2010年7月28日水曜日

横綱 白鵬の言葉

きょう新聞の記事を見ていて気付いたのです。白鵬の優勝記者会見語録。


優勝記者会見で語った言葉は「国歌が終わり、土俵を見たら、いつもなら置いてある天皇 賜杯がなく、さびしくて自然に(涙が)出た」と理由を話したと各紙書かれていました。またテレビでは「日本の伝統と文化」という言葉が伝えられていました。賜杯をめぐる涙の理由。そこに日本人以上の日本人を見たのですが。そして賜杯というモノが持つ大きな意義、その存在の大きさ。それは単なる「物」としての賜杯ではなく「こころ」の支えだということが彼の言葉から伝わってきたのですが。


きょうの記事には、それがどこの何のページに書いてあったかうろ覚えなんですが。


「もし、優勝が初めての人だったら賜杯がもらえないということをどう思ったのだろう」って言ってもいたということですが、その記事にはもっと深い部分が。


最後に「そうは思いませんか」と白鵬は記者団に問うたとか。記者団がどう答えたかは記されていませんでしたが、含蓄のある意味深い問いかけだったと。記者に問うということはその背後にいるだろう相撲協会やフアンや国民や・・・。あらゆる人に問うたのだと。


記者会見というのはいわば「つぎはぎ」。その人が喋ったことのある部分だけ取り出してニュースにする。いわば記者の主観。彼らの言う「おいしいところ」だけ切り取って伝える。


亭主にはこの「そうは思いませんか」という問いかけに大きなニュースバリューがあると思うのですが。何を喋ったかは同席者以外は知るよしもなし。このことを書いてくれた記者に"感謝"。数日遅れの「記事」ではありますが。この記者の「主観」に同感。


いくら紙面があっても、いくら時間があっても会見の全容を伝えることは至難の業。各紙同じ記事だけ読まされる読者。画一化された報道。多くの発言や雰囲気の中から何を伝えるか。それが記者の資質。どんな言葉に記者として関心を惹かれるか。その人の感性。


白鵬の「問いかけ」に大横綱としての誇りと気概を感じた次第。そして賜杯といい、ワールドカップのトロフィーといい、金ではない、その「物」が持つ大きさ、意義に改めて思いを致したのであります。



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