子供さんたちは表のコンクリートの上で遊んでいる。ボール遊びにしても。あまり庭では遊んでないが。

4μ。あまり気持ちのいい話、数値ではない。樹木の剪定のことやら芝の張替のことなど、もともろ打ち合わせ。剥ぎ取った表土は地中に保管。穴は1,5メートルの深さとか。

土が掘り返されるということ。


観天望気、民間に伝わる古からの、いわば「お天気占い」のようなもの。
スーパーコンピューターでも予報が当たる確率は80%くらいだという。
そうだよな、消えたはずの台風がまた復活しているんだから。

観天望気、漁師や農民にとっては、残りの20%を補う確かな天気予報だったのかもしれない。
「夕焼けの次の日は晴れ」「太陽や月に輪がかかると雨か曇り」。そんな言い伝えから始まって。

一昨日の東北地方を中心にしたそこそこの連続地震。昨日も、今日も、日本各地である地震。

4日前程か。地震雲の写真を載っけている人が数人いた。観天望気の項目に地震雲のことがあるのかどうかは知らないが、どれが地震雲なのかもわからないが、たまたまの符号かもしれないが。民間の伝承、知恵を軽んずべからずというとこか。

地震大国。原発と地震。再稼働やめても、そこに核燃料がある限りは不測の事態は十分ありうる。1Fの4号機がその証左。運転中止中だったが。
だからね、根性曲がりの亭主は言う。宇宙開発に巨額の資金を投じるより、「夢」を追い求めるより、まずは現実の、それこそ人の生死にかかわる地中の研究にもっと、もっと意を注ぐべきなのだと。

海底も火山も。

西ノ島では、今も溶岩爆発が起きている。海底の変動と地震の関係はいかに。
富士山の爆発が言われている。近々、静岡や山梨、神奈川で「避難訓練」があるとそこに住む知人が言ってきた。

桜島だって、昔からそうだけど不気味だ。雲仙普賢岳の溶岩流は記憶に新しい。
逃げようにも逃げられなかった犠牲者。

民草はどっかでおびえているんだぜ。


さてさて、政界の観天望気。言ってみれば結論ありきの猿芝居と断じましょう。
大の大人が集まって、「おそれ」の解釈巡っての“言葉遊び、そしてたぶん今日は”文字遊び“。

安倍がね、こうといったらそうなるのが今の政界。五里霧中なんてとんでもない。暗雲すら垂れ込めていない。
伸晃くんの「金目」発言。野党は怒ったような恰好しているけど、不信任や問責突き付けても自公で否決して終わり。

“上司”からのお咎めも無し。だって咎めようがないさ。自身がそう思っているんだから。

政治家は、今の政治家は、「足元掘ってほしい」のだよね。政治の原点を掘り返して欲しいんだよね。

集団的自衛権を発動する戦争。それは海外。いま、「国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求権が根底から履がえされるおそれ」ってのは、地中にあるんだとも思う。
地中を掘ったら、”汚染土壌“が埋設されている。しゃれにもならない。

「汝の足元を深く掘れ、そこに泉湧く」。そんな“名言”に惹かれていたけど。
でも、そうなんだよな。足元深く掘らないと。

2014年6月17日火曜日

「言葉」について

きのう日本語の「不自由」さ、「曖昧」さについて書いたけど。日本人が日本語を、使い方含め“劣化”させているし、その知性の無さを暴露しているようなこと。

東日本大震災が起きるまで、その以前、大流行していた言葉に「差別化」というのがあった。
日本人の「負」の歴史は「差別」だ。社会的、政治的事例では「沖縄差別」であり「広島、長崎差別」であり、水俣差別、ハンセン病患者・・・。

そして古くからある「被差別部落」。

およそ人類は「差別」と言うことにあまり抵抗が無く、弱い者いじめが大好きで、動物を“畜生”と位置付け、差別することによって「優越感」を味わって来たのだ。

原発事故以降の「福島差別」。“定着した”意識。

差別化という流行語、要は「競争」に勝ち抜くために、およそ言葉に無頓着なバカ野郎が持ち出した言葉だと思っている。

経営コンサルなんて商売が幅を利かせ、商品含め、他社との差別化、差別化。
みんな何とも思わず、むしろ時流に乗った言葉として使っていた。

「3・11」前も、それ以降も、声高に、それに「異」を唱えてきた。
そして、いっときは、その言葉が消えたと思っていた。差別化。こんな嫌な言葉は無い。そもそもなぜ差別が存在するのかまで遡る疑問。

あなたは差別されてことがありますか。
あなたは差別していませんか。

人類の深淵にかかわる言葉だとまでいうのはやめておこう。

3・11後、差別化という言葉は減った。無くなった。それをしきりと使っていた、「他局との差別化をはかるため」という、言葉を生業にしているテレビからも消えたと思っていた。

たまたまネットで最近見かけたどこの誰かは忘れたけど、学者だったか。
「自然農法と有機農法の差別化」という大論文を見た。あらら、まだ、一部の世界では、識者と言われる人の間では、この日本語が生きている。

そして流行り言葉を見つけ出してくる辞書。そこにも差別化って項がある。
「舟を編む」ってこういうことか・・・。

差別という言葉に化をつけての「怪しげ」な言葉。

言葉が無くならない限り、その事象は無くならない。本当の意味での「平和」が来れば「平和」って言葉も無くなる。「戦争」だってそうだ。

やはり、これも屁理屈か。おかしなロジックか。

言葉でいうなら、昨日の石原伸晃の「金目」発言。だいたいね、「金目」なんて言葉はやくざ屋さんのことばだよ。
「その話、金目になるな、追い込みかけろ」なんてね。

バカな政治家の発言をいちいち誰何するのもばかばかしいが。真意はどうだ、
お詫びしますは聞き飽きた。聞く耳持たない。死の町って言って辞めさせられた大臣もいたんだぜ。

日本語の出来ない、元総理大臣はへらへら笑いながら大臣席に座っている委員会の光景。

政治家の言葉は、一旦放たれた矢のごとくーーーなのだ。

石原大臣さまは、むしろ「正直」な人なのかもしれない。原発は、もともと欲とカネの二人連れでやってきたこと。金で解決するしかないって考えを持っている人も県内にもいる。

でも、時をわきまえなければ。言っていい時、悪い時。

金目で気になった。官房機密費、いま、どう使われているんだろう。メディア対策?与党?野党? 集団的自衛権の“裏側”。この国の根幹にかかわることも、所詮は「金目の話」ってことになるのかな。

これ以上書くと“暴走老人”になってしまう(笑)。

2014年6月16日月曜日

その日本語、「大丈夫」ですか

真夜中の地震三連発。さすが鈍感な年寄りも、最後の震度4では飛び起きました。もっと激しくなりそうな感じがしたので。

福島県沖2時40分。茨城県沖3時お19分。福島県沖5時14分。先日は岩手の内陸部で震度4があったとか。

ちょっと大きな地震があると、必ずSNSに飛び交う「どこどこ方面の方、“大丈夫”ですか」という呼びかけ。今朝もそうだった。

気なるのはやはり原発。1Fの状況。やはり「あそこ」のは敏感になっている。
“大丈夫”だったようだ。

何気なく使われる“大丈夫”という言葉。
「危なげなく安心できるさま」と辞書の一項目に書かれている。そういう意味での“大丈夫”なんだろう。

その言葉を使っている人に全く悪意も無いし、それ以外の言葉が浮かばないから使うのだろう。

大丈夫、大丈夫という言葉が飛び交う日常・・・。

塾の最初の講義のテーマは「昔、言葉は思想だった」。実はこの表現、政党保守の論客、西部邁氏の著作から“拝借”したもの。
始め「ロゴス」ありきから始まって、言葉について、日本語について何回も話しをした。なぜか。日本語が乱れ、劣化し、それこそ“思想”をも無くしてしまうような世相を憂いたから。

