もう5月なのだ。早い。一年の三分の一が終わったのだ。
爽やかな五月。郡山の道路や街のあちこちに、今日という日を待ちわびたかのようにハナミズキが一斉に花を開いた。
もしかしたら一年で一番いい季節かもしれない。やがて田植えが始まる。水をたたえた田んぼにはカエルの声が響き渡たる。
昔、よく通っていた東京電力福島第一、第二発電所。正面入り口からホールのあったところまで一面花で埋め尽くされていた。見事に手入れされて。これとて“記憶の中の光景”か。
季節の便りがうれしい便りも運んできてくれる。
毎日新聞のカメラマンが4月26日の夕刊を送ってきてくれた。福島では読めない夕刊。
2面の全面を使って彼の写真と記事が載っている。
Eye 見つめ続ける大震災。
福島の日常潜む侵入者 点在するモニタリングポスト。
見出しだ。
写真はそのモニタリングポストがある県内の光景を切り取っていく。
福島市、郡山市、川俣町、川内村、雪の北塩原村、桑折町と。
桃畑の脇のそれ、陽だまりのベンチで憩うお年寄りの脇のそれ、マラソンびとが行き過ぎる農産物直売所の脇にあるそれ、通学路にあるそれ、運動会のグラウンドにあるそれ・・・。
彼は記事の中で書く。
「校庭や公園、駅前広場といった何気ない景色にデジタル数字のパネルを伴った機械が紛れ込む。その存在を不思議がったり表示を気に掛けたりする人々の姿はほとんど見ない。今では福島の日常風景に定着してしまった感がある」。
4月、桜を見に近所の公園に犬を連れて行った。そこのパネルの数字は0,338μ。誰も気にしていなかった。数字が“孤独”を放っていた。
記事は続く。
「震災や原発事故を境にして、私たちの現実世界には数々の大きな変化が生じた。大切な人を亡くしたり、大切なものを失ったり、大切な場所から離れたり。
可視と不可視、日常と非日常、震災前と震災後―。ソーラーパネルと電光掲示板を備えた白いカプセルや銀色の箱に遭遇するたび、福島の現実を駆け巡るいくつもの境界線が、そこで交差しているように思えてならない」。
彼と初めて会ったのは去年。数週間の福島取材を終えて東京に帰る前日だった。
夜、酒を酌み交わし、いろんなことを話した。彼は静かに聞いていた。
東京に帰った後、彼はこんなことを書いてきた。
「高層ビルの立ち並ぶ東京駅に降り立った時、安堵感とともに、“うしろめたさ”を感じた」と。
そして今回も手紙が添えられていた。
「東京から福島に通い続ける“よそ者”の視点ではあるが、読者に何かを感じ取ってもらえればと願っている。これからも私に出来る形で福島に接し続けていきたい」と。
新聞を切り抜き、記事と写真をファイルに入れた。
彼はまたきっと福島に来るだろう。その時はまた一晩飲んで語りたい。
5月1日はメーデーだ。かつては労働者の祭典と言った。労働組合の最大組織「連合」は、すでに先月25日、安部を来賓に招いて“祭典”を終えている。
権力に限り無くすり寄る「連合」という労組組織。
きょうは全労連、全労協が代々木公園で、日比谷公園で集会を開いているという。
原発作業員を守れない労働者の組織・・・。無くなった境界線、親密に交差する労使・・・。
郡山でも集会が開かれているのか。遠くからシュプレヒコールのようなものが聞こえてくる。5月の風が運んでくる・・・。
2014年5月1日木曜日
“チェルノブイリ”異聞
ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...
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新しい年となった。雪の中だ。 良寛の詩作を引く。「草庵雪夜作」の題名。 回首七十有餘年 首 ( こうべ ) を回(めぐ)らせば七十有餘年 人間是非飽看破 人間の是非看破(かんぱ)に飽きたり 往来跡幽深夜雪 ...
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そう、あれは6月の初めだったか。 急に視力が悪く、パソコンの画面が見え難くなった。 脳梗塞で入院した時、最初に診察してくれた当直の麻酔科の医師が「白内障が出てます。手術した方がいいですよ」と教えてくれていた。 その後転倒して、それも二回。 CT 検...