ぐうたらになったこの身をなんとかすべく、好天もあり犬と散歩に出かけた。ほんと久しぶりだ。
よく行っていた公園。その一つは芝の無い、土だけの公園になっていた。目の前は小学校。川岸を歩いて次の公園に。この時点で脚力限界。気遣ってか、犬の方が歩速を緩めてくれる。その公園にはそれでも草が生えており、新たな遊具もあり、子どもたちが嬉々としてブランコ、滑り台を飽きもせずに繰り返し。木陰のベンチ。緑の自然・・・。
ベンチに座って長時間(笑)の休憩。帰途、大きな寺の境内が除染作業中。10人以上はいたかな、作業員の人たち。静謐であるべきだった寺の境内に機械音が・・・。
体力、はなはだしく劣化を実感した次第。
原稿書きなど必要に迫られてのパソコン作業はあるものの、やはり「離れ」ないといけないのかも。完全に足がなまっている。
朝日新聞に連載されている「プロメテウスの罠」。共感できる時もあり、おかしな時もあり。3年前か。「私は取材されていません」というのを書いた時もあった。大熊の知り合いの名前があったが、本人は知らない、取材されていないって言ったから。
きょうの記事。飯舘村の菅野栄子さんが登場していた。そこに書かれていた彼女の言葉を拾う。
「放射能に侵されても、山河の姿は変わりません。村の自然は人々が戻るのを待ちわびています」。
「人は自然を求めて生きるものです。たとえ私たちの子孫が帰れなくても、いつの日か、日本の誰かが飯舘に行って家をつくり、家庭を作り、集落を作れば、その時飯舘は再生する。そのことを望んで、私は一生を終えたい」。
菅野さんは酪農家だった。自然とともに生きてきた。自然と共に生きてきた人の「時間軸」は違う。とてもじゃないが「長~い時間軸」で物を考えている。自然が教えたことなのだろう。
多くの、いやほとんどの日本人は短い時間軸でしか、今、物を考えていない。いつの日かの再生。そんな悠久の感性なんて持っていない。目先のことばかりだ。
3年以上の“無為の日々”が、彼女に“有為な思考”をもたらしたのだろう。
「放射能で避難しなきゃ、こんなことしゃべんなかったけどな、あはは」と話は結ばれている。
まったく逆説的なもの言いだが、原発事故が土に生きる、農村で生きる人たちに多くの考えるという機会を与えた。
「放射能への思いは、人それぞれで違う。だから、自分で情報を集めて自分で判断して生き方を決める。それしかないって私は思っている」。菅野さんの弁だ。
それをどう解釈するか。それも人によって違うだろう。無責任な他人の言によって右往左往している人たち。短絡的な言説に惑わされてしまっている人たち。いまだ自己を確立出来ていない人たち。その人たちへの“警鐘”ともとれないことは無い。
そうなんだよな。長い時間軸の中で、自然とともに生きる村の再生を願う。百姓って只者じゃなないんだよな。鍛えられ方が違うんだよな。
「いくらもがいても、泣いても、原発から出てしまった放射能には勝てません。悔しさで胸が張り裂けそうな毎日だけど」。
あきらめではない。現実を見据えているのだ。その上で「再生」を願っているのだ。
どれ、靴でも磨こうとしよう。何足かの靴を。ピカピカに丁寧に磨こう。おしゃれの為ではない。足元を確かなものにするために。足元を見つめ直すために。足元が暗ければ、汚れていたんでは、世の中を見る目も狂うからと思い・・・。
2014年5月24日土曜日
“チェルノブイリ”異聞
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