2014年5月16日金曜日

高らかに語れ、方言で。

月一のコラムをさっき入稿した。
今月は「方言」のことを書いた。
福島からの自主避難者。県外への。「言葉の壁」にぶち当たっているという。
特に「福島弁、福島訛り」は“差別”の対象にされるという懸念からか、多くの人が「自分たちの言葉」を封印していると聞いた。

故郷訛り、故郷の言葉。それはその人達のアイデンティティーにかかわること。それを封印するということは、こころを閉ざすことにもなる。
場所にもよるが、ただでさえ帰る場所を失った人、今いるところで味わう“喪失感”。

まさにいろいろな意味で「言葉を失う」。
明治政府が、中央集権の手立てとして強要した「東京弁」への言語の統一。
それに抗して守られてきた方言。それは立派な日本の文化なのだ。

県外への自主避難者がかかえている問題の一つ。
住宅の無償提供が来年3月で打ち切られるということだ。

県内に住むか、他の都市に自主避難するかどうか。
それは、その人たちそれぞれの判断。

避難とは住む場所を失うということか。

災害復興住宅。遅々として進まぬ建設。

居場所のある人が居場所を失う人にたいして、もっともらしいことを言うのは「思い上がり」だ。

福島には人は住めない。現下のこ汚い“話題”の中で、当事者の一人が高言している。

どこに行けばいいのだ。どうすればいいのだ。

もうとっくに「国」は見放している。

住めないかもしれにところに如何にして住むか。物理的な方法としての“除染”だけではない。

現実、仮設の入居者や借り上げ住宅に住む人たちへの扱いは日を追うごとに厳しくなっている。

もともと福島県は「一つ」ではない。ひとくくりで語るということ。同じ県民であっても、考えは皆違う。違っていて当然なのだ。人間の社会は。

でも、そこでなんで敢えてお互いが軋轢を生むようなことをやるのだろう。

原発問題。事故。日本という国全体の問題。

何時からなのだろう。昔からそうだったのだろうか。人の痛みがわからない人達の群れ。

書かないといったがやはり一言付言。

安部の昨日の会見のこと。憲法のこと。集団的自衛権のこと。
訳知り顔に言われる「国民的議論が必要だ」ということ。

国民的議論なんて成り立たないのがこの国の実相なのだ。

世論調査なるものに必ず登場する「よくわからない」「なんとも言えない」。
すでにして議論を放棄している人たちだ。

安部の感覚は「情念の政治」「自己愛」の“思想”だ。
議論を呼びかけながら会見は30分。

その夜は時事通信、朝日新聞、毎日新聞の政治担当幹部と会食している。酒を酌み交わしている。そこで議論は交わされていたのか。

川内村の村長が最近言っている。あのくそ漫画に関連して。その雑誌社の問いに答えて。当事者としての言。

「避難する・避難しない」「戻る・戻らない」の対立を作るな。眼に見えない放射線は、仲が良かった隣近所を仲違いさせ、親子・夫婦関係までギクシャクさせる。コミュニティーまで崩壊させる。被災者同士がそれぞれ批判しあう姿に心が痛む」と。

“差別”“いがみ合い”。そんな言葉のくくりの中で、日本人の精神性は、むしろ後退しているようだ。だから“科学技術の進歩”に負けてしまったのだとも。

安部会見の詳報を読み、各様の意見を読み、ものすごい疲労感に襲われている今日・・・。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...