2014年6月1日日曜日

「福島」を語ることの難しさ

あっという間の6月。月並みだけど、多くの人が口を揃えて言う。
「時間の経過が早い、月日の移ろいが早い」と。
一日24時間。1年365日。物理的には昔も今も同じなのだけど、感じ方が違ってきているのか。

きょう6月1日は郡山では「市民クリーンアップ作戦」の日。町内会から配布された燃えるごみ、燃えないゴミの袋を持って朝6時半から道路や公園の清掃。

我が家の向う三軒両隣。ほとんどが若いお父さん。爺は吾一人のみ(笑)。まだ水が張られていない田んぼに投げられたゴミなど集めて。

30分足らずで終了。男どもの「井戸端会議」。
まもなく始まるはずの除染を巡っての。8軒の前の道は「私道」。8分の1ずつの所有権。その道は除染の対象になるのかから始まって、どういう“現状回復”をはかってもらうか。線量下がるのか。庭は思いのほかあったよな・・・。

車に郡山ナンバーが出来るとか。どうします。変えないよ。福島のままで行くよ。福島ナンバーは嫌われるからな・・・。

「会社の奴が言っていましたよ。東京に車で行ってホテルの駐車場に車とめておいたら、朝、ドアの脇に1000円札がはさまれていた。もう一人の人はバイクに追いかけられ、嫌だなと思いながら止めたら、バンパーに1万円札挟まれて“大変ですよね、ご苦労様”と言われた」。

素直に“善意”と解するか、何かの“他意”と受け止めるか。福島ナンバーか郡山ナンバーかに端を発した「人の動き」のことを巡る親父たちの会話。

昨夜は大学の郡山支部の学員会。単に卒業生たちの集まり。校歌を歌い、応援歌を歌い、ひと時だけの、一瞬の“絆”。

酒酌み交わしながら一人が言い始めた。「福島」って言葉で原発事故を語って欲しくないよな。俺のところは“風評被害”で大変なんだよ。
これとてもよくある話。

あっという間の4年間が経っても、「福島」をめぐる“環境”は変わっていないということ。4年前と同じような話が交わされているということ。

何かが進んでいるようで、何も進んでいないような「福島」。光景としの福島。それは野積された黒いフレコンバック。
帰還するかしないかの葛藤。現実、現状は理解できても、わかっていても認めたくない自分たちの立ち位置。


中間貯蔵施設をめぐる動き。始まった住民説明会。
「もう帰れないのはわかっているさ。それはわかったいるけど国の説明は納得できない。はっきり言わない。検討、検討ばかり。それに腹が立つんだよね」。
そんな住民の声が“正論”なのだろう。

そして何よりも、顕在化してきた、人の心の分断。軋轢。
住民合意というのは・・・。

多数決の原理にもとずく制度としての議会制民主主義はここでは通用しない。だから、福島で民主主義とは何かということが試されている。民主主義の理念が。

福島の地にいて福島を語ることが難しくなってきた。月日の経過とともに。福島の何をどう語ればいいのか。郡山にいて双葉郡のことを語り得るのか・・・。

難しい、難しい。禅でいう「公案」みたいなような・・・。

ポストに保健所からの案内が届いていた。ホールボディーカウンターの検査通知。試しに行ってみようかな。いい意味でも悪い意味でも。
この一事であっても、何を今さら、何を今頃という点でも「語るのは難しい」。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...