どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終わりには一杯の黒麦酒
鍬を立てかけ 籠を置き
男も女も大きなジョッキをかたむける
どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろした夕暮れは
若者のやさしいさざめきで満ち満ちる
どこかに美しい人と人との力はないか
同じ時代をともに生きる
したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる
詩人 茨木のり子の作品だ。
3・11以降、たびたび彼女の詩を引用させてもらった。この場だけではなく、他の印刷物となって世に出る小文にも。
「倚りかからず」もそうだ。「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」もそうだ。
災後の混濁とした世にあって、それこそ自分自身の思考がカオスの中に有る時、書棚から取り出して、ページを繰る彼女の詩集。そこから受けるものは貴重なものばかりだった。
精神の平衡を保てたのも、彼女の詩を眺めることによってだったかもしれない。
数日前、友人が「茨木のり子展」の図録を持ってきてくれた。東京・世田谷文学館で開催されているという。立派な図録だった。そこで彼女の書斎の光景もみた。もしかしたら、唯一、信を置いていた「背もたれのある椅子」の写真もあった。
梅雨だ。今年の梅雨は、なぜか例年に増して鬱陶しい。反対に、そんな梅雨だからこそ、彼女の詩集を、図録を、しなければならないことが多々ある中で、しばし目を通させてもらうのにいい季節なのかもしれない。
図録にあった詩の一編。それが冒頭の「六月」という詩。
彼女は9年前、79歳で亡くなっている。作品はずいぶん前から読まさせてもらっている。
流し読みした詩の数々が、その断片が、災後によみがえって来たということだ。
ただ、この「六月」という詩は、恥ずかしながら初見だった。
美しい村も、美しい街も、美しい人も、どこか「今の福島」を題材に、4Bか6Bかの鉛筆で、丁寧にマス目に記されたもののように思えてくる。
どこかに当てはまること。
「そうして怒りが鋭い力になって・・・」。我々に向けられたメッセージではないかとも。
3・11後、特にネットに横溢していた「詩」は、いや「詩」という言葉を借りただけのような過激な言葉の羅列、鋭い刃物のような言葉の投げかけ。
それはそれで「怒り」の表現ではあったのだろうが、思考の範囲外に置きたいものばかりだった。
「ばかものよ」。その女性らしからぬ言葉。だけどそれに支えられていたような気がする。3年前の六月も、時折彼女の詩をめくっていたような記憶がある。
もし、彼女が存命であり、「3・11」を見ていたら、彼女の感受性の中で、どんな詩が生まれていたのだろうか。
彼女は「3・11」を受け止める、受け入れることが出来たのだろうか。何かを書けたのだろうか。
でも、やはり、数年先を見越していたのかもしれないとも思う。
だって、社会も人間も、あれを契機に変わってはいないのだから。
梅雨の鬱陶しさが運んできた鬱陶しい思い・・・。
2014年6月7日土曜日
“チェルノブイリ”異聞
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