2014年5月25日日曜日

日本人よどこへ行く~滑稽な国~

言動がおどけていて、おもしろくおかしいこと。またばかばかしくておかしいと。滑稽という字を岩波国語辞典でひくとこう書かれている。

なぜか多くの人が「思考停止」に陥ったままのような気がする。

民主主義国家にいながら、民主主義を否定するかのような政治の中の動き。民主主義の諸制度を“強要”されながら、その制度すらも機能していないような。


国民主権であるはずなのに、首相にだけ主権が存在しているような。
立憲主義が基本であるはずなのに、解釈でどうにでもしようと図っていること。

平和主義をうたっているのに戦争が出来るような国にしようとしか見えないことども。

さすがに国土の一部が放射能に汚染されたからだろうか。「美しい国」というフレーズは聞かれなくなったが、国家百年の大計よりも個人の観念が優先されているような。

怒りよりも“滑稽”にすら見えてくる。

憲法9条にノーベル平和賞を。そんな運動を東京のはずれに住む一主婦が思い立った。輪が広がり、ノーベル委員会が受け付けた。
国会議員の60人がそれの賛同したとか。

滑稽だ。そんなこと立法府の一員である国会議員が思いつくべきことでしょ。

くだらない漫画に触発されてか。福島には人が住めない。住んではいけない。学者さんが人道主義者のようにまたぞろ言い始めた。強制避難、強制移住させろとも。
「強制」なんて、そんな強権的な国家主義みたいなことを学者さんが、それも政権を支持していない人たちがいい始める。

どこへ行けばいいのだ。それは国が決めることと平然といい放つ。常識で考えようよ。100万人以上の人たちが、福島県民がこぞって移住できるようなところが存在するのか。土地、住宅、就労、学校・・・。非現実的なことを学者とか識者という人が“正義”を旗印に言い放つ。

滑稽なんだよ。“汚染”された地域で、どう生きるかの手立てを考えることが一番大事な事のはずなのに。

マグニチュード8クラスの地震が30年以内に確立70%であると予測が出されている。
誰しも、残り30%の側に身を置いている。30%の側に自分たちはいると信じている。いや、30%の安心感によりかかる。30%であることを祈る。30年というタイムリミットを勘定の中に入れる・・・。30年先は考えない。

静岡県の浜岡原発が事故を起こせば96万人の避難が必要になるといわれている。言われているだけ。避難計画なんて存在しない。机上にはあったとしても実情とは乖離している。はなはだしく。

無理なんだよ。96万人が、それも原発事故災害は台風災害とは違う。何十年も戻れないのだ。そんな避難地域がどこにあるのだ。無い。
計画が有りや無しやが再稼働容認の条件だという。実行不可能の紙に書いただけのようなものが条件だなんて、「フクシマ」の何を学んだというのだ。

その再稼働を事実上決める規制委員会の田中委員長は「吉田調書」なるものは知らない、読んだこともないという。科学的知見に基づいて判断するという。
科学的知見が、いかに役立たないか。吉田調書で明らかだ。助けもこないことも事実として証明されている。
国会議員もその調書を読んでいないという。

あまりにも滑稽過ぎないかい。

天皇家の憲法観をまったく意にも介さず“改憲”をよしとする人たちっていったいどこの国の人だと言いたくなる。許された範囲の中で「平和憲法」を守るといわれている陛下の意向は無視でいいのか。
A級戦犯にされた東条英機だって、昭和天皇の「戦争回避」の意向を、御製に託して述べられた意向を涙して聞いて、それに動こうとした。時すでに遅しだったが。思考停止だった戦意横溢の国情には勝てなかった。

なんだか滑稽なのだ。

滑稽という言葉から「道化」という言葉を連想する。道化師、ピエロ。
ピエロは顔で笑わせ心で泣いている。
なぜか、この国に住む人たちは“道化”に操られ、知らず知らずのうちに「道化師」を演じさせられているような気もしてくる。

まさしく、ぼく自身がそうであるとも自認しているように。

きょはちょっと過激だったかな。

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