古典は読めない。論語すら(日本語で書かれている)すら読めない。明治の書物も読めない。現代語なるものに訳さないと。それだけならまだ我慢しよう。
わけのわからない言葉づかい。間違った言葉づかいが大手をふってはびこっているのが我慢できなかったから。

曖昧な日本語というテーマの時だったか。この「大丈夫」を取り上げた。
それはマニュアル敬語やコンビニ用語が、若者言葉の延長として。

「ご注文は以上でよろしかったでしょうか」。なんで“過去形”になるんだ。たったそれだけかいってことかと邪推する。

「お待たせしました。こちら刺身になります」。意地悪爺はとっさに言う。刺身になる前はなんだったんだいと。怪訝そうな顔をされて終わり。

そして「大丈夫」。レジ袋はお持ちですか。大丈夫です。持っているってことなんだろうな。欲しいということではないのかい。

ミルクは大丈夫です。要らないってことなのらしい。コンビニでのやりとり。

先日、道路で転倒して頭を強打。やおら、ようやく立ち上げって痛む後頭部を手で押さえながら約束の場所へ。通りすがりの人が声を掛けてくれる。優しいのだ。「血が出ていますよ。大丈夫ですか」と。怪我してるんだから大丈夫ではないけれど、「はい、どうにか・・・」としか答えられない。

呼ばれた救急車。さすがに救急隊員。「大丈夫ですか」って聞かなかったような気がする。

数日後も「大丈夫ですか」と事務所に来た人。答えようがないんだ。「うん、大丈夫だよ」って答えればいいのかどうか戸惑う。痛いし、辛いのだから。
「大丈夫じゃないよ」って答えたらどうなる。きっと鼻白むはず。

でも、この言葉以外に気づかいの表現ってないのかもしれない。不便な言葉達というテーマにつながる。

大丈夫の反対語ってなんだろう・・・。

地震のせいできょうは寝不足。大丈夫じゃない(笑)

しかし・・・、すごいな。ネットの人達。揺れる中でスマホかパソコン操作してるなんて。まずは自分を“大丈夫”な環境におくことなのに。

その書き込みみたって返事する余裕はないし。

言葉の安易な、慣行としての使い方。そして簡略化、どこからともなく生まれた言葉。
コミュニケーションツールとしてあるネット。それが、独特の奇異な言葉によって、かえってコミュニケーションを、意思疎通の風通しを悪くしているのかも。

好き勝手な爺の毒舌です。毒舌ではないか。偏見かな。いや、屁理屈だ。

2014年6月15日日曜日

月を見ながら考えた

ブラジルは真夜中。きょうは月が出ているのだろうか。試合中は雨もあったけど。月を見ながら考えている選手もいるかもしれない。月は勝者にも敗者にも平等だ。

きょうの試合に胸ふくらませていた昨夜。いっとき大きな月が出ていた。カエルが合唱する田んぼを月が照らしていた。今朝はまたカッコーが鳴いていた。

月を見ながら数日前、友人の農業者と話し合ったことを漫然と思い出していた。
今年の気象について。ここ数年の気象について。

今年、彼の農場ではグリンピースが一瞬にして大量に採れたという。収穫は大変だったという。その後、なぜかグリンピースは実を付けなくなってしまたという。この狭い日本だって、どこかでは晴天、高温。どっかでは大量の雨、雨。

「昔は、月齢に合わせて作付をし、月齢に合わせて刈取りをしたもんだ。今は月齢に沿った農業のやりかたも減っているし、この異常気象は太陽の黒点の“異変”によるものかもしれない」。そんなことを言い出して。

太陽の黒点の異変で、地球は滅びるかもしれないなんて冗談交じりの会話。

なぜか納得の「月論議」。

もちろん勝手に思っていることだけど、人間が、人間の科学に対する認識。月に人間が行く。月面探査の精を出す。宇宙探索が科学の大きな課題だとか、夢だとか。巨費がそれに注がれる。

月ってのは、オオカミが吠える神秘であった方がいい。
満月をとってくれよと泣く子かなの句の世界のものであったほうがいい。
15夜お月さんみて、ウサギが跳ねるものであったほうがいい。

手の届かないとこにあるべきものだと。

人類が月に触れたこと、触れようとしたこと、その神秘性を犯そうとしたこと。それに「お月さま」は怒っているのかもしれない。だから農耕民族が大事にしてきた月齢も狂い始めたのかもしれない。

科学の進歩って歯止めのきかないものなのか。

原発だって科学技術の進歩が生み出したもの。

言葉では言われるけど自然と科学の調和ってあるのだろうか。

月も太陽も、神聖であって、侵すべからざるものなんではないか。

取り留めもなく、そんな話をした。

宇宙にロケットが上がる度に、なぜか何かが気になるのだ。

2011年の3月11日の夜は、黒い海を月が照らしていたとも聞く。

「自(おのず)から然(な)れり」。安藤昌益の言葉が新しいのかも。元禄の時代に言われた言葉だけど。

2014年6月14日土曜日

「サッカー」で思うことあれこれ

一昨日から、大げさに言えば、地球上の人たちはサッカーワールドカップの虜になっているのかもしれない。

サッカーを通して、ワールドカップがあるから、いろんなことも知った。

昨日、ワールドカップの開幕戦。ブラジル対クロアチア。それを繰り返し伝えるテレビ。
どこかの局は、現地レポートが、「ブラジル国内は凄い盛り上がりです。サッカー一色に染まっています」とだけ伝える。ブラジルという国が、サッカーの盛んな国だからなおさらにか。なんか“定食”を与えられているようだ。予定稿を読んでいるようだ。
別の局は、サッカーによって住むところを“奪われ”、本来なら、サッカーフアンの人たちに「近いのに遠い国の出来事のようだ」と言わせ、武装警察が、反対デモを追いやる光景を伝える。
ブラジルという国が今、抱えている課題を。サッカーが無ければ伝えられないであろうその国の姿を。

日本の初戦の相手はコートジボアール。ドログバという選手が一時的にせよ、その国の内戦を一時停止させたことを知る。一人の人の言葉が国を動かしたということを。
そのチームの中には“敵対”している北出身の人も南出身の人も、一つになってゲームをやっているということも。

強豪スペインがオランダに敗れたことも。勝敗は、事の成り行きは予想通りにはいかないということも。

あえて生意気を言えば、サッカーというスポーツが人の生き方や世界を変える可能性もあるということを。

「3・11」後のあの女子サッカーなでしこジャパン。あの子たちの姿が災後を生きる人たちに大きな「力」となったことも思い出す。

長友にあこがれ、両親を亡くしたサッカー好きの少年が、ビデオカメラに向かって言ったことば。「長友さん、ぼくはやがて貴方を追い越します」。被災地の一人の少年の生き方はサッカーによって変わっていったということも思い出す。

3・11前の福島県富岡町にあったJビレッジのことを思い出す。何度、あの場に行ったことだろう。出来上がった時かた始まって、再三。
ホテルの集客がままなず、コートの一面を使ってゲートボール大会をやったことを。
ホテルに泊まって、夕方、コートに水を撒いている人の姿。翌朝も手入れしている姿。あの「緑」の光景はほんと、綺麗だった。そこにあった空気も。

そして感じていた、数キロ先には原発があるという光景が頭の片隅から離れなかったということも。

事故後、あの場が、あの芝生が、“前線基地”になり、車両で埋められ、ホテルは支援本部となり、作業員や関係者で埋め尽くされていたことを。
東電女子サッカー部。マリーゼの立ち上げの時も行ったよな。あそこに。

