2014年6月9日月曜日

「AKB現象」と民主主義

一口でいう「AKB48現象」。もはや立派な、この「平成」という時代にあっての「文化」なのだろう。

一人の音楽家の発案で生まれ、その人はやはり“天才”だったのだろう。ビジネスとしても。まさしく文化になってしまったのだ。それは、多くの人を引いつけるものがあったからだろう。

周りにもAKBフアンは多い。50のおっちゃんも30台も。田原総一朗もフアンだとか。

郡山の町でもAKBファッションの女の子をよく見かける。ファッションは秋葉原。話す言葉はぎんぎんの郡山弁。その“落差”がなぜか微笑ましい。

AKB総選挙というのがあったそうだ。人気の順位を決めるような。
7万人のフアンが雨の中参加したという。

会場で7万人の“民意”が行使された。棄権はもちろん無し。投票権をどうやって手に入れるのかまでは知らないが。

そんな記事を見ながら考える。民主主義のことを。

きのう行われた東京の中野区長選。投票率は29%余りだった。30%に満たない“民意”がそこにあった。

選挙における投票という行動の、民主主義の根幹を為す「選挙」。民意の表明。

AKB、投票率100%。区政29%。

もちろん比較対象の事案でないことは百も承知。

しかし、この現象が今の日本なんだと。AKBというのが一つの時代に咲いた徒花になるかどうかはともかく。

AKBの選挙には、積極的手段を講じて投票券を手に入れる。だまって投票券が送られてくる国政、区政の選挙には全く興味を示さない。
国民としての、市民、区民としての最大の権利行使には加わらない。

「民主主義」と「民意」。いま、それが福島で試されている。選挙のことではなく。

帰還問題、中間貯蔵施設問題、処分場建設問題。
住民説明会。住民、地元民の合意。
すべてに於いて「民意」が問われている。

全員一致の合意は有り得ない。100%は無い。

民意の延長にある「合意」と「納得」。それに至る手法は・・・。

十分な説明と国や行政は言う。住民からは不十分だと言われる。説明会に至るまでにさんざん待たされ、会が持たれると急な結論を求められる。

今の与党協議の在り方とまったく同じような。

政治の世界では“常識”として有る「ガス抜き」。永田町の常識は、地域住民のとっての“非常識”。

丁寧な説明と国は言う。机をはさんで向き合って、同じことを何回もいう。それが丁寧ということか。

丁寧と言うなら、住民の各戸を回れよ。一軒、一軒。仮設を回れよ、一戸、一戸。何時間でも差しで話し合えよ。そこに誠意を感じさせろ。
「わざわざ来てくれて長い時間話をしてくれてありがとう」と純朴な福島の人は答えるかもしれない。例え提案が不本意なものであり、その意にそえないものであろうとも。
誠意を感じさせること。それが丁寧な説明ということだ。

100人単位で呼びつけて話をしても、そこでは言いたいことも言えない人が一杯いる。地域の”分断“”軋轢“を避けたいからだ。

だから、福島の地で、小さな民主主義、地域社会の民主主義、その理念が試されているとあえて言う。

AKBは民主主義をかちえた若い女性たちなのかもしれないとも。

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