2014年6月19日木曜日

内なるものとしての「金目」、「尊厳」

「金目発言」、石原環境大臣が国会の委員会で発言を撤回した。国会閉幕後、福島に詫びにくるという。

それで幕引きがはかられるわけではない。無かったことにも出来る訳がない。自民はこれを以て「終わり」にしようとするだろうが。

中間貯蔵施設をめぐる国策、事故処理や、賠償問題。そして帰還問題。およそ原発事故にかかわるあらゆる、これまでの関係していた人の努力や人間関係、国と被災地との多くの問題。それらがすべて「振り出しに戻る」。いや、“進行”を遅らせた、元の木阿弥にしてしまったことは間違い無い。

金目という「いぎたない」言葉で、人間の尊厳を傷つけてしまったからだ。

くどいようだがまた持ち出す。

3・11後の避難所。有無を言わせずそこに連れてこられた、行くよりほかに道はなかった。そこでの“暮らし”。それは、そこは「人間としての尊厳」が損なわれてしまった場所だった。そこに日々通いながら考え続けた、考えさせられた「人間の尊厳」。

あそこに居た人たちは、言葉には出さなかったが、傷つき、損なわれていく「尊厳」というものに対して怒りの感情を持って向き合っていたのだ。それは、われわれ“外部”の人間が、不用意に立ち入ることの出来ない「人間の条件」の問題。

秘めていたその悔しさに、彼が再び火をつけた。

そして、立場は正反対ではあるが、これまで地元との妥協点を探すべく、営々と努力を重ね、それなりの人間関係を作り上げてきた、環境省の役人が、一番悔しい思いをしているのかもしれない。彼らの努力も水泡に帰してしまったのだから。

政治家は、それがたとえ“現実”であれ、言っていいことと言ってはいけないことがある。使ってはいけない言葉がある。「カネ」のことだ。

政治家は、そのほとんどが金銭感覚がマヒしている。

田中角栄は巨額な金を集めた。「政治資金」として。官房機密費も含め。そしてその金を大量にばらまいた。与野党問わずの国会議員に。地方議員に。

時の野党にも相当の金がわたった。野党は国会で彼の「金脈」を追求に追求した。彼は、一言も、最後まで、刑事被告人になってもカネを渡した政治家の名前は言わなかった。

あの時、角栄から金をもらっていた政治家は、与野党問わず、皆、名前が出ることに戦々恐々としていたのだ。

原発の歴史は、金と表裏一体の問題だ。「カネで人の心も買える」と豪語していた人間が時代の寵児ともてはやされた。

何時の間にか、この国は「カネ」に支配される国になってしまったのだ。

カネですべての決着が図れる。それが定着してしまったのだ。

そして、今の安倍政治も金持ち優遇政治、成長と言う名の美名のもとでの。

原発とカネ。その原発マネーという“闇”は、原子力村にすまう人達だけではなく、立地地域でも当然のこととされてしまっていたのだ。

「カネで転んだ人」もいる。それも事実だ。双葉町の前町長も、私欲ではないが、町政の為に、7、8号機の建設を選択していたのだ。

3・11後も、すべては「カネ」だった。

「大臣、結局は、カネですべての片がつきますよ」。そう“進言”した事情通もいただろう。

補償金、賠償金をもらった、もらってない。貯蔵施設建設予定地の地権者はカネの多寡を問題にする。最後はカネの問題だ。それは誰もが「致し方ない選択」として承知していたこと。覚悟していたこと。そしてそこには、いささかの“ためらい”があったということ。

それを、現地の人たちを「小馬鹿」にしたように、政治家にとって禁句であり、口に出してはいけないことを平然と言ってのけてしまったこと。
それは、悩みに悩むひとたちの「尊厳の冒涜」なのだ。

石原発言は本音だ。そして、ある意味“事実”でもある。でも、それは言ってはいけないことなのだ。
福島県民の中にも、同じような感覚を持っている人達もいる。現実を見たうえでの。

でも、その人たちの頭の中には「尊厳」という価値観が外されている。

「万死に値する」と声高に言う県外の人達よ。非難してくれてありがとう。でもね、言う前に「福島の苦悩」を察したうえで、大声を上げて欲しいとも。

3・11後に考えねばならぬこと。それは三陸の犠牲者や残された人達も含め、提起されている「人間の尊厳」ということなのだとあらためて思う。

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