2014年2月13日木曜日

「もう一人の自分との闘い」

ソチオリンピックも佳境ということなのか。日本時間の今夜遅くからフィギアスケートの個人戦。慣れ親しんだ競技。またまたメダルをめぐって騒ぎが続くのだろう。

いつの頃だったか。オリンピック精神は「参加することに意義がある」だった。
選手も、関係者も、国民もそう理解していた。
いつの間にか、そこに「国」という“圧力”が存在し始め、「メダルの数」がその意義のようになった。

フィギアスケートに町田樹選手が登場する。仄聞するに彼は「氷上の哲学者」というらしい。好んで哲学を学び、学んだ哲学を競技に生かしているような。

過去の戦績について彼はこんなことを言っていた。
「試合前にもう一人の自分が顔を出す。弱気な自分が。そのもう一人の自分との闘いなんです」。

もう一人の自分。わかるような気がする。多分、多くの人がそれを内在してると思うし。

彼のショートプログラムの曲は「エデンの東」だとか。たしか、エリア・カザンの作だった。ジェームスディーンを知ったのもあの映画だった。見たのは中学3年の頃だったと記憶している。

エデンの東。旧約聖書のカインとアベルの物語から作られてと思っている。
映画自体も“哲学的”だったような。

エデンの東の中で「ティムシェル」という言葉が使われる。“汝、治むることを能う(あたう)”と訳されている。

どうも元はヘーゲルの言葉。それを彼なりに解釈している。
“自分の運命は自分で切り開く”と。

頼もしいぜ、この若者。沙羅ちゃんも然り、ハーフパイプの二人も然り。弦も樹も。
素晴らしい若者が輩出している。

今夜、氷上で彼の哲学はどんな演繹をたどるのだろうか。


「3・11」後、ネット、特にツイッターには、botにしてもそうでないにしても、哲学者の言葉が溢れていた。カントやニーチェや。

多分、書き込む方も、受け取る方も、哲学者の言葉を借りなければ、あの大惨事の中、魂の救済は求められなかったのだろう。

ボクも言葉を探していた。
行きついた言葉は、被災者の、家族を無くし、家を無くした人達の素朴な言葉であったのだが。生ける哲学のようでもあったのだが。

やがてそれらは消え、今や、原発を巡る“汚い”言葉の応酬。そして福島に向けられるいわれの無い、誹謗中傷。
そこには哲学は微塵も無い。

そしてオリンピック選手に対しても「匿名」の中で、無責任な、勝手な、訳知り顔の言葉が投げかけられている。

政治の場では、哲学はおろか、倫理すら存在しない。単なる感情移入だけで戦争を美化する空気。

ま、それはまた。

哲学青年が、氷上でどんな形でその哲学を具現化してくれるのか。それを待つ。

とにかくアスリートに教えられる毎日のような・・・。

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