戦争と平和。誰しもが若いころ読んだであろうトルストイの名作。昨今の世情見ながら、この本の題名が浮かんできた。
なぜ人は殺し合うのか。なぜ人は愛し合うのか・・・。
平和という言葉は戦争の対義語としてあるのか。
平和のための戦争ってあるのか。でも、それは大義名分になっており、それに酔いしれている人も多い。
積極的平和主義ってなんだ。平和憲法って何だ。
平和って何だ。
平和という言葉がもてあそばれている。戦争がなければ平和なのか。
皐月の青空を見上げる。植えられた田んぼの稲を見る。雲を見あげる。風は心地よい。「平和だな~」とつぶやく。穏やかな空気。それだって平和。
集団的自衛権の行使容認にあたって、安部はしきりに国民の生存権を言う。戦争が無くても生存権は確実に脅かされている。
たぶん、ぼくが考えている「平和」と安部の考えている「平和」の間には、もしかしたら埋めがたい溝があるのかもしれない。
戦争で平和は確保できない。
集団的自衛権の行使となれば、戦争に巻き込まれる、いや、積極的に参加せざるを得ない状況が待っている。
戦場に行くのは自衛隊員だ。
この問題について自衛隊員はどう思っているのだろうか。
今の自衛隊は実質上は軍隊と変わりはない。しかし、70年前の軍隊とは違う。
個々の意志は多少は尊重されているはず。
もちろん防衛省はそれを認めはしないだろうが、集団的自衛権について、「当事者」となる自衛隊員はどう思っているのか。そんな意識調査はできないものか。
そんなことすら思う。
国を守るということはどういうことか。国土という。土という字が入っている。
土を守ること。それが国を守ることと思うは論理の飛躍か。
福島に来た安部は、またもや、やはりパフォーマンス。満面の笑みでトラクターに乗り、土と触れ合ったかのようなポーズを演出する。それを取り巻きの福島県選出の議員が見守っている。
県民の多くも、いや一部か。それを歓迎している。
土を失った人たちに接したのはわずか5分。対話でもなんでもない。改憲、集団的自衛権の解釈変更。それについて「国民的議論を」という。自分からは議論の場に身を置こうとしない。
一連の改憲問題。戦後レジュームからの脱却と安部は言った。たしかにそれは彼の信念なのだろう。
戦後レジュームの中からは「平和ボケ」なんて言葉も生まれた。平和ボケとは何も考えないということにつながる。権力者によりかかっていることの安心感。
安部の人事の妙。同じ思想、意見の人たちで周りを固めた。その人たちはほくそえんでいる。安部をして自分たちの「思い」を達成さえようと。安部の周りには議論は存在しない。
異論はことごとく排斥していく。
国民はすべからく「考える人」になるべきだ。考える素材を提供するのがメディアの役割だ。メディアを通してしか伝わらないことがほとんどだ。
だからメディアこそが「考える媒体」に「キュレーター」にならなくてはならないのに。
メディアも安部の「戦略」に巻き込まれてしまった。戦略に長けたラスプーチンがこのところ官邸に足しげく通っていた。
安部は格好の、「考える材料」を提供してくれたと思おう。日本人が「考える人」になるための。
福島にとっての「平和」って何なんだろう。だれも答えを持っていない・・・。
2014年5月18日日曜日
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