2014年6月15日日曜日

月を見ながら考えた

ブラジルは真夜中。きょうは月が出ているのだろうか。試合中は雨もあったけど。月を見ながら考えている選手もいるかもしれない。月は勝者にも敗者にも平等だ。

きょうの試合に胸ふくらませていた昨夜。いっとき大きな月が出ていた。カエルが合唱する田んぼを月が照らしていた。今朝はまたカッコーが鳴いていた。

月を見ながら数日前、友人の農業者と話し合ったことを漫然と思い出していた。
今年の気象について。ここ数年の気象について。

今年、彼の農場ではグリンピースが一瞬にして大量に採れたという。収穫は大変だったという。その後、なぜかグリンピースは実を付けなくなってしまたという。この狭い日本だって、どこかでは晴天、高温。どっかでは大量の雨、雨。

「昔は、月齢に合わせて作付をし、月齢に合わせて刈取りをしたもんだ。今は月齢に沿った農業のやりかたも減っているし、この異常気象は太陽の黒点の“異変”によるものかもしれない」。そんなことを言い出して。

太陽の黒点の異変で、地球は滅びるかもしれないなんて冗談交じりの会話。

なぜか納得の「月論議」。

もちろん勝手に思っていることだけど、人間が、人間の科学に対する認識。月に人間が行く。月面探査の精を出す。宇宙探索が科学の大きな課題だとか、夢だとか。巨費がそれに注がれる。

月ってのは、オオカミが吠える神秘であった方がいい。
満月をとってくれよと泣く子かなの句の世界のものであったほうがいい。
15夜お月さんみて、ウサギが跳ねるものであったほうがいい。

手の届かないとこにあるべきものだと。

人類が月に触れたこと、触れようとしたこと、その神秘性を犯そうとしたこと。それに「お月さま」は怒っているのかもしれない。だから農耕民族が大事にしてきた月齢も狂い始めたのかもしれない。

科学の進歩って歯止めのきかないものなのか。

原発だって科学技術の進歩が生み出したもの。

言葉では言われるけど自然と科学の調和ってあるのだろうか。

月も太陽も、神聖であって、侵すべからざるものなんではないか。

取り留めもなく、そんな話をした。

宇宙にロケットが上がる度に、なぜか何かが気になるのだ。

2011年の3月11日の夜は、黒い海を月が照らしていたとも聞く。

「自(おのず)から然(な)れり」。安藤昌益の言葉が新しいのかも。元禄の時代に言われた言葉だけど。

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