マリーゼからなでしこに何人もの選手が入っていたよな・・・。

強豪、富岡高校サッカー部。そこの出身で、郡山のスポーツジムでインストラクターをやっていた子、浪江に実家がある子。いろんな話をスタジオで話たよな。女子部員の数人は事故後、京都の名門校で受け入れてくれているということも風の便りのように聞いたよな。

そしてJビレッジの料理長がザック・ジャパンに帯同して、選手の食事作りにブラジルへ行っている。

日韓共同開催のワールドカップ時、Jビレッジは各国の選手が練習場に使っていたよな・・・。

一か月間、世界の“主役”はブラジルになる。テレビで観戦する。試合の結果だけではない。試合を通じて、そこから紡ぎだされる、数々のエピソード、それにも期待する。
第一線の笛を吹いた日本のレフリー。彼がこの大会の流れを決めた。審判は選手が育てたともどこかの解説で知った。Jリーグの「向上」が世界に通用する審判を生みだしたとも。

Jリーグが出来上がって時、神宮の国立競技場で上がる土日の歓声を、近くの慶応病院の一室で、窓を開けて、あの競技場の照明を見ていたなってことまでも。思い出してしまうんだよな・・・。

2014年6月13日金曜日

「面子(めんつ)」の問題ではないのだが

またも政治の話しですが・・・。政治と言っても、これは国の根幹、有り様にかかわることなので。

今、自公の間でどんな話し合いが進行中かは定かではないが。今日、明日で折り合いが付くのか付かないのかの天王山。

集団的自衛権、解釈改憲のこと。そこに協議の問題点だとして収斂されている「限定的容認論」のこと。

これが与野党協議なら、とっくの昔に「打ち切り」、決定強行ってことになっているんだろうが、なにせ自民の相手は与党、“友党”の公明。
短気な安部はジリジリしていることだろうが、“熟議”が続いている。

この期に及んで持ち出された1972年、田中内閣時の政府見解。そこの一部を切り取って限定的容認の根拠、話し合いの突破口にしようとする作戦。

あの見解は「集団的自衛権はダメ」と言っているにも関わらず。

政界にはとかく知恵者はいるもので、ま、それも「浅知恵」と言ってしまえばそれまでだが。

要はお互いのメンツを保ち、どうにでもとれるような結論。あるいは足して二で割るって方法、そして解釈は玉虫色ってことで折り合いを付けようってことか。

玉虫色解釈ってのは、外交交渉での共同声明作りでも、まま使われる手法。

公明もハードルを下げた、自民は閣議決定の時期を遅らす。足して二で割っている。それが譲り合いだとして。
ま、最初から見えていた落としどころってとこか。

もし「合意」が出来れば、文書が交わされるのだろう。自公の間で。そこにはひょっとすると集団的自衛権って文言が無いかもしれない。自民はそう読み取れるといい、公明は認めていないという。コメント求められたらこう言う。
「ここに書かれていることの、それ以上でも以下でもありません。この文書通りです」と。

公明党には党是としても「反対」ってことしか無いと思うのだが。
自民党の中の“懐疑派”は黙して語らず。
マスコミも追うのは、書くのは、目先の「言葉遊び」めいたこと。日々のニュースとして。本質論はとりあえず傍らに置かれて。

結局はね、公明党は与党でいたい。権力の側でありたいとする政党としての正直な思い。
自民も切りがたい。選挙協力あるから。

ここに書いていることも「目先の問題」に捉われたことなんだけど。

閣議決定遅らせても、遅らせることにさほど意義は無い。日米ガイドライン協議に間に合わなくてもアメリカは許してくれるさ。

「あるかもしれない事態」を勝手にイメージしてのこの集団的自衛権論議。特に、今、何が、逼迫してるわけじゃない。たしかに中国機がちょっかいかけてきているけど。本気で戦争したがっているわけじゃない。

中国経済は日本によって成り立っている部分もあるし。市場の問題も、雇用の問題も、正面切って戦争出来る状態ではない。
いわば、双方のメンツの問題かも。

事はね、日本が戦争をしやすい国になるか、ならないかということ。武力戦争になれば、武力行使があれば、必ず、そこに戦死者が出るということ。

ちょっとイラクを見てみましょうよ。同じ国民が殺し合っている。それはイラクだけじゃない。兵士も死ぬ、民間人も死ぬ。

同じ民族同士、国民同士が戦争をしない。これが天皇陛下のおかげだと田中角栄は喝破していた。「天皇陛下がおられて助かった」と。過去を振り返っての言だが。

平和な国の中にあって交わされる戦争論。不思議と言えば不思議なのだ。

古い言葉を持ち出すが「政界一寸先は闇」。川島正次郎の言葉だけど名言。

永田町も気になる。この国の有り方がどこかで決まってしまうおそれあるから。
身近な「フクシマ」の日々が気になる。1Fの様子に気が行く。

何も考えない人になれればいいのだけど・・・。そうはいくめエ。

2014年6月12日木曜日

「力尽く」と「感情」の政治

昨日、11日は月に一回、「死を想う日」。1万8千人余りの死、いまだ後を絶たない震災関連死。

もちろん直接の知り合いはいない。亡くなった方の中には。一人だけ気になるのはいるが。

人の死は、すべて過去の出来事ということか。過去は替えられない。しかし、過去に学ぶことは出来る。

午後2時46分は瞑目の時間だった。

昨日は、福島県警の警察官や消防団員が、未だ行方不明のままの人を一斉捜索の日だった。その中には原発避難区域からその職についた若者もいた。

過去を捜す作業とでも言おうか。

午後3時。国会での党首討論をテレビで見た。
そこに「この日」という認識はどこにも見られなかった。

簡潔に言おう。そこで交わされていた不毛な論議。将来有り得るかもしれない、戦争での「死」の話し。

過去の死は気にもされず、原発事故によって「関連死」とされて人々。つまりは”原発戦争”の犠牲者。それは話題にすらならない。

安部も海江田も、お互いを「感情論」だとなじった。安部の長広舌の後には、得意満面に感情論を繰り広げたあとには、委員会室には、安部の後ろで破顔大笑する閣僚たち・・・。

11日に笑顔は似合わない。

国会議員の中では「11日」は忘れられた存在なのだ。

彼らが感情論だとなじり合うから、こっちも感情論で行く。

海江田の質問はあまりにも稚拙だった。問題の本質をよくとらえていない。国会での委員会での「質問」の仕方を知らない。
本質論であっても、今は的外れな質問と演説調。安部はまったく相手を見下していた。まるで「バカにするような」答弁、いや、これもまた演説だったが。

