2014年6月30日月曜日

「憂国」ということ

昨日午後、集団的自衛権をめぐっての「日乗」を記していた。多分午後1時頃から書いていたと思う。

書き終えて投稿して、ネットに“告知”をして知った。新宿で、集団的自衛権の行使容認に反対と訴え、焼身自殺を図った人がいたことを。

驚きではなかった。「やっぱり」という思い、「とうとう」という思いがあった。
なぜか。その人と同じようなもの、内なる想念が時々浮かんでいたから。
自分自身の中に。

その人が何者であり、自死を為す動機が何であり、考え抜いた行動なのか、どんな環境にあった人なのか。それは全く知らない。
そして、人の死に関して多くを語りたくは無い。その人の心のうち底なんてうかがい知れないものだから。

抗議の言葉と、与謝野晶子の「君しにたもうことなかれ」の詩を読んでいたと報道されている。

彼の行為が、集団的自衛権をめぐる議論やその帰趨に影響を与えるものかどうか。それも語るべきことではないだろう。

「内なる想念」を振り払うのは、安倍が、“命を賭すにふさわしい相手”ではないということかもしれない。

その行動に衝撃を受けながら、なぜか三島由紀夫のことを思い出していた。
自衛隊市ヶ谷駐屯所での、総監を人質にとり、盾の会のメンバーとともに、自衛隊の決起を促し、割腹自殺したあの事件。

著作の通りの「憂国」の実践だったのか。平岡公威としての「美学」の完結だったのか。
三島文学の熱烈なフアンであったものにとってはあまりにも多きな衝撃だった。

昭和45年11月25日。そのニュースに接したのは国会内の自民党幹事長室の中だった。幹事長室の中の扉は閉じられ、議員たちの出入りが激しくなり、誰もがその衝撃をどう理解すればいいのか苦しんでいるようだった。

盾の会には友人もいた。テレビ局社員。しかし、彼は誘われなかった人だった。
彼の横顔は苦渋にあふれたものだった。
その時の光景はよく覚えている。

「憂国」を再度手にした。そこからこの三島事件のヒントは読み取れるような読み取れないような。

三島事件は語り継がれている。映画化もされた。あの三島が大演説をした舞台、市ヶ谷自衛隊のバルコニー。ロケに使われたのは郡山にある合同庁舎のバルコニーだった。

新宿の男性の事は、この国の歴史の転換点の中での一つの出来事として語り継がれるのだろうか。多分、無かろう。
今日も議論されてるかもしれない解釈改憲問題、集団的自衛権の発動は、戦争の誘因となり、死者が出るという恐れ。それを語る人たちの間で、この新宿のことは話題に供されているのだろうか。

決起しない自衛隊。三島にとって「憂国」は「絶望」への“連結”だたのかもしれない。


「3・11」後、多くの死者を知った。見知らぬ死者ではあるが、その人たちがいつも自分の傍にいるような感覚に捉われる。

須賀川のキャベツ農家。相馬の酪農家。原発への抗議、その奥底にある、この国への“絶望感”。

そして、今、尚、「3・11」に起因する、遠因とする自死者が絶えないということ。

この3年余り、「死」について考えることが多くなったような気がする。「死」に無理やり意味を持たせる必要はないはずだが。

自爆テロ、抗議の焼身自殺。今も、この時間もどこかにある、さまざまな「死」。
まさに与謝野晶子なのだ。「君死にたもうことなかれ」なのだ。


とにかく「嫌な空気」なのだ。

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