2011年1月3日月曜日

「ニュース」はどこに行ったのか

年末年始。テレビと言えば長時間の娯楽(というのも変だが)、バラエティー番組だらけ。収録済みのワイワイガヤガヤ。新聞とて休みはあるし、なんか気の抜けたような記事ばかり。

人が営みを続けている限り、そこには常に「ニュース」が存在するのだが。ニュース番組はほとんど無し。特別な(笑)季節には必ず排斥されるニュース。定時でお茶を濁したようなニュースの時間も、ユーターンラッシュがどうのとこ初売りがどうのとか、どこの人出がとか。

年末、大晦日にはさびしさに耐えられず自死する人が多いとかいう話がよく伝えられていた。どうだったのか。年越し派遣村もことしは無くなったがホームレスの人たちはどういう正月を過ごしているのか。

人が死んでニュースになるのは「餅をのどに詰まらせて死んだ人が東京で6人」というような話。餅を食えない人のことは話題にならない。

年をまたいでも、正月というメデタイ時があるにしても人の営みは変わっていないはずなのに。

政治の話になれば小沢の家に何人集まった。菅が公邸でやった新年会には何人きたとかいう下世話な話題をさも意味ありげに。

ニュースはあるはずなのにメディアは、特にテレビは伝えない。伝えないというか伝える時間を持とうとしない。

亭主、普通に正月やっています。でもテレビには惹かれない。見ているのはしかたないからスポーツものだけ。

着飾ったガキ共の意味のない笑い声が何になるの。それを見ながらかえって自虐的な心境になる人だっているはず。あまりにも自分とは違う世界ばかり見せられて。
テレビでしか伝えられないものをもっと伝えましょうよ。ユーターンも初売りも福袋もニュースではない。当然のこと。

ニュースはどこへ行ったのか。伝えられないニュースを知りたい。レーゾンデートルのためにも。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...