その顔は傲慢さに満ちていた。民主党という野党は眼中に無いというような。

民主党は解党したほうがいい。もはや政党の体を為していないような。

今、安部にとっては民主党と言う野党はどうでもいい存在に成り果てたのだ。

民主党より優れた野党として、維新やみんなの党の名を挙げていた。もはや友党だ。

委員会室で渋面だったのは公明党の山口代表だけだったのかもしれない。

集団的自衛権の解釈変更。それの本質や論議すべきこと、そのある問題点。どの野党より、与党であるはずの公明党の方が”勉強”している。全員とは言わないが。

感情論を押し通す安部。持ち出される「家族や子どもたちを守る」という感情論。家族や子どもたちを亡くした「3・11」の被災者はどう思っているのか。

安部は酔っている。自己愛に酔い痴れている。

表では感情論。裏では力尽く。怪僧ラスプーチン、飯島に海外で言わせる。この海外でというのも政治のミソだ。昔からあった手法の一つ。

「内閣法制局の見解を替える。公明党と創価学会は政教分離に反している」と。

長官は代ったけど、法制局は安部の意向通りに動くということを念頭において、公明党に脅しをかけた。喉元に匕首を突き付けた。急所を突いた脅し。

連立解消、いとわない。公明去っても維新、みんながすり寄ってくる。新たな連立すればいい。そんな発想にも見える。

今はいいよ。だけど選挙協力はどうするのか。公明票で何人、自民が議席獲得しているのか。幹事長の石破ならわかるよね。

なんか、野党は雑魚ばかり。与党である公明党が「健全野党」のようにさえみえてくる不可思議さ。

今日、どこで、誰と誰が、何をひそかに語り合っているのか。

そして、中国は、安部を見透かしたように、軍用機を異常接近させてくる。明らかな挑発。挑発に乗りやすい安部はすぐさま反応する。目の前にある危機と。
中国は安部に集団的自衛権を行使させたいのかもしれない。

感情論の中では深読みは出来なくなっている。

疲れるんだよな・・・。

2014年6月11日水曜日

「3年3ヶ月」なのだ・・・

今日は2014年6月11日。あれから3年3ヶ月が経つ。
3年3ヶ月という「数字」に特に意味を持たせるものではないが。

1年を365日として1、095日。1か月を30日として、あれから、あの日から1、185日。時の経過のこと・・・。


午後2時46分。海に向かって立つ人たちがいよう。黙とうする人も、ただ頭を垂れる人も。手を合わせる人も・・・。

黙して、静かな海を見よう。そこにあるもの、そこにある全てを感じよう。自分の五感の中に取り込もう。

沈黙の海と対峙する日・・・。


3年前の今日、こんな事を書いていた。
「東北処分」という題名。

//家を無くし、家族を無くし、生業を無くし、生きる希望さえ失いかけている「生き残った」人たちへ、この国は何ほどのことを為しているのか。

悲痛な叫び声は、彼ら政治家が好きな言葉、「民意」としては中央政府に届いていない。届いていても無視しているとしか見えない。政治家も官僚も然り。既存の法律を盾に取り、規制だらけの法律を是として、それらは平時に作られたものであるにも関わらず、それを適用しようとする。問題の解決にならない。なぜなら今は戦時であり、非常時なのだから//。

不思議なことだ。昨夜の塾のテーマは、まさに「民意」についてだった。

//仮設に行ってきました。
雨露しのげ、風呂はあり、ライフラインは整っている。「狭いながらも楽しい我が家」の”形”だけはある。
原発避難民。仮設村でどういうコミュニティーが築かれるのか。隣に入居するひとは知らないという。三陸地方では仮設への入居を躊躇する人が多いともいう。

これらをあわせて、あえて言わせてもらう。中央政府のやっていること、不作為も含めて、この国の中で、同じ権利を持つ国民であるはずなのに、「東北処分」が行われていると。

もし、この大震災が東京や大阪で起きたことなら、対応は違っていただろう。
地理的な距離感だけではない。意識の、目線の、こころの距離のなんと大きいことか。//


こんな事を縷々綴っていたのだ。

「東北処分」という表現。今日、今、書いてもおかしくない。そう、月日の経過はあっても、なにもかも“同じ”だということなのだ。
同じ“意識”の中に置かれているということなのだ。

「つなみ」に襲われて地域。瓦礫は片付けられた。空地だらけの風景。点在する人家、商業施設。

相変わらず「不便」さの中で暮らしている。

何やらコンクリートの壁が作られている。

「福島」はどうか。人の住めない土地。そこには“雑草”が生い茂っている。この時期の繁殖力はすごい。
人のいる地域は、そこが人の生命の源である、コメを作ってきた場であっても、所構わず、黒いビニール袋が大量に野積されている。

まったく見慣れていない光景が、見慣れた光景になろうとしている。

1F構内の実態は、いまだ「わからないまま」だ。多くの作業員が防護服に身を包んで働いている。多くが水との戦い。

炉内の水位は計算よりも30センチも少ないという。確実に“汚染水”は地中に吸い込まれている。

東京を常に比較の対象とはしたくない。でも・・・。

250キロ先では、再び災禍をもたらす「再稼働」に向けての動きが急だ。再稼働を歓迎するのは「東京」だけではない。この福島にもいる。青森にもいる。

原発に多様な“民意”を見る。

6年後、2020年を目指して、それをゴールにして、東京の「再開発」が急だ。
虎の門に出来た高層ビルの話題がマスコミを賑わす。テレビのレポーターが歓声を上げる。

月の家賃が最低でも160万円。そんな居住空間が紹介される。繁栄の象徴として。
月5万円、10万円の賠償金の増額や支払いを巡って、被災者は、生活の“恐怖”と向き合っている・・・。

やがて“マッカーサー道路”という、弾丸道路が出来るらしい。

羨んでいるわけでも無い。怒っているわけでも無い。ただ、「対比」としての一例・・・。

今月中に来ると言われていた我が家の周りの除染。作業の気配は無い。掘り返されるからと放っておいた庭。
夏草の背丈は30センチを越えそうだ・・・。

2014年6月10日火曜日

「県境の先で」

朝日新聞の連載「プロメテウスの罠」。今日からは新シリーズだ。
「県境の先」

そう宮城県丸森町筆甫(ひっぽ)地区の話になった。やっと、というか、ようやく、というか。

車がすれ違える程度の農道。その農道は県境だ。そこに標識があるわけでも無く。

降った放射線量は福島県内と同じ。県内と言ってはおかしいか。農道からこっちは福島県相馬市。数メートル離れて宮城県松森町。

そこを取り上げたメディアもあった。でも、たぶん、宮城県内の新聞・テレビの内容はわからない。そこを取り上げていたかもしれない。

そこは「高線量」なのにもかかわらず、“忘れられた部落”“置き去りにされた集落”だったのだ。

そこは福島県では無い以上、やはり「福島」、あるいは「フクシマ」と書かざるを得ない。

そこには避難区域となった福島県の町村と同じ線量があったのだ。

宮城県にある「フクシマ」を東電も国も、“無視”してきた。福島ではないから。
子どもたちの被ばく防止対策、除染。町の予算でやってきた。

福島を語る人たちは丸森・筆甫を知らない。山間の集落に忘れられて、取り残された地域があることを。

最近も“丸森”のことを書いた気がする。毎年、書いているかもしれない。

そこは「理不尽」の典型みたいなところだから。

朝日が以降、どんな筆致で丸森を、筆甫を書いていくのかはわからない。

数メートルの県境。数メートルの差が、天地ほどに大きい。意味をなさない県境。数メートル。

被ばく量1ミリシーベルトの上か下かの論議に似ている。福島は危険で、丸森は危険じゃないと言うのか。

この事に、「この国の姿」を見た思いがしていたのだ。

不思議なことにというか、偶然と言うか、その連載の横にあった記事。

環境省が栃木と宮城の2市2町に対して除染費用を拡充することになったという記事。これまで土の剥ぎ取りなどの除染対策に市町村が負担してきた分を震災特別交付金で支援するという記事。
具体的な金額や除染の方法などは環境省の説明には無かったとも言う。

遅すぎる。ふざけるな。だ。

福島、福島と言っていれば事が済む。そんな感覚を持っていたのではないか。
国や東電だけではない。福島を語る人の多くも。

テレビのローカルニュースは「県域」だ。宮城県の様子はよく知り得ない。知らないから気になる。甲状腺検査はやったのか。避難はしているのか。
どういう日常なのか。皮肉を込めて言えば、「情報過多の中にある情報過疎」だ。

