2014年5月6日火曜日

「青春」とは・・・。二つの詩を借りて。

昨日、子どもと書いた。若者と書いた。そして思った「青春」ということ。

サミエル・ウルマンという詩人が書いた「青春」と題された詩。たぶん、松下幸之助が好んだことから有名になった詩だと記憶している。
その詩に出会ったのは40歳代。なるほど・・・って思ったものだ。


青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心,こう言う様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く「驚異への愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思想の対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。

人は信念と共に若く、疑惑と共に老いる
人は自信と共に若く、恐怖と共に老いる
希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる


「3・11」後も、なぜかこの詩の引用が散見された。特に冒頭の「人生にある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ」というくだりが。

今、あらためて読み返してみると、ウルマンが何歳の時に書いた詩かはわからないが、“青春の時代”にあった時の“老いたる時”への「心構え」を言ったようにも思えてくる。

実際に、この詩にある七十歳を越えてみると、とてもじゃないが「青春」ではいられないって実感が湧く。疑惑、恐怖、失望・・・。そうその通り老いているとも。

3・11前、「孤独」という言葉は、どこか都会を象徴する、そこを投影した言葉だと思っていた。

今、現実に突き付けられているのは、仮設での孤独死、孤独を生きる老人達。過疎、限界集落・・・。孤独は全国的な、潜在していたものが顕在化した実相なのだと気付く。

孤独・・・。それは詩ではないが、高校の卒業式での、3・11直後、式が出来ないからメッセージとして卒業生に送られた言葉がある。
それはやはり詩だと思う。

部分を抜粋して引用する。

「青春とは孤独を直視することなのだ。直視する自由を得ることなのだ。
大学に行くということの豊潤さを、自由に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。
流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。

いかなる困難に出会おうとも、自己を直視する以外に道は無い。いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

海を見つめ、大海に出でよ。嵐にたけり狂った海に出でよ。真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。思い出に沈殿するな。未来に向かえ」。

“海を見る自由”と題された立教新座高校の渡辺憲司校長の言葉。

「青春とは孤独を直視することなのだ」。

今、この言葉が老人の僕にも響く。

詩人八木重吉は「秋の瞳」と題する項の序でこう書いている。
「私は、友がいないと耐えられぬのです・・・」と。

僕には友がいる。友はいるが時には孤独にさいなまれる。そして孤独の誘惑に、孤独でありたいと、孤独と対峙したいと思うもう一人の自分がいる・・・。

言葉は普遍的だ。しかし、何歳の時にその言葉と出会うかによって受け取り方も違う。それは“言葉の不自由さ”なのかもと。

そして思う。僕はやはり“青春”の中にはいないと。

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