どうも3年以上にわたって同じような事を書いているような気がする。いや、事実そうだ。
「福島」という言葉でくくられることへの反感、違和感。ひとくくりにする人たちの“無知”、あるいは“短絡的思考”。
原発事故が起きる前までは、日本の白地図に福島県を書かる人は少なかった。
県名だって知られていなかった。福島ってどこって感じで。
磐梯山は知られていた。白虎隊も知られていた。東洋のハワイは東京のテレビCMでさんざん流されていたが。
同じ東北であっても、福島県人は、宮城県の「県土」の有り様を知らない。岩手県の「県土」の有り様を知らない。三陸がどこからどこまでかを知らない。
3年数か月前まで、日本には54機の原発があった。その原発に県名が付けられているのは福島と島根だけだ。その他は、それがある「地名」だ。
泊原発はどこ、伊方原発はどこ、浜岡は、川内は・・・。その県名を答えられる人は少ない。柏崎刈羽は、大飯は・・・。
もし、そこで事故があった時、その事故の呼び名はその原発の名称だ。東海村がそうであったように。
「福島の真実」「福島の真実を探すブログ」・・・。勘弁してよ。
ネット上に流布される「福島、福島」。「真実、真実」。それらのサイトを探し当てて悦に入っているなよ。
なにやら抽象的かもしれないが。
「福島を知らずして福島を語るなかれ」と。
福島県というのは明治政府が廃藩置県で敷いた行政区画だ。たんなる線引きだ。
例えば新潟県との県境は磐越道のトンネルの中だ。
磐前県、福島県(一時は岩代県)、会津県。それが合併させられて出来た県。中央の官僚によってひかれた線。
今は浜通り、中通り、会津と呼ぶ。この三地方、文化も風習も伝統も歴史も皆違う。
戊辰戦争時、敵味方であったとこもある。
会津には伝統食がある。浜にもある。中通りには特にこれと言ったものは無い。
東京電力福島第一発電所が爆発事故を起こし、大量の放射能が降った。放射能はその時の風に運ばれ北西方向にプルームが移動した。
福島県と宮城県の県境。細い農道がその県境。例えば丸森町。そこの線量は福島県の飯舘と同じだ。福島県の会津地方よりはるかに高い。
でも、そのことを今は多くの人が問題にしない。国は知らんふり。町が独自の対策。
福島原発事故がまき散らした放射能による諸問題。それは「フクシマ」と、やはり書くべきなのかもしれない。
くどいようだが漫画の話。やはり「いちえふ」というタイトルには納得する面がある。作者が見て知ってのは1Fのことなのだから。福島県のことではなにのだから。
放射線被害は福島県のさほどでない地域よりも茨城、栃木、千葉、群馬、埼玉などの一部地域にもかなりの影響を与えている。でも、それは滅多に話題に供されない。
「福島」という名前を特定すること。それが問題なのだ。それは県外者だけではなく県内の一部の人に当てはまる。
原爆。広島市に投下された。広島県内全域に「黒い雨」が降ったか。降っていない。だから「ヒロシマ」と書く人がいる。
福島県とひとくくりで語ること。真偽ないまぜになっての県内ではある意味の自虐感情。県外からの“差別”“蔑視”としての対象。
安易に使われる「ひとくくり」。もう4年だ。4年前と同じことを書いているということの“悲しさ”。
真実を知らない人が「真実」と声高にいう愚かさ。それに乗せられて、なにやら薀蓄を語る人達。
福島の真実。それは、住むところを追われ避難生活を強いられている人達。その人達を受け入れ共存しようとしている人達。30キロという無意味な線引きで引き裂かれた人とそうでない人と。その人たちと暮らしてみないと、真実なんてわからないはず。
汚染水にだけこだわっていても、とてもじゃないが“真実”の「し」の字も出てこないはずだけど。
そして双葉郡を語るなら、双葉郡の歴史にも意を用いて欲しいとも。せめて、なぜあの地が「双葉」と名付けられたくらいは。
2014年6月4日水曜日
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