避難区域なのか。今の線量は。余計なお世話だが、そこの人の日常も気になる。
賠償は・・・。

宮城県にある「フクシマ」という事実。そして日本にある「フクシマ」という事象。

2014年6月9日月曜日

「AKB現象」と民主主義

一口でいう「AKB48現象」。もはや立派な、この「平成」という時代にあっての「文化」なのだろう。

一人の音楽家の発案で生まれ、その人はやはり“天才”だったのだろう。ビジネスとしても。まさしく文化になってしまったのだ。それは、多くの人を引いつけるものがあったからだろう。

周りにもAKBフアンは多い。50のおっちゃんも30台も。田原総一朗もフアンだとか。

郡山の町でもAKBファッションの女の子をよく見かける。ファッションは秋葉原。話す言葉はぎんぎんの郡山弁。その“落差”がなぜか微笑ましい。

AKB総選挙というのがあったそうだ。人気の順位を決めるような。
7万人のフアンが雨の中参加したという。

会場で7万人の“民意”が行使された。棄権はもちろん無し。投票権をどうやって手に入れるのかまでは知らないが。

そんな記事を見ながら考える。民主主義のことを。

きのう行われた東京の中野区長選。投票率は29%余りだった。30%に満たない“民意”がそこにあった。

選挙における投票という行動の、民主主義の根幹を為す「選挙」。民意の表明。

AKB、投票率100%。区政29%。

もちろん比較対象の事案でないことは百も承知。

しかし、この現象が今の日本なんだと。AKBというのが一つの時代に咲いた徒花になるかどうかはともかく。

AKBの選挙には、積極的手段を講じて投票券を手に入れる。だまって投票券が送られてくる国政、区政の選挙には全く興味を示さない。
国民としての、市民、区民としての最大の権利行使には加わらない。

「民主主義」と「民意」。いま、それが福島で試されている。選挙のことではなく。

帰還問題、中間貯蔵施設問題、処分場建設問題。
住民説明会。住民、地元民の合意。
すべてに於いて「民意」が問われている。

全員一致の合意は有り得ない。100%は無い。

民意の延長にある「合意」と「納得」。それに至る手法は・・・。

十分な説明と国や行政は言う。住民からは不十分だと言われる。説明会に至るまでにさんざん待たされ、会が持たれると急な結論を求められる。

今の与党協議の在り方とまったく同じような。

政治の世界では“常識”として有る「ガス抜き」。永田町の常識は、地域住民のとっての“非常識”。

丁寧な説明と国は言う。机をはさんで向き合って、同じことを何回もいう。それが丁寧ということか。

丁寧と言うなら、住民の各戸を回れよ。一軒、一軒。仮設を回れよ、一戸、一戸。何時間でも差しで話し合えよ。そこに誠意を感じさせろ。
「わざわざ来てくれて長い時間話をしてくれてありがとう」と純朴な福島の人は答えるかもしれない。例え提案が不本意なものであり、その意にそえないものであろうとも。
誠意を感じさせること。それが丁寧な説明ということだ。

100人単位で呼びつけて話をしても、そこでは言いたいことも言えない人が一杯いる。地域の”分断“”軋轢“を避けたいからだ。

だから、福島の地で、小さな民主主義、地域社会の民主主義、その理念が試されているとあえて言う。

AKBは民主主義をかちえた若い女性たちなのかもしれないとも。

2014年6月8日日曜日

「吉田調書」をめぐって

昨日、道路で転倒。頭部強打。救急搬送。てなことあって・・・。道を歩く時も、とにかく細心の注意、集中が必要なんですな。齢を重ねれば重ねるほど。
だから「歩きスマホ」なんてあってはいけないことなんだと。
昨日も歩きながらちと考え事。歩くことに集中していなかった・・・。

ちと考えていたこと。それは「吉田調書」をめぐる動きのこと。

朝日新聞が抜いた吉田調書は記事を読んだ。デジタル版の詳細も「公開」されている第三章まで読んだ。
門田陸将が書いた「死の淵を見た男」も発刊されから割と早く読んだ。最初にそれを勧めてくれた人は「いろんな見方や捉え方があるでしょうが・・・」と言いながら。

優れたノンフィクションであったと思う。なにしろ吉田に選ばれた数少ない「外部」の人の一人だったのだし。

予断も偏見も持たずに読んだ。いわゆるマスコミが伝えない、伝えられない、当時の1Fのことを知ることが出来た。

「吉田調書」の記事と「死の淵・・・」のことは、あの記事が出てすぐに書いた。
要は「逃げた」「逃げない」ということの違い。
朝日の記事に対して、門田陸将の反論はすざましいようだ。

確かに、門田は聞いたことをそのまま書いている。と思う。なぜなら、あの本が出てからも吉田は異議めいたことは言っていないから。

僕には、もちろん取材した経験は多々ある。取材される側にまわってしまったこともある。
取材される側、その時の取材者とどこかで、気が合うというか、通じるものがあると思うと、なるべくその意向に沿ったようなことを言ってしまった経験がある。

門田の取材、ロングインタビュー。吉田は彼を信頼していたのだろう。そして、それが「本」になると知っていた。その上でインタビューに答えている。不特定多数の人が読むであろうことを心得た上で。それを読んだ人がどう思うかも考慮の中に入れて。

著者もあえて「英雄」を作ろうとしてはいなかったと思う。でも結果は“英雄像”が出来上がった。門田の次作、福島民友新聞の記者たちのことを書いた「男たちは海に向かった」という題名だったか、そこにも結果としての英雄が生まれている。

政府事故調による吉田への聞き取り。その担当は事故調のメンバーに入った検事だ。

取材と検事の聞き取りでは、雰囲気含め違うものがあるはず。吉田は「非公開」であることを前提にして喋ったのかもしれない。
そして、調書を記事にするときに、担当記者の先入観が記事に露呈されたということもあろう。

初回のあの見出しは、先に「死の淵・・」を読んでいたせいもあろうが、あまりにもセンセーショナルなものだった。

作業員の多くは地元の人間・・・。

ただ、問題は「吉田調書」というものの存在は事実だということ。その他700人余りの証言も事実として保管されているということ。その中には当時の政権中枢の人もいるということ。

吉田調書のみならず、事故調の調書は、歴史的資産なのだ。貴重な資料なのだ。
公開すべきものだと思う。

朝日が抜いたのは、それを渡した関係者がいたということ。“内部告発”が必要だと思った人もいたということ。

国会議員も含めて、公開うぃお求める声は多い。隠ぺいに悩まされてきた国民にとっても、政府の信を取り戻すためにも、それは公開したほうがいい。

もう一つの問題。それはマスコミの相も変わらぬ体質だ。朝日が書いたものは他社は無視する。その悪しき伝統が生きている。

調書を入手出来ないなら、朝日の記事によればーーというクレジットを付けて他社も書けばいい。公開を求めるために。

社風、論調の違いを超えたものとしてこの調書はあるはず。マスコミが共有しない以上、国民の共有物にも成り得ない。
公開は福島県民にたいする「義務」でもあると思う。調書をそのまま公開し、判断は国民一人一人に任してもいいのだ。

ジャーナリズムの責務。それが成熟されているかどうかが問われているのだ。
「競争」の原理でとらえている限り、成熟は果たせないと。

2014年6月7日土曜日

「六月」~茨木のり子~

どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終わりには一杯の黒麦酒
鍬を立てかけ 籠を置き
男も女も大きなジョッキをかたむける

どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろした夕暮れは
若者のやさしいさざめきで満ち満ちる

どこかに美しい人と人との力はないか
同じ時代をともに生きる
したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる


