2014年5月12日月曜日

「高齢者」って何歳からということ

若者の、成人の年齢のことについて書いた。老人の事も書かねばバランスが悪いかも。

世間一般で言われる、というよりも国が言う高齢者は65歳以上ということだ。

65歳以上は高齢者。この「ひとくくり」に違和感がある。いや、異を唱える。

経てきた年月。生年月日から割り出される年齢。それと“実年齢”のは大きな差があるということ。

孫がいれば「おじちゃん」と呼ばれるのも致し方あるまい。でも孫のいない人も年齢でおじいちゃんとよばれるのかな。

60歳が定年。それが一時の“基準”だった。今は、段階的に引き上げ65歳としている。

運転免許更新も70歳が一つの区切り。次は75歳が大きな区切り。個人差ってはなはだしくあると思うが。

人口減。就労人口も減少する。経済活動は縮小する。

働ける者は働け。っていうことだと思うが、働き口は無い。
魚屋のおちゃんは80歳だ。酒屋の社長も80歳だ。現役だ。

年金支給開始年齢を70歳に引き上げる検討がなされるとかどうとか。

年金の必要が無いお金持ちの高齢者もいる。高所得者の年金は凍結すればいい。

働きたいのに働く場所が無い。年金に頼らざるを得ない人にだけ支給するってのもいい。

「年金の使い道が無いのです。一緒に食事に行きましょう」。数年前言われた。会社の会長をやっていて、豪邸に住み、年金は余らしている人。もちろんご馳走になったけど。

なんでも「年齢」で区切るってことにある抵抗感。

「年寄りは引っ込んでいろ」。よく言われた言葉。

現役でいる限りは、その人の時間は会社から、職場から“管理”されている。
退職すれば自由人。自由になって自分で時間や生活を管理することのむずかしさ。

引っ込んでいれば必定、やることが無ければ必定、衰えが加速する。かえって病気にもなりやすい。

「悠々自適の老後」。そんな価値観が許されるのだろうか。強いられることへの違和感。

じいちゃんの後を継いで漁師になると言っていた津波被災地の17歳の若者がいた。じいちゃんから学べねばならないことが多いからって。

公務員を定年になった「爺い部隊」が、大熊町再生のために働いている。その人たちの経験と知識はおおいに役立っている。

原発事故後、退職した“高齢”の元作業員が、「原発決死隊」と名乗って1F
の作業に名乗りを上げた。でも、それは実現しなかったみたいだ。

そして確実に原発事故収束のための作業員は手練れはいなく、素人が多くなっている。

高齢化社会とだけ言われる。社会が高齢者をいかに守るべきかばかりが議論される。それも不毛な論議が。

高齢化社会だからこそ、いかに高齢者を活用するか。それの議論はほとんど無い。

社会の片隅に追いやられるような「お年寄り」と呼ばれる人たちの群れ。

「格差」は若年層だけのことではない。高齢者の中にこそそれは存在する。

社会の基準として「高齢者」というのを何歳とするのか。自分の意志だけではどうにもならない区分け。

亭主は立派に高齢者のど真ん中。でも本人にその意識ゼロ。たぶん永遠にゼロかもしれない。筋力や視力は確かに衰えを実感しているのだが。

年寄りよ、街に出よう。カネは無くとも。年寄りよ、間違っても巣鴨でテレビのインタビューなんかに応じるなよ。

年寄りは若者に学ぶ。若者も年寄りに学ぶ。その連鎖でいいじゃないか。

もろもろ思う。この国は決して年寄りに優しい国じゃないって。だから「丸い年寄り」にはならない。いつまでも「尖ったままの年寄り」でいるつもり。

昨夜、70歳の友人が一献酌み交わしながら言った。「年をとったら怒りやすくなったよ」って。「あんたが好きだよ」と返しておいた。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...