2014年5月10日土曜日

成人とは何歳か・・・はっきりさせる時

国民投票法改正案が衆院で可決された。今の国会で成立する。施行は4年後から。
投票権を持つ年齢は18歳以上。

憲法改正の手続きを定めた国民投票・・・。半数で改正が出来る。

異論は無い。年齢引き下げには。

でもね、それなら、普通の選挙の選挙権も18歳にするべきだ。いわゆる「成人」という国民的定義も18歳とすべきだ。

この“整合性”の無いところが嫌なのだ。だから改憲を急ぐための手段ととられる。ま、実際そうなのだけども。

成人。つまり大人ってことだ。すべての物事に判断力があるから大人っていう理屈だ。

18歳と20歳。その2年の差ってなんだ。

20歳までは酒も飲んではいけない。煙草を吸ってもいけない。法律はそう規定する。

でも、今はそう呼ぶのかどうかしらないが、ポルノ映画は18歳未満お断り。たしかパチンコ屋もそうだったような。

法律も社会通念も共通にした方がいい。

20歳以下の犯罪の対応もそうだ。まず、未成年ということでマスコミは決められた慣習通りに名前を伏せる。それがどんな凶悪事件であっても。
扱う裁判所も家裁と地裁とに別れる。留置施設も違う。

今や、18歳というのは立派な大人だ。大人と子供とどう違う。大人顔負けの子どもがいる。子どものままの大人もいる。
親離れしない子ども。子離れしない親。

大卒は22歳。入社式に親が同伴する。

体力だって18歳になればいっちょまえだ。いや、それどころではない。スポーツ選手で活躍しているのは15才であり、17歳であり、18歳。

中学生の時、バーベルを持とうとしたら先生から怒られた。「子どもは筋肉がまだ発育途中。筋トレなんかやったら、発育を阻害することになる」と。
今は15歳以下だってやっているはず。

「3・11」後、メディアを通していろんな若者のことを知った。被災地の子供たち、未成年者。「立派」な子がいたということ。自立した子がいたということ。大人の支えになった子がいたということ。

ボランティア活動に積極的に参加したのは高校生や大学生だったということ。

そして彼らから我々は学び、彼らも学んだということ。

東日本大震災は、多くの「強い若者」「考える若者」を輩出したということ。

改憲の手段としての18歳。姑息に見える。

全ての投票権、その権利の行使、社会生活への参加。「成人」なるものの枠を18歳にするべき。

あらゆることで個々人には「差」がある。しかし、どこかで「ライン」を引くとすれば社会規範全体で統一すべきなのではないか。

ばかばかしい話かもしれないが、スマホの扱い方、使い方は18歳未満の子どもの方が勝っている。使い方の判断力は20歳以上の若者の方が間違っていることもある。

画一的基準っていうのは好きではないが、改憲のための手段としての年齢引き下げに見えてしまうのは僻目か。
だったら首相公選制でも採用したらいかが。国民投票で。
見せかけの“代議制政治”には、いまや、うんざりなんだ。

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