昨夜から雪が。昨夜は地下の店での例会。終わって階段をあがるとそこは雪国。夕方からの景色が全く変わり。銀世界。
朝起きてみると雪、雪、雪。もちろん豪雪に悩まされている北日本や山陰の比ではありませんが。
ゲンキを恒例の散歩に。「コート」を着るまでははしゃいでいたのが、気配を察したのか、出かけようとしない。玄関開けて表を見たらなんと尻込み。
とはいうものの生理的現象がまさったのか。雪の中へ出陣。いつものマーキング場所が雪で消されているせいか。場所がわからない。しかもゲンキはどうも積もった雪の中に足を踏み入れるのが嫌らしい。車の轍の上をトコトコと。やっと見つけた草のあるところで長めの小用。道路の真ん中で耐えきれずに大と。
雪やこんこんという歌では犬は喜び庭駆け回るというのに。軟弱なのか用心深いのか。玄関前の雪にたじろぎながらも帰還。あとはひたすら寝ています。
澪。これは雪が好きだった。嬉々として駆け回っていた。新雪の上に足跡を刻んでいた。なにせ甲斐犬、日本犬。足も長かったから。雪の中を走られて亭主転倒の危機もあったし(笑)。
今も雪が舞っています。澪の写真に話しかけると、目が何かを訴えてくるような。「私も散歩行きたい」って言っているような。この写真不思議なんです。どんな角度から見てもこっちを見ている。なんとなくその日、その日で目つきも違うような。親戚筋のナツオちゃんが撮ってくれたやつなんですが。
もう一回澪と雪の中を走りたい。雪の中へ連れて行ってやりたい。
写真の澪は毛布の上に鎮座していますが。
雪の中を走っていくどこかの犬が窓から見えます。犬と雪景色。妙に似合っている。
2011年1月16日日曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
「黙食」の記憶
敗戦後,転々と居が変わり、落ち着いたのが初台の家だった。 食糧事情がやや良くなり、一家は丸い卓袱台を囲んで夕餉をとっていた。 “家長”は祖母だった。 「ご飯は黙って食べなさい」が家訓のように言い渡されていた。 隣に座っている弟は奇妙な特技の持ち主だった。 ...

-
1945年6月6日。沖縄根拠地隊司令官の太田實中将は本土の海軍次官に宛て打電した。 “本職の知れる範囲に於いては、県民は青壮年の全部を防衛召集に捧げ、残る老幼婦女子のみが、相次ぐ砲爆撃に家屋と財産の全部を焼却せられ、僅かに身を以って軍の作戦に差し支えなき場所の小防空壕に避難、...
-
東日本大震災から8年だ。毎年考えて来たのが「復興」という言葉、その事象。 未だもって、「復興」を言う言葉には“わだかまり”があり、自分の中で“消化”されていない。納得できる“回答”を持っていないのだ。 今も「3・11」は続いている・・・。 勤労統計の“偽装”は、この国の根...
-
1945年、沖縄戦で最後の司令官だった大田実海軍中将は東京の海軍次官に打電した。 「沖縄県民斯く戦えり。今後、格別の高配を賜らんことを」。 そして、彼は自死した。 その後の沖縄の変遷。国は沖縄県民に対して“高配”があったのだろうか。 在日米軍の基地が70%沖縄に置かれて...

0 件のコメント:
コメントを投稿