2014年5月8日木曜日

「過去の人」だからこそ

小泉・細川コンビが動き出した。一般社団法人「自然エネルギー推進会議」というのを立ち上げた。そこそこのメンツの賛同者もいる。

名称こそ「自然エネルギー推進会議」だが、実態は脱原発だ。記者会見した二人はそのことを滔々と述べている。
小泉節には説得力がある。

もう政界を引退した人なんだから。過去の人なんだから。再稼働を目指す自民党を中心とした人たちの反応。一言で切って捨てている。
これがこの国の実情。

過去の人・・・。改憲論者は集会に大勲位中曽根を引っ張り出す。引退どころか足元もおぼつかない超高齢者。中曽根は過去の人ではないということなのだろう。

自分の事を書く。
長らく東京で政治記者をやってきた。原稿を書き、カメラの前でしゃべった。その時は、その時やらねばならないこと、伝えるべきだと思ったこと、デスクから言われたこと。それを取材して電波に乗せていた。それで満足していた。
テレビの前に、そのニュースを見ている人がいる。その人たちがどう思うかということはほとんど眼中になかった。
冗談のようだけど、まさに「送りっ放し」。

ニュース番組を立ち上げる時、企画書には必ず「視聴者目線で」と書いた。でも、それは実相を掴んで書いたものではなかった。
視聴者が知りたいニュースを提供していたのではない。こっちが勝手に「これがニュースだ」と、いわば押し付けて来たようなもの。
そのまま突っ走っていた。

福島に来て、やがて営業担当になった。いつも見ていたのは広告代理店とスポンサー。視聴率は気になった。その数字が営業の売り上げと密接に絡んでいるから。
そこでは見ていなかった。スポンサーの向こう側。つまり、その商品を買う消費者のことは頭のなかにあまり介在していなかった。

なぜか悶々と考えていた時がある。テレビ会社にいる人間として。

どこかで視聴者と消費者を分けて考えていた。しかし、それは全くの違いであって視聴者、イコール消費者だということ。

ある日、テレビ局を辞める羽目になり、一介の駄文書きになった。元テレビ、そんな“肩書”も使ったことはない。プロフィール欄には入れているが、それは「そんなに怪しいものではありませんよ」という微細なアイデンティティーだけのこと。

テレビからは「過去の人」になった。なってみて驚いた。テレビがよく見えるんだな。そこに長年居たからこそ見えてくるものがあり、多少の節制を保ちながらも、言えることが言えるんだな。そんなこと。

政治の世界でも然り。現役の頃は、自分が見たものが聞いたことがすべてだと過信していた。見えないものを見る目なんて持っていなかった。当の政治家だってそうだ。

「過去の人」になると、見えないものを見ようとしてくる。

まさに小泉・細川がそうじゃないのだろうか。

小泉構造改革を批判してきた。郵政民営化のばかばかしさも指弾してきた。
細川も小泉もそうだ。

現職の時は見えるものしか見ていなかったんだから。

過去を知る者は現在も見える。現在を見れば未来も展望できる。

「国民的運動」の旗振り役になると言う。振ってくれ旗を。

願わくば、彼らの陣営が「同床異夢」の集まりでないことを、小異をのみ言い立てる人が攪乱しないことを。

テレビをみていてびっくりした。郡山のなんだかわけのわからぬ「おばちゃん」が“当事者”然としてうろちょろしていた光景。引っ掻き回す人になってほしくないのだが。

ちょこっとだけ、この「細川・小泉連合」に期待してみようとも思う。自然エネルギーの展望は見えないし、この運動が海のものとも山のものともわからないが。雲散霧消無きことを祈る。

再稼働には一点の「利」もないはずだから。

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