2014年5月15日木曜日

民主主義とは何か・・・

日本は民主主義国家である。言わずもがなのこと。民主主義の中で暮らしている。毎日、どこかで「民主主義」という言葉が使われている。

じゃ、この民主主義っていったい何なんだ。
理念としての民主主義、制度としての民主主義。

一昨日の塾で、そのことを問いかけてみた。こんなことをやってみた。
「民主主義ということについて考えておいて欲しい」と先月前ふりしておいた。

白紙を渡して、それぞれが思う、考える、イメージする、あるいは願望でもいい。民主主義という言葉について短い言葉で自分の考えを書いてくれと。

悩みながら考えながら書いていた。

その紙、14枚を集めた。それをシャッフルして、また配った。自分の考えと、今、目の前になる、誰かが書いた考え。その対比や違う意見、同感出来る意見・・・。
それらについて、自分の意見を披歴しながら、考えを述べてくれと。

もちろん無記名。誰が何を言ったか、書いたかわからない。わからないからいいのだ。
つまり、誰が書いたかわからない意見。それに意見を述べる。自分の考えをぶつける。それも民主主義かもと思い。

何をしたかったのか。その14枚の紙から、言葉から、それらを一つ一つのピースとして、「民主主義」というパズルを作ってみたかったから。

再び手元に回収した紙。そこに書かれた言葉や意見を、「単語」にしてホワイトボードに書きだしてみた。

自由・平等・合意・納得。自由と背中合わせの責任。自由な思想・自由な発言。
個人が個人として尊重される。一人一人が考える、考えを形成する。

決定権・グレー・非独裁・自ら作るもの・参画。

多数決では無い・国民全体の意見・民の責任。

悩み抜いた揚句発した言葉の数々。

これらを元に民主主義というジグソーパズルを完成させることは、結局、難しかった。

これらの言葉を一つ一つのピースとして、それだけで形を作ってみる。そのパズルの上に民主主義という言葉を置く。下矢印で、そのパズルを指す。
パズルの下に「多様な意見、見解」と書く。そうすることが理に適っているような。

立憲主義という言葉は出なかった。だからということではないが、アメリカ合衆国政府が掲げる、民主主義国家として世界に君臨するその国の民主主義の理念を紹介した。

議会制民主主義という言葉も出なかった。多数決とか、99対1という言葉もあったから、それに替えて解釈した。

合意という言葉があった。これがまさしく、今、この東北、被災地で試されている民主主義。そう「住民合意」という建前。

日本における民主主義という理念、制度の嚆矢。それは明治元年、天皇の名で公布された「五箇条のご誓文」にあると紹介した。

広く会議を興し、万機公論に決すべし。というやつ。

民主主義とは立憲主義によって成り立っているものである。主権在民だ。多数決の原理。それは少数意見の尊重ともご誓文からは読み取れる。
多数決の原理とは、民主主義の理念を具現化する手段なのだとしても。

きょう、民主主義の根幹に触れるかもしれない「解釈」が、安部の「私見」が出されることになっているらしい。

それについて論ずる気は無い。

ただ一言。集団的自衛権行使をなさしめるために、メディアも巻き込んだ、時には不毛な、時には信念さえも感じられない議論にうつつを抜かしている人たちよ。その前に論議し、手を打つべきことが多々あるんじゃないですか。

そう「福島」をどうしてくれるのだ。何を差し置いても喫緊の課題でしょ。
そう叫びたい。
敵は海の向こうからばかり来るものではない。地中が動くかもしれない、火山が爆発するかもしれない。どっちの確立がどうこうということではなく。

住民合意という枠に縛られた中、民主主義と民意。そのテーマはまだまだ考えなくてはいけないな。掘り下げてみないといけないな。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...