2014年6月12日木曜日

「力尽く」と「感情」の政治

昨日、11日は月に一回、「死を想う日」。1万8千人余りの死、いまだ後を絶たない震災関連死。

もちろん直接の知り合いはいない。亡くなった方の中には。一人だけ気になるのはいるが。

人の死は、すべて過去の出来事ということか。過去は替えられない。しかし、過去に学ぶことは出来る。

午後2時46分は瞑目の時間だった。

昨日は、福島県警の警察官や消防団員が、未だ行方不明のままの人を一斉捜索の日だった。その中には原発避難区域からその職についた若者もいた。

過去を捜す作業とでも言おうか。

午後3時。国会での党首討論をテレビで見た。
そこに「この日」という認識はどこにも見られなかった。

簡潔に言おう。そこで交わされていた不毛な論議。将来有り得るかもしれない、戦争での「死」の話し。

過去の死は気にもされず、原発事故によって「関連死」とされて人々。つまりは”原発戦争”の犠牲者。それは話題にすらならない。

安部も海江田も、お互いを「感情論」だとなじった。安部の長広舌の後には、得意満面に感情論を繰り広げたあとには、委員会室には、安部の後ろで破顔大笑する閣僚たち・・・。

11日に笑顔は似合わない。

国会議員の中では「11日」は忘れられた存在なのだ。

彼らが感情論だとなじり合うから、こっちも感情論で行く。

海江田の質問はあまりにも稚拙だった。問題の本質をよくとらえていない。国会での委員会での「質問」の仕方を知らない。
本質論であっても、今は的外れな質問と演説調。安部はまったく相手を見下していた。まるで「バカにするような」答弁、いや、これもまた演説だったが。

その顔は傲慢さに満ちていた。民主党という野党は眼中に無いというような。

民主党は解党したほうがいい。もはや政党の体を為していないような。

今、安部にとっては民主党と言う野党はどうでもいい存在に成り果てたのだ。

民主党より優れた野党として、維新やみんなの党の名を挙げていた。もはや友党だ。

委員会室で渋面だったのは公明党の山口代表だけだったのかもしれない。

集団的自衛権の解釈変更。それの本質や論議すべきこと、そのある問題点。どの野党より、与党であるはずの公明党の方が”勉強”している。全員とは言わないが。

感情論を押し通す安部。持ち出される「家族や子どもたちを守る」という感情論。家族や子どもたちを亡くした「3・11」の被災者はどう思っているのか。

安部は酔っている。自己愛に酔い痴れている。

表では感情論。裏では力尽く。怪僧ラスプーチン、飯島に海外で言わせる。この海外でというのも政治のミソだ。昔からあった手法の一つ。

「内閣法制局の見解を替える。公明党と創価学会は政教分離に反している」と。

長官は代ったけど、法制局は安部の意向通りに動くということを念頭において、公明党に脅しをかけた。喉元に匕首を突き付けた。急所を突いた脅し。

連立解消、いとわない。公明去っても維新、みんながすり寄ってくる。新たな連立すればいい。そんな発想にも見える。

今はいいよ。だけど選挙協力はどうするのか。公明票で何人、自民が議席獲得しているのか。幹事長の石破ならわかるよね。

なんか、野党は雑魚ばかり。与党である公明党が「健全野党」のようにさえみえてくる不可思議さ。

今日、どこで、誰と誰が、何をひそかに語り合っているのか。

そして、中国は、安部を見透かしたように、軍用機を異常接近させてくる。明らかな挑発。挑発に乗りやすい安部はすぐさま反応する。目の前にある危機と。
中国は安部に集団的自衛権を行使させたいのかもしれない。

感情論の中では深読みは出来なくなっている。

疲れるんだよな・・・。

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