2014年5月19日月曜日

昔からあったコミュニティー「隣組」

少人数の集まりで町おこしやコミュニティーの話になった。

「3・11」がきっかけで、住んでいる地域の“連帯」を考えるようになったと40歳が言った。
あまり馴染みが無かった隣近所の同世代に話しかけ、時折なんていうことはないが集まることにした。庭で半日バーベキューをしてどうってことない話をしたという。
祖父の代、親の代が住んでいた古民家を持っている50歳がいた。かなりの敷地もある。その古民家を再生してそのさびれゆく地域の“再生”拠点にしようなどと話し合った。

コミュニティーとは何か。もともと在ったのか、震災後同じ場所にいる人たちの繋がりの場としていわれるようになったのか。そのカタカナ語の是非はともかくとして。

60歳が言った。向う三軒両隣っていうじゃないか。俺が生まれた部落では、そこの人間関係や付き合い方は難しかったけど、たしかに何かあると助け合ってもいたようだった。と。

ふと思い出した。「隣組」という歌。昭和15年に作られた歌。連日のようにラジオから流れていた。戦後の至っても。不思議なことに歌詞を覚えているもんだ。

♪とんとんとんからりと 隣組 格子を開ければ 顔なじみ
廻して頂戴 回覧板 知らせられたり 知らせたり 
とんとん とんからりと 隣組

あれこれ面倒 味噌醤油 ご飯の炊き方 垣根越し
教えられたり 教えたり
とんとん とんからりと 隣組

地震やかみなり 火事どろぼう 互に役立つ 用心棒
助けられたり 助けたり
とんとん とんからりと 隣組

何軒あろうと 一所帯 こころは一つの屋根の月 纏められたり 纏めたり
とんとんとんからりんと隣組♪

隣組組織、それは戦時下の銃後の守りとして考え出された、一口で言えば「相互監視体制」。防空体制の維持やある時は思想統制も担ったものだった。

そんな「意図」は歌詞からは微塵も感じられない。助け合い、相互扶助の良さ、ほのぼのとした隣近所付き合いが前面に出されているから。

40歳はスマホで検索し、面白い歌ですねと聞いていた。すぐに歌を歌詞を覚えた。

70歳は思った。あらためてコミュニティーなるものを。

隣組は15軒くらいが単位だった。コミュニティーにはもちろん定義が無い。

そこでは常に「意思決定」を迫られる。住民合意というやつだ。
コミュニティーとしての民意。

20軒あったとしよう。すべての合意ってはかられるのか。19対1だったとしよう。1はコミュニティーの中でどういう位置づけになるのか。
“排除”されるのか。

昔の、戦時下の隣組は国家の強制のもとで出来たもの。
福島のコミュニティーは、いや、福島に限らず、それは自然発生的に、古い歴史とともに生まれてきたもの。

コミュニティー論。いま、福島で試されている。住民合意の在り方が。
今、福島で試されている。民意と民主主義が。


酒席をネタにするのは悪癖なのかな。

理屈はやめておく。隣組って歌は、やはりある種の郷愁を誘う。それでいいじゃないかとも。

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