2014年2月25日火曜日

顕在化してきた「福島切り捨て」

何気なくネットを見ていたら、こんな“投稿”が目にとまった。南相馬の人だ。

国会の予算委員会での“出来事”。原則、全閣僚出席のはず。

福島県選出で維新の会に所属している小熊慎司氏が質問していた。原発関連問題で。
その詳しい内容はわからない。報道でも、彼の質問、答弁は書かれていないから。本人もネットをやっている。本人のページを見ていてもそのことは書かれていなかったが。

小熊氏の質問に対してヤジが飛んだという。
「ここは福島県議会か」。

その質問が、たとえ“稚拙”であれ、“些末な内容”のことだとしても、仮にだよ。
「ここは福島県議会か」というヤジの意味は何だろう。もしかしたら彼の質問にいらついていたのかもしれないが。
国会議員の驕り昂ぶり。
大所高所からのエネルギー論議は国会に馴染むもの。原発事故のよる福島の問題は国会に馴染まないもの。そういうバカな驕りがあったのだろう。
どこの政党の議員かはしらない。憶測は出来るけど。

それに関与していないとしても、国会には原発事故調というのが出来、それは“未完”のままであっても、国会議員の“総意”として出されている。

その内容が何であれ、原発事故の問題は、福島だけの問題ではない。国を挙げて、いや、国際社会も大いなる関心を持って見ている人類共通の問題のはず。

この一言のヤジが、今の政界を物語るに言い得て妙なことなのだ。いや、政界だけではない、官界も含め、多くを覆っている「空気」なのだ。

予算委員長はそのヤジをたしなめたのだろうか。その時の答弁に立った閣僚はどういう心境だったのだろうか。

福島県民をバカにし、県議会も冒涜したものだ。あくまでもその投稿を信じての上の事だが。

「福島切り捨て」。その“思想”が、このヤジの根底にある。その空気を察知しているからヤジが生まれてくるのだろう。

これが、為政者によって声高に言われる「民主主義」の実相なのだ。民主主義を具現化した一つの“手段”である議会を構成する人の考え。そんな人を選んだ選挙民。つまり「限られた民意」。その帰結。

明らかに、急加速するように「福島切り捨て」の動きが顕在化してきた。
都路地区の帰還問題。「仁王立ちになっても帰還を納得させてこい」。復興庁幹部に念押しされての、そんな“使命”を帯びて田村市の住民説明会に臨んだ赤羽経済産業副大臣。

「これだけしても理解しないのなら、後はもう知らないよ」と言わんばかりの“通告”。
その裏にあるのは賠償金問題。

そう、昨日は賠償金の打ち切り論議が盛んだった。そう、きのうは「最終処分場」について、政府はお手上げだというような考えだった。まずは中間貯蔵施設を決めろに終始する環境大臣。

そして、福島県はそれに抗する術を持たない。

県民は「切り捨て」論が顕在化する中で、来るべきものが来たな、そんな思いで右往左往している。悩みは深まるばかりだ。

「切り捨て論」の中で生きている福島県民。

福島県選出の民主党議員は「最終処分場を安倍の地元の山口に持っていけ」なんていうバカ丸出しの大会決議をまとめる。県選出の自民党議員、それも閣僚二人。何を考えていることやら・・・。

強いことを最善とする政治。

国家とは何か。それを赤絨毯の上で優越感に浸っている人達に問う事も無意味なのだろう。

敢えて断っておくが、ボクは政治に関しては「ど素人」ではない。政治は強いものだけのためにあるのではない。弱い者に目を向けるのが政治だ。そんな「哲学」を持っていた自民党議員を多く知っている。正確にいうなら、そういう時代もあった。ということか。

耐えがたき怒りと疲労感・・・。

“チェルノブイリ”異聞

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