2011年1月17日月曜日

16年前の今日

朝、テレビをつけたら阪神淡路大震災の模様が。驚きでした。すぐ会社に。しばらく様子を見て、テレビを見て、系列局と話し合って。すぐに応援取材のメンバー決めて「神戸に行け」。

届くかどうかわからないが「差し入れ物資」を調達して系列局へ。途中で交代させた者も含めて取材に行かした奴らの顔や表情を今でも覚えています。

パソコンは丁度普及し始めた頃。テレビ・ラジオがやはり情報源。ツイッターなどもちろん無し。情報・通信の在り方、テレビの役割。功罪。いろいろ考えさせられながらの日々でした。

寒さの中の被災者の人達の姿、姿。

帰って来た記者の一人が言っていました。「頑張ってください」としか言えなかった。他に言葉が無かったと。

偶然、その一年前。17年前。多分きょうのように雪がかなり降っていたかと。あちこち通った病院の一つで「癌、肺腫瘍」の疑いを告げられました。

帰りの車の中から見た雪景色。

2月の6日に東京の慶應病院に入院したのですが。なぜか退院後も体調かんばしくなく。阪神淡路大震災の時も完全に復調はしていませんでした。

あれから16年か。あれから17年か。病院の前の雪景色。車に積もった雪を払うのが辛かった・・・。

昭和39年、1964年の新潟大地震。泊まり明けで昼飯食べていたら六本木も大揺れ。会社に戻ったら「すぐ新潟へ行け」。一睡もしてないのにジープでクルーと一緒に飛び出した。三国峠を越えて燃えさかる新潟に着いたのは翌朝。あの現場も凄かった。

撮影したフィルムは汽車に乗せて送るしか方法がなかった時代。伝送や中継なんてあり得なかった時代・・・。視察に来た建設大臣のヘリコプターにフィルム託した想い出。

雪をみながらまた思うんです。思わず遠くへきたもんだと。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...