「吉田調書」という文書が存在する。原発事故後、政府の事故調査委員会が、長時間にわたって、当時の1Fの所長、吉田昌郎氏から聞き取った、彼が把握している「事実」である。聞き取りをしたのは事故調に出向いていた検事。
事故調の畑村委員長をして「貴重な歴史的資料」と呼ばさしめたものだ。
調書の存在を否定するものはいない。しかし、政府は「公開」にためらっている。それを抜いた朝日新聞の記事はまだ完結していない。
紙面やデジタルで掲載したあと、一冊の本にまとめ、「歴史的資料」として後世に残すべきであり、誰しもが手軽に読めるものにする“使命”だってあるはずだ。
原発の再稼働を許可するかどうか、それは原子力規制員会の判断にゆだねられている。とされる。
その委員会の田中委員長は、「吉田調書」を見ていないという。いや、読む気もなさそうな気配だ。実際はいち早く読んでいると思うが。読んでいないと言わざるを得ない事情があるのだろう。
再稼働を認定するかどうか。それは地震学者も含めた、各層の専門家の判断にゆだねられている。
科学者の判断は、おおむね、知識と経験、机上の研究によって成り立っている。
吉田調書があぶりだしているのは、過去の知見や経験、なによりも「人の動き、判断」。それがいかに「あてにならないか」を白日のもとにさらしたともいえる。
再稼働の判断材料として、たとえば「避難計画」の問題にしても、多くの示唆に富んだものなのだ。
なぜそれを“無視”するのだろう。
規制委員会は、文字通り「規制」にかかわるところだ。3・11前の安全員会にとってかわって出来た組織のはず。それは安全員会と同じように単なる隠れ蓑なのか。
あげく、委員を交代させる。それは官邸の意向によるものだ。委員会の中の“異論”を排除しようとするものだ。
田中俊一委員長は福島県の出身者だ。小中高と福島県内の学校に通い、東北大に進んだ人だ。
1Fの事故。それは彼にとって決して「他人事」ではないはずだが・・・。
3・11の前、彼は裏磐梯にある諸橋近代美術館を訪れている。そこにあったダリの絵に感銘を受けたとどこかに書いていた。
そのダリの絵。「ビキニと三つのスフィンクス」という「核」をテーマにした作品。アインシュタインの「脳」も描かれている。
田中委員長はその絵を見て「文明のあり方について考えるところ大であった」というようなことも書いている。ダリは明らかに、原爆、水爆、原子力というものに対して、人間の非力さと恐ろしさ、その警鐘を発しているはずなのだが。
田中委員長の「脳」の中に刻まれていたはずのダリはどこへ行ったんだろう。
なんで、委員の交代を黙って受け入れるのだろう。
原子力規制員会と吉田調書の間には、「原発」というものに対しての埋め難い溝がある。
吉田調書は現場の生の声だ。再稼働論議の中で、もっとも生かされるべきは「生の声」だと思うのだが。
この構図自体が「スフィンクスの謎」のような気さえしてくる・・・。
2014年5月31日土曜日
“チェルノブイリ”異聞
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