2014年6月17日火曜日

「言葉」について

きのう日本語の「不自由」さ、「曖昧」さについて書いたけど。日本人が日本語を、使い方含め“劣化”させているし、その知性の無さを暴露しているようなこと。

東日本大震災が起きるまで、その以前、大流行していた言葉に「差別化」というのがあった。
日本人の「負」の歴史は「差別」だ。社会的、政治的事例では「沖縄差別」であり「広島、長崎差別」であり、水俣差別、ハンセン病患者・・・。

そして古くからある「被差別部落」。

およそ人類は「差別」と言うことにあまり抵抗が無く、弱い者いじめが大好きで、動物を“畜生”と位置付け、差別することによって「優越感」を味わって来たのだ。

原発事故以降の「福島差別」。“定着した”意識。

差別化という流行語、要は「競争」に勝ち抜くために、およそ言葉に無頓着なバカ野郎が持ち出した言葉だと思っている。

経営コンサルなんて商売が幅を利かせ、商品含め、他社との差別化、差別化。
みんな何とも思わず、むしろ時流に乗った言葉として使っていた。

「3・11」前も、それ以降も、声高に、それに「異」を唱えてきた。
そして、いっときは、その言葉が消えたと思っていた。差別化。こんな嫌な言葉は無い。そもそもなぜ差別が存在するのかまで遡る疑問。

あなたは差別されてことがありますか。
あなたは差別していませんか。

人類の深淵にかかわる言葉だとまでいうのはやめておこう。

3・11後、差別化という言葉は減った。無くなった。それをしきりと使っていた、「他局との差別化をはかるため」という、言葉を生業にしているテレビからも消えたと思っていた。

たまたまネットで最近見かけたどこの誰かは忘れたけど、学者だったか。
「自然農法と有機農法の差別化」という大論文を見た。あらら、まだ、一部の世界では、識者と言われる人の間では、この日本語が生きている。

そして流行り言葉を見つけ出してくる辞書。そこにも差別化って項がある。
「舟を編む」ってこういうことか・・・。

差別という言葉に化をつけての「怪しげ」な言葉。

言葉が無くならない限り、その事象は無くならない。本当の意味での「平和」が来れば「平和」って言葉も無くなる。「戦争」だってそうだ。

やはり、これも屁理屈か。おかしなロジックか。

言葉でいうなら、昨日の石原伸晃の「金目」発言。だいたいね、「金目」なんて言葉はやくざ屋さんのことばだよ。
「その話、金目になるな、追い込みかけろ」なんてね。

バカな政治家の発言をいちいち誰何するのもばかばかしいが。真意はどうだ、
お詫びしますは聞き飽きた。聞く耳持たない。死の町って言って辞めさせられた大臣もいたんだぜ。

日本語の出来ない、元総理大臣はへらへら笑いながら大臣席に座っている委員会の光景。

政治家の言葉は、一旦放たれた矢のごとくーーーなのだ。

石原大臣さまは、むしろ「正直」な人なのかもしれない。原発は、もともと欲とカネの二人連れでやってきたこと。金で解決するしかないって考えを持っている人も県内にもいる。

でも、時をわきまえなければ。言っていい時、悪い時。

金目で気になった。官房機密費、いま、どう使われているんだろう。メディア対策?与党?野党? 集団的自衛権の“裏側”。この国の根幹にかかわることも、所詮は「金目の話」ってことになるのかな。

これ以上書くと“暴走老人”になってしまう(笑)。

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