詩人 茨木のり子の作品だ。

3・11以降、たびたび彼女の詩を引用させてもらった。この場だけではなく、他の印刷物となって世に出る小文にも。

「倚りかからず」もそうだ。「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」もそうだ。

災後の混濁とした世にあって、それこそ自分自身の思考がカオスの中に有る時、書棚から取り出して、ページを繰る彼女の詩集。そこから受けるものは貴重なものばかりだった。

精神の平衡を保てたのも、彼女の詩を眺めることによってだったかもしれない。

数日前、友人が「茨木のり子展」の図録を持ってきてくれた。東京・世田谷文学館で開催されているという。立派な図録だった。そこで彼女の書斎の光景もみた。もしかしたら、唯一、信を置いていた「背もたれのある椅子」の写真もあった。

梅雨だ。今年の梅雨は、なぜか例年に増して鬱陶しい。反対に、そんな梅雨だからこそ、彼女の詩集を、図録を、しなければならないことが多々ある中で、しばし目を通させてもらうのにいい季節なのかもしれない。

図録にあった詩の一編。それが冒頭の「六月」という詩。

彼女は9年前、79歳で亡くなっている。作品はずいぶん前から読まさせてもらっている。

流し読みした詩の数々が、その断片が、災後によみがえって来たということだ。

ただ、この「六月」という詩は、恥ずかしながら初見だった。

美しい村も、美しい街も、美しい人も、どこか「今の福島」を題材に、4Bか6Bかの鉛筆で、丁寧にマス目に記されたもののように思えてくる。

どこかに当てはまること。

「そうして怒りが鋭い力になって・・・」。我々に向けられたメッセージではないかとも。

3・11後、特にネットに横溢していた「詩」は、いや「詩」という言葉を借りただけのような過激な言葉の羅列、鋭い刃物のような言葉の投げかけ。

それはそれで「怒り」の表現ではあったのだろうが、思考の範囲外に置きたいものばかりだった。

「ばかものよ」。その女性らしからぬ言葉。だけどそれに支えられていたような気がする。3年前の六月も、時折彼女の詩をめくっていたような記憶がある。

もし、彼女が存命であり、「3・11」を見ていたら、彼女の感受性の中で、どんな詩が生まれていたのだろうか。
彼女は「3・11」を受け止める、受け入れることが出来たのだろうか。何かを書けたのだろうか。

でも、やはり、数年先を見越していたのかもしれないとも思う。
だって、社会も人間も、あれを契機に変わってはいないのだから。

梅雨の鬱陶しさが運んできた鬱陶しい思い・・・。

2014年6月6日金曜日

福島と”民主主義”

今更、知ったかぶりして言う気もないが。
福島県は「自由民権運動」の東北での発祥地だったようなところだ。

民主主義の根幹を作り上げた「自由民権運動」。

三春には河野広仲がいた。福島民友新聞の創始者だ。浪江には刈宿仲衛という人がいた。3・11で彼の墓は壊され、その後だれかが再建したかどうか。
喜多方事件というのもあった。

福島県は、かっては意識の低い人達が暮らしているところではなかった。
安積艮斉を輩出し、日米開戦を阻止しようとした朝河貫一を輩出したところだ。

宮城県の地方紙に河北新報というのがある。「白河以北一山百文」に怒りを込めてつけられた社名。

河北新報には優れた記者が多い。社の編集方針も確立されているとも思える。そして福島の事に意を用いた記事も見かける。

「もう国会議員は呼ぶな 福島県町村会、怒りの提案」。そんな見出しの記事があった。

//「県選出の国会議員は招待するな」。福島市内で4日あった福島県町村会の定期総会に来賓の県関係国会議員16人全員が欠席し、反発した首長が異例の緊急提案を行った。提案には拍手が沸き、“地元軽視”と多数の首長が賛同した//

緊急提案とは「国会議員は招待しなくていい」というものであり、総会では、県内原発の全基廃炉や汚染水問題の早期解決を国と東京電力に求める特別決議も採択されている。

代理で秘書が来ていたのもあるらしいが、挨拶後早々に退席したという。

町村会長とて、その地の住民による選挙で選ばれた、いわば民意の“体現者”である。招待されたその会合に、いくら国会開会中だととはいえ、そろいもそろって欠席。それは、その場の“民意”を受け取らないということだ。

地元選出の国会議員の役割とは何か。民意を国に反映させ、その接点、橋渡し役をすることではないか。

民意の反映、それは制度としてあるのは選挙だ。民意の反映は民主主義の根幹だ。
国会議員を招待してということは、その会に「特別な意義がある」と町村会が判断したからだ。

こんな光景を想像してみる。

招待状を受け取った議員の秘書は、与野党問わず「センセイのところはどうします?」と議員会館の部屋を、聞いて回る。「ウチは今回、”公務“があるので欠席です」「そうですか、じゃウチのそうします」。

だいたいそんなところがオチなんだろう。

永田町と言うところは伏魔殿だ。そこに足を踏み入れた途端に、物の見方が変わる。国政全般にわたっての公務と相成る。

もう国会議員はいらない。そんな風にも読み取れるこの一件。国会議員選挙ではどうなるのだろう。

なにも大仰に「地方の町村会の反乱」などと言い募る気は無い。だけどこの一件が、民主主義と地方という命題を提供してくれたことは間違いない。

永田町の北側、平河町。そこには「全国都道府県会館」という立派な建物があった。町村会館というビルもあった。そこは国会議員も会合などでよく利用していた。

陳情という手段もある。地元と国との橋渡しとして。選挙区の有力者や有力団体の陳情には耳を貸す議員もいる。内容によってだ。
きょうも、欠席した議員のところにも陳情団が行っているかもしれない。

地元ってのはイコール、単なる票田なのかなとも。

2014年6月5日木曜日

“否定”としての福島

昨日、知人からメールをもらった。郡山に住む人だ。昨日のここに書いたことへの感想含めて。

「私たちは震災後、福島というくくりの中で否定されていると思った。

住んではいけない。行ってはいけない。食べてはいけない。育ててはいけない。
耕してはいけない。語ってはいけない。知ってはいけない。逃げてはいけない。

息苦しさの原因はこれなのかなと・・・。

そのうち皆、無かったことにされる。オセロゲームのように、ひっくり返されるだけで白が黒に変わってしまう。グレーだって存在するのに。世の中は角をとった方が勝ちってことなのか。

住んでいる。食べている。育てている。それ以上でも、それ以下でもないと思うのですが」。

否定される福島。否定の対象としての福島。“否定”としての福島。ひとくくりの中で。

福島を見る目を「差別」という言葉でしかくくってこなかった僕にとっては、「否定」という視点が刺激的だった。新鮮だった。適確だった。
頭の中の言葉の引き出しに「否定」という言葉が格納された思いだった。

否定として列挙されたことの数々。それは民主主義の理念の否定だとも思う。

基本的人権をはじめ、生存権、そして「自由」・・・。

我々は民主主義国家に暮らしている。誰もがそう信じている。それを疑わない。
だから、あらためて民主主義とは何かと問いかけると戸惑いさえも生む。

民主主義を享受しているものには、それの意味がわかっていないのかもしれないとも。

折しも昨日は中国であった天安門事件から25年の日だった。「5月35日」だった。

中国の歴史から「天安門事件」は消されているとも言われる。無かったことにされているようだとも聞く。共産党一党独裁国家。
未だに若者を中心に「民主化」を求める動きが盛んだとも伝えられる。

まだ「民主化」なのだ。「化」なのだ。そして、その国が大国として君臨しているということ。我々にとっては信じられない国家の有り様なのだ。

昨日も流されていた映像。戦車の前に手を広げて立つ若者。戦車を阻止しようとした若者。戦車をすら止めた若者。
彼は命を懸けて「否定」していたのだ。中国と言う国家の有り様を。25年前。

