2014年5月28日水曜日

日本人よどこへ行く~“差別”ということ~

「差別」。おそらく人類にとって永遠に解決できない問題なのかもしれない。

「3・11」後。折に触れて差別の事を書いてきた。福島と水俣。福島と広島。福島と沖縄・・・。

日本人の中に根強くあった「差別意識」なるものが、原発事故によってあらためて露呈されたということ。

「被ばく」という得体の知れないものに対しての、恐怖心からなのか。いや、それだけではない。長い歴史的な民族意識の中にあった差別意識。

そう、東北を中央が蝦夷、熊襲の国と呼んだあの時代からも。
そして明治政府になってからも「言語」をめぐる差別・・・。蔑視・・・。

ネットを含めたメディアからの仄聞によるものではない。3・11後、「福島ナンバー」の車に乗っているということだけで、入館を断られた塾生。それは同じ福島県の会津坂下での出来事だった。
東京の表参道で、わざわざ車を割り込ませ、罵倒された子連れの主婦。よく知っている人。

2011年、何度か東京に講演に呼ばれた。受け狙いと、反応を見るためにわざと冒頭で言った。「放射能を運んできました」と。
笑い飛ばす人もいた。複雑な反応を示す人もいた。その反応を確かめながら、風評含め、放射線被害に苦悩する福島県の人たちの話をした。

あの年の今頃か。全村避難で飼っていた牛を手放す酪農家の姿。嫌がる牛をトラックに乗せ別れを告げる姿。
処分される牛は、それがわかっている、だからその時には涙を流すと、食肉業者の人から聞いた。

母方の実家は兵庫県だ。食肉や皮製品を扱う人達は、今でいう被差別部落の出身だとよく聞かされていた。同和という言葉に変えられたが、昔は「よつ」と呼ばれていた。
なぜ被差別部落が生まれたのか。出自がそんなに大事なのか。被差別部落への「差別」、それは、今、よく言われる「ヘイトスピーチ」なるものへとつながってきているような気がする。

人は毎日、動物や魚や農作物や。命としてあったものを食べて生きている。かつて生きていた、命があったもの以外に食べ物は無い。

グルメ番組が盛んだ。「これにこれを加えてこうやっていただきます」。そんな言葉づかいにみんな慣れている。いただきます。それは命に対する感謝の言葉のはずだ。あなたの命をいただきます。それで我々は生きているのですという感謝。

「食事の前にはいただきます」と言いなさい。「手を合わせなさい」。食べ物を粗末にしてはいけません。そう言われてきた。日本人が長年にわたって持ってきたはずの“自然”“動物”“魚”・・・それらに対する感謝の言い伝え。
だから「戴きます」という字になってくるのだ。
でも、食品はスーパーの陳列棚に初めっから並べられているものと思っている人もいるはず。

消費者は、その食品が生まれる過程での「屠殺」という現実を忘れている。その作業にあたる人たちのことも念頭に無い。米作りの苦労も、今の人たちは知らない。その屠殺という仕事にあたる人たちが差別の対象をされてきた。

原発の構図が、これに重なるのだ。

原発や基地の問題にどこか似ている気がする。原発が生み出した電気や、沖縄の”犠牲“によってなりたっているかりそめの平和。その恩恵に預かりながら、その現場の人たちの苦しみや悲しみに思いを馳せることは無いという社会構造。
見るべきものを見ないようにして、ただひたすら、自分たちの安穏な生活、美味しい食卓を何も考えずに享受している人達。そして、放射能だけを云々する人達。

「原発」を知っていて電気を使っているのか。「食べ物」を作り出している人たちの、時には“苦悩”さえ伴った作業を知って日々の胃の腑を満たしているのか。

知ると知らないということには決定的な「違い」があると。

こんな話は、もう3年も前に塾生には話をした。覚醒して欲しかったから。

こんなことを今更ながらに書いている。再稼働が、また別の地域で、あらたな差別を生むこと必定なのだから。

一番問題なのは「差別」している人が「差別している」ということに気づいていないということ。
2011年ではない。2014年なのだけども・・・。

「命をもらっている」「誰かの犠牲でこの国は成り立っている」。だれか子供たちに、そんな事を教えてはくれぬか・・・。

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