2014年6月11日水曜日

「3年3ヶ月」なのだ・・・

今日は2014年6月11日。あれから3年3ヶ月が経つ。
3年3ヶ月という「数字」に特に意味を持たせるものではないが。

1年を365日として1、095日。1か月を30日として、あれから、あの日から1、185日。時の経過のこと・・・。


午後2時46分。海に向かって立つ人たちがいよう。黙とうする人も、ただ頭を垂れる人も。手を合わせる人も・・・。

黙して、静かな海を見よう。そこにあるもの、そこにある全てを感じよう。自分の五感の中に取り込もう。

沈黙の海と対峙する日・・・。


3年前の今日、こんな事を書いていた。
「東北処分」という題名。

//家を無くし、家族を無くし、生業を無くし、生きる希望さえ失いかけている「生き残った」人たちへ、この国は何ほどのことを為しているのか。

悲痛な叫び声は、彼ら政治家が好きな言葉、「民意」としては中央政府に届いていない。届いていても無視しているとしか見えない。政治家も官僚も然り。既存の法律を盾に取り、規制だらけの法律を是として、それらは平時に作られたものであるにも関わらず、それを適用しようとする。問題の解決にならない。なぜなら今は戦時であり、非常時なのだから//。

不思議なことだ。昨夜の塾のテーマは、まさに「民意」についてだった。

//仮設に行ってきました。
雨露しのげ、風呂はあり、ライフラインは整っている。「狭いながらも楽しい我が家」の”形”だけはある。
原発避難民。仮設村でどういうコミュニティーが築かれるのか。隣に入居するひとは知らないという。三陸地方では仮設への入居を躊躇する人が多いともいう。

これらをあわせて、あえて言わせてもらう。中央政府のやっていること、不作為も含めて、この国の中で、同じ権利を持つ国民であるはずなのに、「東北処分」が行われていると。

もし、この大震災が東京や大阪で起きたことなら、対応は違っていただろう。
地理的な距離感だけではない。意識の、目線の、こころの距離のなんと大きいことか。//


こんな事を縷々綴っていたのだ。

「東北処分」という表現。今日、今、書いてもおかしくない。そう、月日の経過はあっても、なにもかも“同じ”だということなのだ。
同じ“意識”の中に置かれているということなのだ。

「つなみ」に襲われて地域。瓦礫は片付けられた。空地だらけの風景。点在する人家、商業施設。

相変わらず「不便」さの中で暮らしている。

何やらコンクリートの壁が作られている。

「福島」はどうか。人の住めない土地。そこには“雑草”が生い茂っている。この時期の繁殖力はすごい。
人のいる地域は、そこが人の生命の源である、コメを作ってきた場であっても、所構わず、黒いビニール袋が大量に野積されている。

まったく見慣れていない光景が、見慣れた光景になろうとしている。

1F構内の実態は、いまだ「わからないまま」だ。多くの作業員が防護服に身を包んで働いている。多くが水との戦い。

炉内の水位は計算よりも30センチも少ないという。確実に“汚染水”は地中に吸い込まれている。

東京を常に比較の対象とはしたくない。でも・・・。

250キロ先では、再び災禍をもたらす「再稼働」に向けての動きが急だ。再稼働を歓迎するのは「東京」だけではない。この福島にもいる。青森にもいる。

原発に多様な“民意”を見る。

6年後、2020年を目指して、それをゴールにして、東京の「再開発」が急だ。
虎の門に出来た高層ビルの話題がマスコミを賑わす。テレビのレポーターが歓声を上げる。

月の家賃が最低でも160万円。そんな居住空間が紹介される。繁栄の象徴として。
月5万円、10万円の賠償金の増額や支払いを巡って、被災者は、生活の“恐怖”と向き合っている・・・。

やがて“マッカーサー道路”という、弾丸道路が出来るらしい。

羨んでいるわけでも無い。怒っているわけでも無い。ただ、「対比」としての一例・・・。

今月中に来ると言われていた我が家の周りの除染。作業の気配は無い。掘り返されるからと放っておいた庭。
夏草の背丈は30センチを越えそうだ・・・。

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