タイでも同じような映像を見た。中年の女性が一人、民衆を蹴散らそうと迫ってくる戦車の前に立ち、その動きを止めていた映像。
軍事という力を使って権力を掌握しようとする動きに、素手の人間が一人で立ち向かうということ。

民主「化」を求める国民がいるということ。完成されたかのような錯覚の中で、民主主義を当然のことと受け止めている国民の国。

福島から見えてくる民主主義とは何なのだろう。あらためて強く思うのだ。

福島からの「否定」があってもいい。あって然るべき。
言わずもがな「原発はいらない」という原発否定。しかし、それは、どうもかき消されているようだ。「現実的」でない議論だとして。

原発容認論者がいる。再稼働にアクセルを踏む政府がある。それに反対する人たちがいる。
その双方が「戦車」を介在させないで議論を戦わしているこの国。

だから民主主義国家なのかもしれないが。理念すら「否定」された福島からは、いや、そこに住む一人としては、そこに民主主義は見えてこないような気さえするのだが。

2014年6月4日水曜日

「福島」とは・・・

どうも3年以上にわたって同じような事を書いているような気がする。いや、事実そうだ。

「福島」という言葉でくくられることへの反感、違和感。ひとくくりにする人たちの“無知”、あるいは“短絡的思考”。

原発事故が起きる前までは、日本の白地図に福島県を書かる人は少なかった。
県名だって知られていなかった。福島ってどこって感じで。
磐梯山は知られていた。白虎隊も知られていた。東洋のハワイは東京のテレビCMでさんざん流されていたが。

同じ東北であっても、福島県人は、宮城県の「県土」の有り様を知らない。岩手県の「県土」の有り様を知らない。三陸がどこからどこまでかを知らない。

3年数か月前まで、日本には54機の原発があった。その原発に県名が付けられているのは福島と島根だけだ。その他は、それがある「地名」だ。

泊原発はどこ、伊方原発はどこ、浜岡は、川内は・・・。その県名を答えられる人は少ない。柏崎刈羽は、大飯は・・・。
もし、そこで事故があった時、その事故の呼び名はその原発の名称だ。東海村がそうであったように。

「福島の真実」「福島の真実を探すブログ」・・・。勘弁してよ。
ネット上に流布される「福島、福島」。「真実、真実」。それらのサイトを探し当てて悦に入っているなよ。

なにやら抽象的かもしれないが。
「福島を知らずして福島を語るなかれ」と。

福島県というのは明治政府が廃藩置県で敷いた行政区画だ。たんなる線引きだ。
例えば新潟県との県境は磐越道のトンネルの中だ。

磐前県、福島県(一時は岩代県)、会津県。それが合併させられて出来た県。中央の官僚によってひかれた線。
今は浜通り、中通り、会津と呼ぶ。この三地方、文化も風習も伝統も歴史も皆違う。
戊辰戦争時、敵味方であったとこもある。

会津には伝統食がある。浜にもある。中通りには特にこれと言ったものは無い。

東京電力福島第一発電所が爆発事故を起こし、大量の放射能が降った。放射能はその時の風に運ばれ北西方向にプルームが移動した。

福島県と宮城県の県境。細い農道がその県境。例えば丸森町。そこの線量は福島県の飯舘と同じだ。福島県の会津地方よりはるかに高い。

でも、そのことを今は多くの人が問題にしない。国は知らんふり。町が独自の対策。

福島原発事故がまき散らした放射能による諸問題。それは「フクシマ」と、やはり書くべきなのかもしれない。

くどいようだが漫画の話。やはり「いちえふ」というタイトルには納得する面がある。作者が見て知ってのは1Fのことなのだから。福島県のことではなにのだから。

放射線被害は福島県のさほどでない地域よりも茨城、栃木、千葉、群馬、埼玉などの一部地域にもかなりの影響を与えている。でも、それは滅多に話題に供されない。

「福島」という名前を特定すること。それが問題なのだ。それは県外者だけではなく県内の一部の人に当てはまる。

原爆。広島市に投下された。広島県内全域に「黒い雨」が降ったか。降っていない。だから「ヒロシマ」と書く人がいる。

福島県とひとくくりで語ること。真偽ないまぜになっての県内ではある意味の自虐感情。県外からの“差別”“蔑視”としての対象。

安易に使われる「ひとくくり」。もう4年だ。4年前と同じことを書いているということの“悲しさ”。
真実を知らない人が「真実」と声高にいう愚かさ。それに乗せられて、なにやら薀蓄を語る人達。

福島の真実。それは、住むところを追われ避難生活を強いられている人達。その人達を受け入れ共存しようとしている人達。30キロという無意味な線引きで引き裂かれた人とそうでない人と。その人たちと暮らしてみないと、真実なんてわからないはず。

汚染水にだけこだわっていても、とてもじゃないが“真実”の「し」の字も出てこないはずだけど。

そして双葉郡を語るなら、双葉郡の歴史にも意を用いて欲しいとも。せめて、なぜあの地が「双葉」と名付けられたくらいは。

2014年6月3日火曜日

行為としての沈黙を

ちょっと前、さまざまな自由というタイトルで日本人のことを書いた。
そこで引用させてもらったのが「海を見る自由」と題された立教新座高校の校長の式辞。2011年3月の15日付だったか。

それから3年後、その校長は、卒業式で「福島」について再び言及している。
もちろん見知った間では無い。それはどうでもいいことであり。彼から発せられる言葉は僕の心をわしづかみにしている。その言葉を温めている。折に触れて使わせてもらっている・・・。

その式辞から言葉を抜粋する。

「あらゆる身の回りのものを捨てて、二時間、福島の太平洋に向き合いなさい。
二時間で十分です。二時間は長いそれで十分です。
体で海を凝視しなさい。身についているすべてのものを脱ぎ去りなさい。
携帯電話。
スマートフォン。
書物も、カメラも。
友達も、恋人も、家族も置いて行きなさい。
忘れなさい。自分を取り巻くすべての情報から離れるのです。
あまりに過剰な情報に沈黙を与えなさい。行為として沈黙を作りだすのです。
独として海に向き合うのです。そして感じなさい。
五感を震わせて海を感じなさい。
波頭をその目で見つめなさい。潮のにおいをその鼻でかぎなさい。
波の音を聞きなさい。吹く風を身に受けなさい。
息を胸いっぱいに吸いなさい。
自然を体感するのです。若き体をいっぱいに開いて感じるのです。
新聞やテレビで分かった気になってはいけない。
今からでも遅くない。否、今だからこそ。震災から 3 年たった福島の海を見つめなさい。
すぐ近くで悲劇がおこり悲劇が続いているのです。
誰もいない海を見なければならないのです。

君が子供を持った時、君の子供はきっと聞くだろう。
「お父さん。震災の時何してた」と。
君が外国へ行った時、君は聞かれるだろう。
「日本の海はどうだ・・。福島の海はどうだ・・。」
「あの頃どうしていた」と聞かれるのは、君達の青春史に刻まれた宿命なのだ。
君は「忙しかったんだよ」と答えるのか。 忙しいと忘れるは、同源の語である。心を亡くすることだ。
「僕は福島を忘れていたよ」と答えるのだろうか。
福島に対して忙しいと言える者はこの日本にはいない。
福島に対して忘れたと言える人はこの日本にはいない。


福島をめぐる数々の言説。虚偽をないまぜにした過剰な情報。その情報に「福島」は戸惑っているのだ。
他者として、福島を見る目。この式辞はまったく正しい。この校長に敬意すら抱く。

