2014年6月20日金曜日

昔、「シビリアン・コントロール」という言葉があった

朝のサッカー、残念だったけど十分楽しませてもらった。
こじつけでは無いが、津波で逃げる時、サッカーボールと靴だけを持って避難した子がいた。

人のいない広場で黙々とボールを蹴っている少年がいた。

アフリカの子供たちは、破れそうなボール一つあれば、数人がそれでいつまでも遊んでいる・・・。

サッカーは地球でいちばん素晴らしいスポーツなのかもしれない。子どもたちの精神的支柱になれるような。


本題。

昔、といっても遠い過去では無い。わずか3~40年前か。
社会党の岡田春夫、オカッパルが、爆弾質問で名を馳せた男。野党として質問が上手かった。上手だった。匹敵する奴はもう今の野党にいない。

彼がすっぱ抜いたのが自衛隊の「三矢研究」。連日国会はもめにもめた。それを知る国会議員も今はほとんどいないだろう。

それと合わせ鏡のようだった「防衛力整備計画」。

自衛隊が“暴走”するのではないか。マスコミ含め、かなりの時期話題になっていた。
政府は、そう佐藤内閣だった、しきりに言ったのが「シビリアンコントロール」。“文民統制”と訳されていた。

憲法9条ともからみ、文民である政治家が、“軍人”を統制するから、戦争に巻き込まれる恐れは無い。そう言ったはなし・・・。

「文民」は戦争をしないようにする。それが当時の認識だった。

そんな言葉は見かけなくなった。消えた。

今、戦争をしたがっているのは安倍という男と、それを取り巻く政治家。彼を絶対的に支持する人達。

“軍人”の多くは、戦争への道につながる集団的自衛権行使に懐疑的だ。

まだらな記憶の中の、「戦争」と「福島」。

日露戦争でも、第二次世界大戦でも、東北からはかなりの人が兵士として徴用された。特に陸軍。その理由の一つが「東北人は我慢強いから」。

あの「203高地」を最後まで守備したのは富岡からの兵士だった。

今、手元に資料が無いから、「まだらな記憶」とした。
富岡では埋没されてしまった「文化財」の発掘作業が進められようとしている。

単なる原発立地地域ではない。れっきとした「歴史遺産」を持ったところなのだ。

「3・11」。東北の多くの人が自衛隊に助けられた。彼らの献身的活動が多くの人の命を救い、励みにもなった。
原発事故現場でも活躍したのは、決死の働きをしたのは自衛隊だった。

一部では“齟齬”を招いた事例もあったものの。それは現場の隊員の問題ではない。上官の指示によるものだった。
完全防護服姿で災害対策本部に登場した自衛隊員に恐怖を覚えた市民もいた。郡山でのこと。
でも、結局は彼らの給水活動で、多くの市民が助かった。

「あの時助けてくれた自衛隊さんが、戦争に行って死ぬかもしれない。そんなことは許されない、耐えられない」。そう言っていた県民がいる。

「国を守ると」はどういうことだ。

赤ん坊を泥の中から助け出し、思わず笑顔を見せていた自衛隊員。猫を助けて泥をぬぐい、鳴き声に涙していた自衛隊員・・・。

彼らは本当に戦争に行くため、戦争をするために自衛隊員になったのだろうか。

国を守るとは何を指すのか。外地に行くことか。

戦争をしたがっている政治家がいる。国際武器博覧会で、銃を手にして笑いながら他人にその銃口を向けて喜んでいた防衛副大臣がいる。その銃口を振り払った人がいる。
皆、「シビリアン」だ。「背広組」だ。制服組では無い。

戦争をする国、戦争が出来る国。それを目指して、そこからマスコミや世間の目をくらませるように、次々と“話題”さえ提供してくる。

「金目発言」の経緯だって、その延長線上にあるのかもしれない。理屈っぽく言えば、「福島」は「戦争」の為に利用されたことにもなる。

あれだけ騒がれたシビリアンコントロール。短い歴史の中で消えた言葉。

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