「情報に沈黙を与え、行為として沈黙を作り出す」。

彼が言う「情報」とは、あの事故当時の開示されなかった情報のことではない。
今の1Fの様子を、避難生活を送る人たちの正しい情報を指しているのではない。

スマホ、カメラ、書物と例示している。そう、そこから吐き出される、時には興味本位の、時には偽善み満ちた、同情と言う名の憐みを持った情報のことなのだろう。

海を見て2時間沈黙する。体感する。そこを思考の場とする。他者が「福島」を語る上での“原点”だということなのだろう。

卒業生に与えられた式辞だ。でも、それは、日本人全員に、そこには福島県人ももちろん含んだ上でのメッセージなのだと勝手に思量する。

立教。昔で言うミッションスクール。この校長ももしかしたら「キリスト者」なのかもしれない。
「沈黙」。その二文字は、遠藤周作が書いた長編小説「沈黙」に重なっているのかもしれない。

何故、神は何があっても黙っているのか・・・。門外漢の僕も考えされられたあの小説。

そうなんだよな。あらゆる意味で、福島に対して、「人は饒舌すぎる」のかもしれないと。

2014年6月2日月曜日

「福島」の光景

酷暑である。34度。真夏だ。まだ冷房は家も事務所も車も使っていない。
「年寄りは家の中でも熱中症になる」って言われるが、どうも“意地を張っている”ようだ。
水分補給。お茶だ。ペットボトルの飲料は99,99%買わない。リサイクルできるとはいえ、やはり“無駄”なものだと思うから。

きょうも何組かに出会った。除染作業。長袖にヘルメット。計器などを収納するためのベスト。除染作業員であることを明示するためのゼッケンのようなもの。

遅いとか来ないとかは別だ。作業員はこの酷暑、相当こたえるだろう。それこそ熱中症による搬送だって有り得る。

それにも増して過酷なのが原発事故現場での作業員。休憩室や食堂など、“環境”はいささか“改善”されているというが、炎天下での完全装備の作業。吹き出す汗もぬぐうこと不可能という環境。
1F構内の様子はわからない。過酷であることだけは容易に想像できる。

おい、そこで、エアコンの効いたカフェでアイスを食べているお姉ちゃんよ。
ちょっとでいいから、そこに過酷な仕事をしている人がいることを、ちょっとだけでいいから想像してよ。

クールビズとか言って、「だらしない格好」で国会の中をうろちょろしてる先生方よ。お役人さんたちよ、せめて作業員のことを思ってネクタイ、上着着用してよ。
街中歩いているおじいちゃん、おばあちゃん、おとうさん、おにいちゃん、そんなラフでいいのかい。

福島は普通の生活している。そうだよ、だけど東京を同じじゃないからね。

暑さのせいかの八つ当たり(笑)

48機、原発は動いていない。だれもこの夏の電気のことを心配しない。

もっかの福島。中間貯蔵施設の問題と、賠償金の上積み問題。袋小路のような議論の数々。

全否定するつもりはないが、各所で「エゴ」のむき出し。行き着くとこはやはり「カネ」。

避難している人も、そうでない地域の人も、それぞれが「これからの生き方」を模索している。
説明会はあっても、そこは「対話の場」ではない。

そして、まま、持ち込まれる政治的手法。「ガス抜き」。言わせるだけ言わせておしまいってパターン。結論ありきの説明会。逃げの一手の東電本社。

昨日、郡山農学校の集まりで「土産土法」という言葉を聞いた。地産地消でも無い、地産地食でもない、これからの「食」の在り方。

土産とは、その地で生産されたもの。「みやげ」という字がこれにあてはまっている。土産という字を「みやげ」と読むようになったのはいつからか。

土法、その土地に昔からあった伝統的な料理方法。そこでしか味わえないもの。
地域の伝統や文化を大事にした食生活。

古くて新しい“思想”、新しくて古い“思想”。

3・11が食文化の在り方を変えた。見直しだ。食を通してこの国全体を見てみよう。そんなことがあってもいいはず。

10人か15人程度が車座になって、その地域の在り方をとことん話し合う。食の話だけじゃないですよ。3・11以降のさまざまな地域社会が抱える問題について。そんな「居酒屋改革論」があってもいいのかな。
町ぐるみの数百人相手の説明会じゃ拉致開かないよ。てね。

大仰なタイトルとはかけ離れた福島の断片の断片。

2014年6月1日日曜日

「福島」を語ることの難しさ

あっという間の6月。月並みだけど、多くの人が口を揃えて言う。
「時間の経過が早い、月日の移ろいが早い」と。
一日24時間。1年365日。物理的には昔も今も同じなのだけど、感じ方が違ってきているのか。

きょう6月1日は郡山では「市民クリーンアップ作戦」の日。町内会から配布された燃えるごみ、燃えないゴミの袋を持って朝6時半から道路や公園の清掃。

我が家の向う三軒両隣。ほとんどが若いお父さん。爺は吾一人のみ(笑)。まだ水が張られていない田んぼに投げられたゴミなど集めて。

30分足らずで終了。男どもの「井戸端会議」。
まもなく始まるはずの除染を巡っての。8軒の前の道は「私道」。8分の1ずつの所有権。その道は除染の対象になるのかから始まって、どういう“現状回復”をはかってもらうか。線量下がるのか。庭は思いのほかあったよな・・・。

車に郡山ナンバーが出来るとか。どうします。変えないよ。福島のままで行くよ。福島ナンバーは嫌われるからな・・・。

「会社の奴が言っていましたよ。東京に車で行ってホテルの駐車場に車とめておいたら、朝、ドアの脇に1000円札がはさまれていた。もう一人の人はバイクに追いかけられ、嫌だなと思いながら止めたら、バンパーに1万円札挟まれて“大変ですよね、ご苦労様”と言われた」。

素直に“善意”と解するか、何かの“他意”と受け止めるか。福島ナンバーか郡山ナンバーかに端を発した「人の動き」のことを巡る親父たちの会話。

昨夜は大学の郡山支部の学員会。単に卒業生たちの集まり。校歌を歌い、応援歌を歌い、ひと時だけの、一瞬の“絆”。

酒酌み交わしながら一人が言い始めた。「福島」って言葉で原発事故を語って欲しくないよな。俺のところは“風評被害”で大変なんだよ。
これとてもよくある話。

あっという間の4年間が経っても、「福島」をめぐる“環境”は変わっていないということ。4年前と同じような話が交わされているということ。

何かが進んでいるようで、何も進んでいないような「福島」。光景としの福島。それは野積された黒いフレコンバック。
帰還するかしないかの葛藤。現実、現状は理解できても、わかっていても認めたくない自分たちの立ち位置。


中間貯蔵施設をめぐる動き。始まった住民説明会。
「もう帰れないのはわかっているさ。それはわかったいるけど国の説明は納得できない。はっきり言わない。検討、検討ばかり。それに腹が立つんだよね」。
そんな住民の声が“正論”なのだろう。

そして何よりも、顕在化してきた、人の心の分断。軋轢。
住民合意というのは・・・。

多数決の原理にもとずく制度としての議会制民主主義はここでは通用しない。だから、福島で民主主義とは何かということが試されている。民主主義の理念が。

福島の地にいて福島を語ることが難しくなってきた。月日の経過とともに。福島の何をどう語ればいいのか。郡山にいて双葉郡のことを語り得るのか・・・。

難しい、難しい。禅でいう「公案」みたいなような・・・。

ポストに保健所からの案内が届いていた。ホールボディーカウンターの検査通知。試しに行ってみようかな。いい意味でも悪い意味でも。
この一事であっても、何を今さら、何を今頃という点でも「語るのは難しい」。